第二章4
サカタグラードのグリャーズヌイ特別区に作られた第三十二大隊のベースキャンプにはエア・ヤマガタのヘリが朝から晩まで引っ切りなしに飛来し、兵士の誘導で着陸するなり次々に武器弾薬や補給物資をその機体から吐き出していた。
ベースキャンプにある臨時の野戦デポではヴォルクグラード学園軍が廃棄したソ連製の戦車や自走砲の修理作業が急ピッチで進められている。デポの近くに横一列に並んだ教室用のテーブルには山のように石鹸や歯磨き粉といった生活用品が積まれ、第三十二大隊の兵士達はそれらを好きなだけ勝手に持って行くことが可能だった。
「アメリカばんざい!」
ノエルはハーシーズ(注1)のチョコレート・バーを齧り、口内で噛み砕いたそれを缶入りのヌカ・コーラで喉の奥に流し込む。
「ヴィールカ、君は食べないのかい?」
人懐っこい微笑みを浮かべながらノエルは木箱に腰掛けて腕を組むヴィールカにフォートナム&メイソン(注2)のビスケットの箱を放り投げた。
「いらん」
空中で箱をキャッチしたヴィールカはそれを丁寧な動作で脇のテーブルに戻す。
「じゃあこっちがいい?」
ならばとノエルはベンソン&ヘッジス(注3)の煙草を渡そうとするが、またしてもヴィールカは明確な拒否の意思を込めて首を横に振った。
「君も仲間なんだからもうちょっと甘えてもいいんだよ」
「そういうわけにはいかない」
「ヴィールカは硬いなぁ。もっと笑顔でスマイルしなきゃ!」
ウィンクを見せるノエルはアルカに多額の出資を行った資産家の娘として人為的に産み出され、期せずして世界最初のヴァルキリーとなった少女だ。完全にコストを度外視して最高レベルの調整が施された彼女が始めから有していたのは外見の美しさと内面の残虐さだけではなく、プロトタイプの中では初となるマナ・エネルギーとの親和性だった。そして前線に投入されるなりテウルギスト――降霊術師――と呼ばれ、瞬く間にアルカ学園大戦における食物連鎖の頂点に立ったヴァルキリーという存在を手に入れるべく世界各国は湯水の如く資金を投入して自分達のノエル・フォルテンマイヤーを作り出そうとしたが、誰一人として彼女と同等の能力を有する個体が現れることはなかった。
「ふむん」
ノエルは表情を変え、人差し指を口元にあてて唸る。
「実はねヴィールカ……君にドレイク・ルージュ作戦の作戦立案をしてほしいんだ」
「な、なに?」
ヴィールカはガスマスク越しに困惑の声を発する。
「今回のシナリオ、結論だけは考えてるんだけどその方程式が纏まらなくてね」
「……本当にいいのか?」
「うん」
「ノエル、お前はどこまで私に委ねられ……」
ヴィールカは以前ノエルが自分に投げ掛けた質問を、今度は質問者にする。
「全部」
ノエルはヴィールカが言い終える前に即答した。
「わかった。私に任せてくれ」
そしてヴィールカもまたノエルの無茶振りを呑んだ。確かに彼女は狂っているがテウルギストに二言はないこともヴィールカは知っていた。そして何より、ノエルの計画を利用することでヴィールカ自身のプランも円滑に進めることができる。
「アフリカで百万人死んでも誰も気にしないが――」
ヴォルクグラード人民学園の生徒会役員という顔も持つ少女はヌカ・コーラの蓋を開けて飲もうとするが、その直前にガスマスクをしていることに気付き諦めて缶を置く。
「ニューヨークで百人死んだらとんでもない大騒ぎになることを私は知っている」
吐き捨てるように言って去るヴィールカとすれ違いに、今度はエーリヒが「いや、流石に百万人死んだら大騒ぎになるよ」と一人漏らすノエルのところへやってきた。
「僕が立案した作戦計画を本来の指揮官であるノエルが書き換えるのは構わないよ」
話の一部始終を見ていたエーリヒは続ける。
「だけど部外者に作戦立案の全てを移譲するのはOPSEC(注4)の問題がある」
エーリヒは湧き上がる不満と怒りを何とかして押し殺し平静を装っていた。
「ふぅん」
一方で当の批判されている本人は他人事のようにして目の前の少年を見つめている。
「エリー」
「なに?」
「問題っていうのはね、こういうのを言うんだよ!」
ノエルは獲物を襲う猫のようにしてエーリヒを押し倒すと、豊満な胸をエーリヒの顔に押し付けた。臍以外は全て黒と濃緑色に覆われたチェストリグとマナ・ローブを着用しているにも関わらず、彼女の体は実に肉感的な柔らかさを持ち、それでいて非常に軽かった。
直後、エーリヒは手足を激しくバタつかせてノエルを突き放す。
「なんだ! なんなんだ!」
四つん這いになった少年の口から嘔吐物が勢い良く流れ出て地面を汚した。
「ノエルの体、酷い臭いだよ!」
「にゃはは、一週間近くシャワー浴びてないからね!」
「自慢することじゃないでしょ! 君は一体何を考えてるんだ!」
涙目になって激しく咳き込む少年は声を荒げる。
「何にも考えていないよ」
赤い縁取りが付いたマナ・ローブの襟や袖を揺らして立ち上がったテウルギストはくびれた腰に手をあて、全く磨いていないはずなのに真っ白な歯を見せて笑った。
「だって意味がないんだからさ!」
注1 米国のチョコレート会社。
注2 英国の百貨店。
注3 英国の煙草会社。
注4 オプセク。作戦上の機密保全。




