第一章12
ハイウェイ112の仕組まれた遭遇戦はなおも続いていた。
「くたばりやが……」
「お断りします」
空薬莢で埋め尽くされた地面に足を着けたサブラはヴォルクグラード兵が言い終える前にガリル自動小銃の銃口を彼へと向け、機械的な動作でそのトリガーを引き、過酷なギブシュ(注1)で身に付けたバラス・フレデリック・スキナーのオペラント条件付けを最も残酷な形で実行した。
「ユダ公のヴァルキリーめ!」
たった今撃ち殺された奴の血溜まりを踏み付けて別の兵士が飛び出す。
サブラは考えるより速く木製ハンドガードを掴んでガリル自動小銃の銃口を動かし、黒いアイアンサイトの中央に敵兵の頭を合わせる。
これもまた訓練と同じだった。
発砲の直後に合成樹脂製の疑似頭を七・六二ミリ弾が貫通し、反対側からケチャップ塗れの千切りキャベツが猛烈な勢いで飛び散る――その訓練と違うのは、撃たれたのが本物の人間の頭で、飛び散ったのが肉と骨片混じりの脳漿であるということだけだった。
「足を止めたぞ!」
両肩のレイルにロケット弾ポッドを装着したヴァルキリーがサブラを見つけると、その双肩から濛々たる白煙を立ち昇らせた。
放たれた数十発のロケット弾は不安定な軌道で飛行する目標に迫り、直後に着弾。爆発と共にサブラをコルダイト火薬混じりの黒煙で覆い隠す。
「やったか?」
巨大な煙の塊の上まで移動したヴァルキリーは直後、ガリル自動小銃のセレクターレバーが動く金属音を耳にする。
ヴァルキリーが常人に比べて強化された聴覚で金属音に気付き、ロケット弾ポッドを切り離して音のした左斜め後ろに首を巡らせた瞬間、ガリル自動小銃が真っ赤な火の塊を吐き出し、彼女の右腕を付け根からもぎ取った。
岩陰から飛び出したサブラは背部飛行ユニットのノズルから猛烈にマナ・エネルギーの粒子を噴射、瞬く間にヴァルキリーとの距離を詰め、ショルダータックルを浴びせる。
「目標を除去します」
サブラは無表情で姿勢を崩したヴァルキリーの左手を自らの右手で掴むと、その無防備な腹部に左手へと持ち替えたガリル自動小銃の連射を浴びせた。鋼鉄の弾丸を一塊浴びたヴァルキリーの口から大量の血が噴き出し、銃撃で裂けたマナ・ローブの間から薄桃色の腸がぬめった音を立てて飛び出す。
「あいつをやるわよ!」
二名のヴァルキリーを引き連れたミネットは親指を下に向け、サブラとは違う通常仕様の背部飛行ユニットから伸びる後退翼を翻して高度を下げた。
「何がテルアビブのマリア・パステルナークよ!」
無残な姿になった死体を捨て、ガリル自動小銃に新しいマガジンを装填して急上昇するサブラに向けてミネットは急降下する。
激しい弾幕の応酬――急速に高度を下げるミネットの背後で一人のヴァルキリーが左足を吹き飛ばされ、バランスを失ったところを更なる銃弾に襲われた。銃弾がみずみずしい柔肌を獰猛に食い破り、持てる力を存分に発揮して動脈や筋肉を破壊し尽していく。適度に肉が付いた腹部に入り込んだ一弾は骨盤に当たって体内を暴れ回り、臓物を滅茶苦茶に破壊するだけでなく脊椎までも無残に断裂させた。
「おのれ!」
「待って! だめ!」
仲間の死に激昂した別のヴァルキリーはミネットを追い越し、サブラと同じ高度になるなりお互い相手に正対しながらそれぞれ高速で右旋回する。そして火花を散らして腰のレイルから切り離したマナ・ランスを振り上げて肉薄しようとするが、サブラの展開したマナ・フィールドに弾かれてしまう。直後、彼女の一瞬無防備になった胴体に幾つも小さい穴が開き、皮膚の中に大きな空洞が作られた。コンマ数秒程の間に外の埃や破片が体内に入り込んで組織を汚染し、銃弾は入口の五倍はある大きな穴を反対側に穿つ。
「おのれ!」
ミネットはB‐10無反動砲を両肩に担ぎ、増援として駆け付けたヴァルキリー達のロケット弾ポッドと共に斉射した。
「何度も言うようにそれらは対地攻撃用です。対空目標に命中させることは困難です」
銀色を主体色とし、敵味方識別用の黄色い三角形が描かれた前進翼が左右に伸びる飛行ユニットを背負うサブラは回転しながら飛行、迫り来る砲弾やロケット弾の一発一発をマナ・フィールドで爆破しながら前へと進み、顔を上げて敵を視認する。
「ん……まだいたんですか」
下方からマナ・フィールドを叩く軽い音で鼓膜を打たれたサブラは一旦進路を変え、地上でなおも抵抗を続けるタスクフォース599隊員達の頭上を爆音と共にフライパスする。そして軽やかに急旋回、右手に携えたガリル自動小銃の銃口を彼らに向けた。腹腔に響き渡る大音響が鳴り響き、弾丸が空気を切り裂いて地面に突き刺さるなり小爆発が起きた。破片混じりの土煙が兵士達を吹き飛ばす。
「私はもはや勝利に酔いません」
必死で応戦する敵兵からの銃撃を回避しつつ、緩やかに旋回するサブラの銃口から再び閃光が走る。撃ち出された七・六二ミリ弾が誰かの皮膚を貫き、体内を破壊し尽くすたび、肉と骨の砕け散る形容し難い音が鳴り響いて血塗れの手足が宙を舞った。
「美酒も飲み過ぎると口飽きするものだからです」
僅かに口元を緩めたサブラの背後から、
「言ってなさいよ!」
鈍い音を立ててレイルからロケット弾ポッドを切り離したタスクフォース599のヴァルキリーが裂帛の気合いと共に突貫してくる。背後に回り込んでいたのだ。
「でやああああああっ!」
肉薄に成功したヴァルキリーはこれまた身の丈よりも長いマナ・ランスで右斜め下からの斬撃をサブラに浴びせた。だがオーバーテクノロジーで作られたグレン&グレンダ社謹製の超振動ブレードは空しく夜空を薙ぐに留まる。
「なっ……」
ヴァルキリーの顔が一気に青ざめ、恐怖と緊張で目が一気に充血した。
「悪くないものですね」
易々と斬撃を回避したサブラは瞬時にマナ・ランスのロッド部を掴み、艶やかな漆黒の髪の奥に涼しい顔を覗かせて淡々と言う。それは今や自分と正対した少女の技量や胆力についてではなく、自分が今使っているマリア・パステルナークのマナ・クリスタルに対する評価だった。通常、ヴァルキリーのマナ・クリスタルは一人につき死ぬまで一つという不文律があるが、サブラにとっては例によって表沙汰にできない理由でシャローム学園にやってきたこのクリスタルが八個目の仕事道具だった。
「しかし」
地上で燃え上がる火炎の赤を白い頬に映すサブラはマナ・ランスを易々と圧し折る。
「なけなしの勇気さえ無力化する性能差とはかくも残酷なものですね」
そして他人事のように呟き、彼女は武器を捨てて距離を取ろうとするヴァルキリーの襟首を掴み、至近距離からガリル自動小銃の連射を浴びせた。
「化け物が……!」
腹部を大きく抉られ、肋骨とグシャグシャの内臓が丸出しになった上半身を投げ捨てるサブラを見てミネットが憎悪の声を漏らす。彼女は右手のAK47自動小銃を連射しながらサブラに肉薄し、大量のダミーバルーンを両腰のポーチから放出した。
「ほう」
生返事めいた声を漏らすサブラの視界がヴァルキリーの形をした風船で埋め尽くされる。
「もらった!」
ミネットは光の鎌――マナ・サイズを大きく振り上げ、サブラの背後から突き刺すように振り下ろした。だが、サブラは背中を向けたまま斬撃を何気ない動作で回避すると、先程と同じように得物のロッド部分を掴み、易々とオーバーテクノロジーで作られた超兵器を熱せられた飴細工のように捻じ曲げてしまう。
「今よ!」
だがミネットにとって本命は別のところにあった。彼女が大声で叫んだ時、既に同じく元SACS隊員である伏兵のヴァルキリーは左手でサブラの髪の毛を掴み、右手に携えたナイフをその下の顔面に突き刺そうとしていた。
「くたばんなさいよ! このユダ公!」
そう叫んだヴァルキリーの口にガリル自動小銃の銃口が突っ込まれ、くぐもった銃声と共に頭が爆発するのと、ミネットの顔面に腕を振り解いたサブラの手の甲がめり込むのはほぼ同時だった。
「アルカの淑女たるもの、戦場で汚い言葉を使ってはいけません」
着地したサブラは地面に叩き落されたヴァルキリーの死体に片手間でトドメの銃弾を見舞いつつ、鼻血で顔の下半分を真っ赤にしたミネットに諭すような口調で言う。
「戦争はスポーツマンシップに則り、決められたルールを順守して行いましょう」
落ちていた拳銃を拾おうとしていたミネットの手が軍用ブーツに踏みつけられた。
「放しなさいよ! くそ! くそっ!」
ミネットがいくら力を込めてもサブラの足は微動だにしない。まるで釘で手を地面に固定されたかのようだった。
血で濡れた銃口がミネットの頬に押し付けられる。そしてサブラの人差し指が防錆塗料を塗られたトリガーを引き絞り、地面に赤黒い花を――とはならなかった。
「全くユダヤ人は野蛮で困る。まるでモンゴル人のようだ」
小高い土手の上に現れた少女の姿を見て、サブラは数秒間口を半開きにしたまま硬直してしまった。それ程までに少女は強烈な恰好をしていた。
「はじめまして、だな。サブラ・グリンゴールド中佐。私はバタフライ・キャット」
そう名乗った褐色の肌の少女は黒のマイクロビキニを身に纏い、背部飛行ユニットから蝶めいた羽を左右に広げている。頭には猫耳の飾りが付いていた。
「貴方はジョークですか?」
サブラがそう称したように、左右に通常装備のヴァルキリーを侍らせ、フォアグリップが付いたルーマニア製のAK47自動小銃を持っているバタフライ・キャット――恐らくはヴァルキリーであろう――の肌は殆ど覆われていなかった。
「いや、お前達ユダヤ人が生き残りたいのと同じぐらい私は本気だよ」
「なるほど」
サブラは眼鏡のレンズの奥で目を細める。紫の双眸には疑念の光が湛えられていた。
「タスクフォース599の指揮官である私はモンゴル人や十字軍による蛮行と並び称されるような、徹底的な虐殺と根絶の戦いをユダヤ人に対して仕掛けるつもりでいる」
「徹底的な虐殺と根絶?」
足元のミネットにガリル自動小銃の銃口を向けたまま、サブラはバタフライ・キャットへ冷淡な視線を送り続ける。
「ならば我々は生存を賭けて戦うまでです。ここが戦火の約束された地であることは最初からわかっていました。そして相手がノーベル平和賞に輝くような者達ではないことも」
「流石はユダヤ人。自己正当化の上手さは天下一品だな」
「生き残るために戦い、勝つということがそんなに悪いことでしょうか。偽善者はいつも敗者に貴方は一人じゃないと優しい声をかけます。私はそんな言葉を平気で吐くような者達に虫唾が走るような嫌悪感を覚えます。イスラエル国民はそんな言葉をかけられている自分を想像すると、どうしようもなく惨めで情けなくなるのです。それで慰められるようなことは絶対にありません。我々は慰められるナイーヴな正義の味方になるぐらいだったら、人々に憎まれる程の絶対的な強さを持った悪役になる道を選ぶ。それがイスラエルという、道徳的にも国際的にも正当化された国家とその国民のあるべき姿です」
サブラの言葉を聞いたバタフライ・キャットは酷く満足げに笑う。
「宜しい。それでこそユダヤ人……イスラエル国民だ。グリンゴールド中佐、お手数だが貴殿の上官とお会いしたい。給料三か月分のビジネスについて話をするために」
注1 シャローム学園のヴァルキリー選抜過程。