第三章2
「エリーの唇、マシュマロみたいだったにゃー」
エーリヒのファーストキスを奪った七分十二秒後、にやけながらサンキョ・デポ内のテントで支度を進めていたノエルはその入口に不愉快な人影を見つけた。
「おや? 自らを歯車と規定したつまらない女の子じゃないか」
ガリル自動小銃の角ばったマガジンに一発一発七・六二ミリ弾を押し込める少女はサブラ・グリンゴールドを赤い瞳の視界に捉えた。
「それは貴方の主観です」
今年アルカに突如現れた超新星の軍服に引き締まった長身を包むサブラはテウルギストからの悪意を冷淡に受け流しつつ積み重なった弾薬箱に背を預ける。
「私には一つ解せないことがあります」
「へー」
ノエルはドラケンスバーグ学園の生徒達が手土産代わりにSW社へと持ち込んだ南アフリカ共和国製チェストリグにたっぷりと弾丸が装填されたイスラエル製のマガジンを入れながら心底どうでも良いと言いたげな声を発する。
「どうしてエーリヒ・シュヴァンクマイエルはプロトタイプではない『人間』でありながらこのアルカで戦い続けるのでしょうか?」
サブラの問いを受け、自分を歯車と規定している君には理解できないだろうけど――と前置きした上でノエルはかつて本人から言われたことをそのまま話し始めた。
「僕がまだエーリヒと呼ばれていなかった頃、家や家族を失った難民にグレン&グレンダ社が食料を供給してくれたときがあったんだ」
ノエルは手榴弾を緩衝材の入った木箱から取り出してポーチに入れていく。
「その時、僕は大人から無理矢理食料を奪われた子供の姿を見た。彼は食料を奪った相手の姿をずっと睨んでいた」
ノエルは机上に横たえられていたガリル自動小銃を手に取る。
「そこには純粋な憎しみがあった。僕は、この世界の歪みを見たんだ」
最初にレシーバーが外され、
「子供の年齢は多分、五歳か六歳。人を憎むには早すぎる年齢だよ」
次に返しバネが引き出され、
「僕はその後、今の家庭に引き取られて幸せになれた。でも、自分だけが何もせずに幸せを享受することはできなかった」
更にその次に装弾ハンドルが伸ばされる。
「あの子供は今でもこの世界にいる。第二、第三のあの子が今なお生まれ続けている」
更に更にその次に遊底と遊底キャリアーが、
「だから僕は自分も行動しなきゃいけないと考えた」
更に更に更にその次にガスシリンダーが外される。
「そしてアルカを維持することこそ、あんな子を生み出すような世界にしないため、自分にできる、自分にしかできないことだと思ったんだ」
「なるほど。極めて子供じみてはいますが理解はできました」
ガリル自動小銃を組み立て直したノエルにサブラは頷きを送る。
「エーリヒ・シュヴァンクマイエルは確かに人間の屑です。しかし同時に、アルカにおいては珍しく他人に素直に感謝の気持ちを伝えられる存在でもあります。だから例え至らないところがあってもプロトタイプやヴァルキリー達は手を差し伸べたくなり、いつの間にか彼の周りには人が集まる。そんな『人間』が作った組織が優秀ではない訳がない」
ノエルは初めて見るシャローム学園のヴァルキリーの微笑を見て少なからず驚いた。
「私が言っていたわけではありません。私の親友であるS中佐がそう言っていました」
そしてサブラは真剣な表情でSW社の統括本部長に敬礼した。
「ご武運を。皆さんにはこれからも我々に利用されてもらわなければなりませんので」