第二章7
夜の帳が落ちたショナイ平原のあちこちからガス抜けめいた音と悲鳴が聞こえ始める。
暗視装置を装備して水のようにガーランド・ハイスクールの戦線へと浸透したSW社の兵士達はガリル自動小銃に取り付けられたポインターから伸びる不可視レーザーを疲弊し切った兵士に合わせ、機械的な動作でトリガーを引きその安い命を奪っていく。
「そいつは死んでるわよ。置いていきなさい」
真鍮製の空薬莢で埋まりそうな塹壕の中を進むミーシャ・セデンブラッドは力の抜けた仲間に肩を貸して反対側から歩いてきた友軍兵士達を呼び止める。
「撤退するわ。ここでの戦争はもう負けよ」
「待ってください。明日の朝になれば増援が来ると伝令から言われました」
「その伝令、変に訛ってなかった?」
少しの時間――気まずい沈黙の中、遠方で砲弾が炸裂する音だけが響く。
「訛ってたかって聞いてるのよ!」
「訛っていました……」
「やっぱりね。あちこちにイワンと結託したユダヤ人の第五列が紛れてるわよ。私達は完全に包囲されてしまっている」
「じゃあどうしろって言うんです」
「てった――」
直後、四散した兵士の頭から飛び散った血と脳漿がミーシャの顔を著しく汚した。
「あいつらァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
大量の照明弾が西――サカタグラード側のヴォルクグラード軍陣地から打ち上げられ、ミーシャが怨嗟の声と共に夜空を見上げると予想通りの存在が接近してくるのが見えた。
「コンドームを付ければ確実な避妊ができると思い込む。童貞の発想だな」
「はいはいエリーの悪口言わないの」
陸海空における総合的な軍事コンサルタントを生業としているノエルとソノカは空に浮かぶ対ヴァルキリー用阻止気球の濃密なワイヤーの中を掻い潜って突き進む。
「SW社は顧客に対し五つの重要な業務を提供する!」
「一体どれだけ殺せば満たされるのよ!?」
ソノカ・リントベルクが発するロシア語訛りの英語を聞いて怒りの叫びを上げたミーシャは唾を撒き散らして空へと飛び上がる。続いてまだ生き残っているガーランド・ハイスクールのヴァルキリー達が彼女に呼応するかのように包囲網の中から離陸した。
「戦略上及び戦術上の助言及び陸海空各戦闘における一連の高度な訓練」
ソノカは頭に巻いたバンダナを棚引かせながら突進、一気に上昇してきたヴァルキリーとの距離を詰め、通販で購入したナイフにより彼女の頭部を二分した。
「穏健な『説得』による平和維持業務」
「平和ですって? 笑わせないでよ!」
新たなヴァルキリーが上から迫る。微動だにせず迎え撃ったソノカは下から右手のナイフを左へ振るが、肉薄してきた戦乙女が左手に展開したマナ・フィールドで大小様々なリストカット痕が残る自分の手首ごと受け止められた。
「武器の選択と調達についての部隊への助言。そして準軍事的業務」
ヴァルキリーは勢いを利用して右へと移動、その中で右手に持ったBAR自動小銃を発砲する。ソノカは空中で体を左に倒し迫る七・六二ミリ弾を回避すると左手に持ったナイフを振り上げ縦方向の一閃を浴びせ、頸動脈を切り裂いて勇敢な敵を即死に追い込んだ。
「さっすがぁソノカ!」
「くたばれ!」
ミーシャは不用心にも空中で同僚に親指を立てていたSW社統括本部長の顎を押さえ、渾身の力を込めた右フックを見舞う。ぶちりと音を立てて右手小指が千切れたが、彼女にとってはノエルを地面に叩き落とせたことの方が大事だった。
「学園軍が民間軍事企業と契約する上での最大の問題点は、民間軍事企業が契約を破棄したり履行しなかったとしても、依頼主は民間軍事企業とその従業員に対して契約の履行を強制することが法的に不可能であることよ!」
ミーシャは銃剣の付いたM1カービンを逆手に持って地面に広がったクレーターの中央に横たわるノエルを串刺しにしようとするが、意識を取り戻したテウルギストが動物的な動きと共に両手で飛び上がって回避する方が早かった。
「何もわかってない癖に! わかろうともしない癖に!」
着地して地面に仁王立ちになったミーシャは切れた小指からの血を滴らせつつ低空を乱舞するノエルへ大量の鉛玉を浴びせる。
「にゃはは」
ノエルは地面スレスレを左右にスライド移動しながら易々とそれらの銃弾を回避し、その道中で上半身ごと右手を振り上げた。彼女の赤い瞳はミーシャを見ていない。
「なっ……」
地面に立ち上空のソノカを狙い撃っていたヴァルキリーの左頬を思い切りぶん殴ったノエルはそれでも苦悶に顔を歪めながら相手が構えたM1バズーカの砲口を左手で押さえ、右手に持ち直したガリル自動小銃の一撃を胸に浴びせて死亡に追い込む。
「そしてグレン&グレンダ社は仮にSW社が契約を勝手に破棄もしくは履行しなかった場合でも、既にそれを止められなくなっている!」
返り血で全身を真っ赤に染めたノエルが自分に向けて高速接近してくる現実を前にしたミーシャが覚悟を決め、両手に拾い上げたBAR自動小銃を構えたその瞬間である。
「おっとすまない」
「えっ」
いつの間にかミーシャの背後に回り込んでいたソノカは慣れた手付きでミーシャの軍服に全てを焼き尽くす対人焼夷弾を押し入れていた。
「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の教えに従ってお前の服に何かを入れてしまった」
瞬く間にミーシャの華奢で丸みを帯びてはいるがしっかりと筋肉が付いた上半身は地獄の業火に包まれ、周囲には皮膚や髪の毛が焼ける耐え難い悪臭が立ち込めた。
「あーんソノカー」
「はい?」
「あの子は私の獲物だったのにー」
叫び声を上げながらのたうち回るミーシャの前でノエルはソノカに抱き付く。
「結構危なかったでしょう」
「だから楽しいんだよん」
ノエルはソノカの頬に自分の頬を擦り付けて血を舐め取る。
「浮気するとあの童貞社長が自殺しますよ」
「その時はエリーの死体とえっちするだけさ」
場違いな会話を交わす二人は二つのことに気付かなかった。
一つ目はミーシャ・セデンブラッドが完全には絶命していなかったこと。
二つ目はエレナ・ヴィレンスカヤがいつの間にかBFを離脱していたことだった。