第二章2
ヴォルクグラード人民学園の生徒会長室でロシアン・ティーのカップを手にしたマリアは窓外に広がるサカタグラードの学園都市を眺めていた。
時折聞こえるくぐもった爆発音は彼女の王国のどこかで捕虜になった旧人民生徒会の生徒が不発弾を解体、仕分けをしている際に起きる暴発によるものだ。爆発が起きる度に哀れな生徒の手足が本人の意思とは無関係に吹き飛んでいる。
「ノエル・フォルテンマイヤーか」
マリアはフンと鼻を鳴らし、窓を背にしつつ高級品のチェアに腰掛け第三十二大隊関連の書類に目を通すエレナ・ヴィレンスカヤに向き直った。
「敵は許せ。だが名前は覚えておけ――だから奴の名前は覚えている」
エレナの前にある机には先日、何者かによって襲撃を受けた地下物資集積場の内部を写した数枚の写真が散らばっていた。どの写真の中にも手足を切断された兵士の無残な姿が残されている。ただ凄惨極まる写真の中に黒い水着を窮屈そうに柔らかい肉に食い込ませて海水浴を楽しむノエルの写真が何故か混じっているのは酷く滑稽だった。
「第三十二大隊がサカタグラードで行動しているのはまず間違いないでしょう。先日のグリャーズヌイ討伐作戦中、五人のヴァルキリーが旧人民生徒会派以外の手によって死亡しています。加えてリザード迷彩の兵士達を見かけたとの報告が幾つも入っています」
第三十二大隊の兵士達が主に着用するのは緑と茶色がまるで蜥蜴の鱗のように配色されたリザード迷彩だ。戦場に身を投じる際彼らはこの迷彩服を纏い、また不正規の任務を行うが故の報復や情報漏洩を防ぐため黒いバラクラバで完全に顔を覆い隠している。
「ゲルマンスキーは今回の件について何と言っている?」
「シュネーヴァルト学園の生徒会に問い合わせましたが、そのような事実は存在しないと」
「だろうな。第三十二大隊はシュネーヴァルト学園のブラックサイドSF(注1)だ。はいそうですと認めたら逆に怪しいぐらいだろう」
似たようなタスクフォースは存在するとしながらも、第三十二大隊の存在をシュネーヴァルト学園は公式には認めていない。加えて戦車や火砲も他校のものを鹵獲(注2)して使用しているため装備からの特定も困難だった。
「それにユーゴがこの件に関わる理由も存在しません」
マナ・ローブに身を包み、手でハートマークを作っている写真の中のノエルの飛行ユニットから左右に伸びる後退翼にはユーゴスラビアの国籍マークが描かれている。本来はアルカ南東のナンヨー・シティに学園都市を構えるユーゴスラビア社会主義連邦共和国の学園、マリ・ネレトヴァ(小さいネレトヴァを意味する)のものだ。
「黒だな」
「はい」
二人の心に揺るぎない確信が生まれた。下手をすれば国際問題にもなりかねない他校の国籍マークの無断使用を平然と行えるのはアルカ広しと言えど第三十二大隊しか――その指揮官のノエル・フォルテンマイヤーしか存在しない。大方情報撹乱の意味合いでやっているのだろうが、マリアにはその思考が全く理解できなかった。確かに他校の国籍マークを使えば自分達の存在を偽装できるかもしれない。だが仮にそれが明るみになった際に何が起きるかを少しでも想像できれば実行などできるはずがないからだ。
「しかし同志大佐、ブラックサイドSFならこんなにも痕跡を残すはずが……」
「ノエルが我々に見てもらいたくてわざと証拠を残している可能性は考えないのか?」
「もしそうだとしても理解ができません」
「理解できないし知る術もない。相手はテウルギストだぞ」
突然ドアがノックされ、「失礼します」と一人の生徒会役員が入ってきた。
「どうした?」
「大佐にお届け物が」
「そうか」
マリアは小さな唇から輝くエナメル質の歯を除かせてニッと笑う。
「悪いがここに持ってきてくれ」
マリアの言葉を受けた生徒会役員は額に脂汗を滲ませて床に視線を向ける。
「それはやめた方が宜しいかと……」
少し考えてから彼は話した生徒会役員の言葉は正しかった。マリアへ送られてきたアタッシュケースの中身はヴァルキリーの無残なバラバラ死体だったからだ。
「不快な映像がたっぷりあるよ!」
マリアとエレナが同封されていたフィルムを生徒会長室のスクリーンに映し出すなり、カメラにウィンクするノエル・フォルテンマイヤーの声が部屋中に響き渡った。
「じゃんじゃんじゃんじゃーん!」
軽々しい不快感に溢れたノエルの声。彼女が指差して紹介した椅子に縛られているヴァルキリーの左手首は切断され、その断面には血の滲んだ包帯が巻かれていた。
「はいはーい! 何か答えて!」
ノエルはヴァルキリーの頬に平手打ちを見舞う。
「ラリサ・ジノビエフ。少尉。タスクフォース581。678‐45‐2056」
捕虜となったラリサは曲がった鼻から血を出しながら所謂ビッグ4――捕虜になった兵士が答えることを許される、氏名、階級、所属、認識番号だけを口にし、明確な殺意の宿った力強い眼光で傍らに立つ百八十センチを超える長身の少女を睨みつけた。
「今に見てなさい……あんたなんてすぐ捻り潰されるんだから!」
ノエルは汗ばんだラリサの頬を撫で、人差し指で目や鼻、唇に指を這わせる。
「だといいね! でも内心わかってるんじゃないのかな?」
続いて眼鏡をかけたヴァルキリーはラリサの後ろ髪を掴み、
「助けてなんかもらえないってさー!」
自分の額を彼女の額に押し当て、お互いの吐息がかかる距離で言った。
「お口あーん!」
楽しげなノエルの掛け声と共に背後から伸びた別の人物の手が恐怖と絶望に引き攣るラリサの口を無理矢理こじ開けた。
「これはなにかな? なーにかなー?」
ノエルは人差し指と薬指に挟んだ剃刀をカメラに見せたあと、それをラリサの舌の上に置いて口を閉じ、思い切り頬を殴り付けた。パンチが頬を抉るたびにくぐもった悲鳴が木霊し、殴打が終わるなりラリサは激しく咳き込んで血と切断された舌を吐き出す。
「○×△□!」
激痛に顔を歪め、涙と血を撒き散らしてラリサは何やら喚くが、舌がなくなってしまった以上、まともな言葉を発せられるわけもない。
「うわぁ可哀想! ひどいっ!」
ノエルは演技めいた動作で両頬を手で覆う。
「でも大丈夫! 今から手も足も内臓も全部バッラバラにしてあげるからね!」
そこからは単に悪趣味なスナッフフィルムだった。
「エレナ」
「はい」
「午後の予定は?」
真っ赤に染まった画面から生きたまま解体されるヴァルキリーの悲鳴と耳障りなチェーンソーのモーター音が響き渡る中、顔色一つ変えずにマリアは問うた。
思わずエレナは「えっ」と困惑の声を上げてしまう。
「『えっ?』、『えっ?』ってなんだ」
直後、唐突に激怒したマリアの右の拳がエレナの顔面にめり込んだ。
「午後の予定はどうなっているかと聞いてるんだ!」
倒れたエレナは頬で床の冷たさを感じる。
「えっ……あっ……」
「ぶち殺すぞ!」
一瞬にして蒼ざめたエレナは先端で結われたプラチナブロンドの髪を揺らしながら慌てて立ち上がるなり手帳を取り出し、恐怖と動揺に震える声で暴君に午後の予定を伝えた。
「最初からそうしろ。亀かお前は」
「申し訳ありません……申し訳ありません……」
エレナは口端から血を流しつつ立ち上がり、舌打ちしながら荒々しい足取りで生徒会長室を出て行くヴォルクグラード学園軍大佐についていこうとする。
「おい」
マリアは振り向き、
「血は拭いておけ。私がお前を殴るわけないじゃないか」
爽やかな笑顔を浮かべてそう言った。
注1 秘密任務を行う特殊部隊。
注2 ろかく。敵の兵器を手に入れて使うこと。




