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学園大戦ヴァルキリーズ  作者: 名無しの東北県人
学園大戦ヴァルキリーズ新小説版 DOWN THE RABBIT HOLE 1949
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第二章1

 クリスとS中佐を乗せたジープは学生寮や図書館、ウォルマート(注1)が立ち並ぶカモ自治区のキブツ――シャローム学園の生活共同体地区へと入った。緑の芝生や花畑が奇妙に広がるこの場所にはトシャブと呼ばれる生徒達が住民として暮らしている。

「おはようございます」

「グリ……失礼、S中佐、おはようございます」

 駐車場にジープを置き、クリスを連れてキブツを歩くS中佐はウージー短機関銃を肩にかけ、最前線からぼろぼろの戦闘服姿で戻ってきたシャローム学園の生徒と挨拶を交わす。

「あの人達……」

 一方のクリスは失われた手足や目に包帯を巻き、壁に寄りかかって地面に腰掛けている元兵士達の姿に目を奪われた。生気に欠ける彼らの垢の溜まった目元は窪み、伸び放題になった髭が不潔そうな印象を与える。クリスからの視線に気が付くと、元兵士達は僅かな小銭が入った空き缶を揺らす。なけなしの慈悲を求めているのだ。

「彼らはシャローム学園の生徒達ではありません」

「では何故ここに?」

「彼らには他に行き場所がないからです。ガーランド・ハイスクールでもシュネーヴァルト学園でもヴォルクグラード人民学園でも、学園都市の景観浄化のためにああいった物乞いは強制退去させられると聞きます。しかし、彼らには物乞いをするしか他に生きる道がありません。受け入れる場所も手を差し伸べる者も存在しないからです」

 S中佐の声は淡々として事務的だった。文字通り他人事のような口調である。

「しかし、シャローム学園はまだ出来上がったばかりで景観に気を遣っている余裕がありません。だから彼ら物乞いはここに集まるのです」

「ウサギの穴に落ちる……」

 クリスは一般社会に適応できないプロトタイプが唯一自分のアイデンティティとしている高い戦闘技術を生かせない状況に陥り、そこから永遠に抜け出せなくなることを意味したアルカ特有の軍隊用語を口にする。プロトタイプにとって戦場から生きて帰ることは必ずしも幸運なことではない。仮に手足や目を失えば、彼らは不必要の烙印を押される。そして他にできることもない彼らはただ死んでいないだけの無意味な生を毎日続けるだけの存在に成り果ててしまう。

「行きましょうクリスさん。世の中には考えるだけ無駄なことが存在するのです」

 七分十二秒後、クリスは学生寮のS中佐の自室に足を踏み入れた。簡素な部屋で、何の脈絡もなく『決断的伝説』と筆で書かれた掛け軸が強烈なインパクトを放っている以外はこれといった印象を受けない。このシュール極まりない掛け軸は今アルカで民間軍事企業ダークホーム社のリーダーとして知られているキャロライン・ダークホームからプレゼントされたものだとS中佐は説明してくれた。

「紅茶とコーヒー、どちらが良いですか?」

「では紅茶を頂きます」

「わかりました。ちょうどミス・キャロラインから送って頂いたテトレー(注2)のティーパックがありますよ」

「S中佐とミス・キャロラインはどういう関係なのです?」

 地味な色のソファに腰掛けたクリスは素直な疑問をぶつける。

「彼女とは以前、一緒にベイルートに行ったことがあるのです」

「ベイルートというと中東レバノンの首都ですね。ブラックオプス(注3)ですか?」

「そうです」

 台所に立つS中佐は小さなカップと受け皿を小奇麗な真鍮製のトレイに載せ、

「あまり詳しくはお話できませんが……」

 次に皿を出し、スフガニヤと呼ばれるジャムの入ったドーナツをその上に並べていく。

「申し訳ありません」

「いえいえ」

 余計な詮索をしてしまったことを反省し、窓外から聞こえる、木々の間を吹き抜ける潮風の音に耳を澄ましていたクリスの前にS中佐はそっと紅茶のカップを置く。陶器の触れ合う小さな音が部屋に響いた。

「どうぞ」

「頂きます」

 出会ってからずっとS中佐は穏やかで物腰の柔らかい様子を貫いている。先程物乞いの前で見せた空虚で冷淡な一面は気になったものの、優秀なプロトタイプやヴァルキリー特有の好戦性や凶暴性は一切伺えなかった。かといって血も涙もない冷徹なミリタリー・マシンでもない。剣呑さという言葉とは無縁で、アルカにおいては普遍的な戦闘が好きだから戦っている輩ではなく、純粋な義務感から戦っている人物だとクリスには思えた。

「クリスさん、フォートナム・アンド・メイソン(注4)のクッキーは如何ですか?」

「そんなお気遣いなく……」

 好意に遠慮の言葉を返しつつ、クリスは目の前の少女――と呼ぶには随分と怜悧で大人びているけれども――がもしもサブラ・グリンゴールドだとしたら、彼女は名前通りの人物であることを察する。非常に硬い外皮を持つが、美味で甘い中身を持つことで知られるイスラエルの果実『サブラ』は同国国民の性格を表す際、よく例に上げられる。

「それではインタビューの続きを始めましょうか」

 S中佐は長い黒髪を揺らしてソファに腰を沈め、自らも紅茶のカップを手に取り口をつける。すぐにカチャリと静かな音を立ててカップが受け皿に置かれた。

「はい。宜しくお願いします」

 クリスは手帳を開く。白いページにペンが走り、QがクリスでAがサブラの書き込み欄が作られた。

「世界そのものが学校にいる子供の息遣いにかかってくる」

「えっ?」

「タルムード(注5)の言葉です」

 S中佐は形の良い瞼の下の紫色の瞳でクリスをじっと見つめた。ユダヤ人特有の、理解と共感を示す美しい瞳だった。そして彼女は自らの記憶のテープを巻き戻し、脳内のスクリーンに映し出された過去の記憶を話し始めた。


 注1 米国のスーパーマーケットチェーン。

 注2 英国の紅茶ブランド。

 注3 表沙汰にできない非公式任務。

 注4 英国の老舗百貨店。

 注5 ユダヤ教の口伝律法を収めた文書群。

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