day 9
地上の王国に年若い騎士がおりました。平民上がりの騎士。その剣を以て騎士となった武の人でした。王国でも五指に入る強さを持つ騎士様です。
そんな経歴にありながらもうら若い乙女のような端麗な容姿を持ち、線は細くとても柔和な笑みは騎士とは思えないほどです。
そのおかげか、民衆から多くの指示を得ているいわば人気者です。そんなわけで当然のように貴族には恨まれているわけなのですが、王族としては民衆に愛された騎士というのは実に好ましいのです。
なぜならば、民衆を大切にして頑張れば誰でも道が開けるかもしれないと思わせることができるからです。つまり評判がよくなるわけです、王族の。
そんな男は、将来は姫の護衛とすら称された男でした。名をモートラックと言いました。サーの称号がありますゆえ、サー・モートラックが彼の通称になります。
しかし、彼のそんな道は閉ざされてしまいました。王族暗殺。それによって、王女もまた行方不明になってしまったのです。
モートラックが遠征に出ていた時のことでした。遠征から帰還したときには全てが終わっていたのです。今、王国はその王女に忠誠を捧げていた男が王座についています。
王女の兄のような人物であり、一応は、継承権も持っていました。特に大臣たちからの問題が起こることもなく王座に就き、王国を運営しています。
「よく帰りましたサー・モートラック」
「有りがたきお言葉。時に陛下、王女殿下の捜索は、行われないのですか」
「……ええ、捜索は行われません」
「なぜです」
「どうやら下手人はアビスに逃げたようで。我らでは手の出しようがないのです」
「わかりました――陛下。では、私は剣を返還しましょう」
誰もが謁見するモートラックの言葉に耳を疑います。剣を返す。それは自らが積み上げた地位を返すということです。
これまで平民と貴族にののしられながらも武で認められたその全てを捨てると言っているのです。
モートラックからすれば、騎士の位など必要もないものでした。彼が目指したのは王女の守護者です。竜と称された騎士となり、将軍も夢ではないと言われていましたが、そんなことは些細なことです。
彼女はただ一人王女を守りたかった。ゆえに、王国として捜索すらできないのであれば、騎士位を返上し、一人行くまで。
それゆえの剣の返還でした。
「――――」
王もまた驚きます。まさか、そのような言葉を言われるとは思ってもいなかったようです。しかし、すぐに毅然とした態度に戻ります。
「わかりました。今までよく仕えてくれました。前王に代わり感謝をサー・モートラック」
「はっ。では、これにて」
モートラックは謁見の間をあとにし、自らの自宅に戻ります。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
メイドが出迎えます。
「ああ、皆を集めてくれ」
「かしこまりました」
すぐに使用人たちが集められます。皆、モートラックからの言葉を待っています。
「皆にひまを与える。これからの仕事先は、オレ団長にお願いしてあるゆえそちらに行ってもらいたい」
突然の解雇に皆言葉がありません。いったいどうしたというのでしょうか。しかし、何かあるのです。モートラックに仕えている使用人たちは彼の顔を見て確信します。
何かを為そうという顔です。こういう時の主には何を言っても聞かないでしょう。皆、深々と礼をしてその場を去ります。
それからモートラックは旅の支度を整えます。騎士の鎧を脱ぎ捨て動きやすい服装になり、剣を腰に帯びただけです。
もとより平民。騎士の鎧を着るよりもこちらの方が慣れていますし、何より動きやすいというのは重要です。アビスがどのような場所かはわかりませんが、地獄とすら称される場所です。鎧が役に立つ場所とは思えません。
それならばむしろ回避をできるように身軽になる方がよいでしょう。そういうわけで、軽装にします。準備を整え屋敷をでます。
何年も住んだ屋敷に別れを告げて、彼は城へと続く道を歩きます。すっかりと夜遅くなってしまいました。辺りは真っ暗ですが好都合でしょう、アビスに行こうとするのですから。
城へと忍び込みます。王女と何度か抜け出したことがあるので抜け道を知っているのです。そして、アビスの入り口まで、何人かの衛兵を昏倒させつつ見つからないように忍び込みました。
「――今、参ります」
そして、アビスへと至るゴンドラに乗りアビスへと降り立ちます。何かを超えた寒気を感じますがすぐにそれは去り、黄昏時のような幻想的な光に包まれた地の世界が近づいてきます。
どれほどの時間が流れたでしょうか。延々に降下し続けるゴンドラも次第に地面が近くなってくると止まります。
モートラックは、街の中心にある塔の中に降り立ちました。
「おや、今日はまだゴンドラが来るには早い時間だが」
ゴンドラから降りるととそこには老人がいました。どうやら管理人のようです。連絡もなくゴンドラが動いたので気になって出てきたのでしょう。
「騒がせて済みません」
「おやおや、上から人が来るとはいついらいかのう」
「ここは」
「交易都市じゃよ。上とのな」
「なるほど、ここが」
うわさに聞いた交易都市。地上とアビスとの交易所です。このアビスに存在する都市の中でも一二を争う大きさであるとモートラックは聞いていましたし、ご老人もそう言っています。
ご老人に別れを告げて、街へと出ます。活気あふれる都市でした。王都に匹敵するほどの都市です。いいえ、あるいはそれ以上かもしれません。
しかし、活気以上に問題も多いように見えました。わかっていた通り法律がないのです。力が全て。力ある者がのさばっているようです。
力があれば善。力がなければ悪。ここはそういう場所でした。気に入りません。こんな世界に王女殿下をいつまでも一人でいさせるわけにはいかない。そう決意しモートラックは情報を収集すべく都市を歩き回ります。
しかし情報は何も得ることができませんでした。時には力を示すこともしましたが結果は空振りです。誰も、そんな下手人たちのことなど知らないとのこと。
だから困ってしまい、これからどうするかを考えているとキセルを咥えたそれは大層美しくどこか怪しげな雰囲気のある男が話しかけてきました。
「……ふむ。そこな御仁」
「…………」
「君だよ、地上から来た騎士殿」
「何者です」
「なに、しがない旅芸人だとも」
男は旅芸人のギムレットと名乗りました。
「では、ギムレット殿。私に何用か」
「なに貴方は大層困っているご様子。私で良ければ力になれればと思ったまでのこと」
「…………」
「信用できないかね。だが、私は貴方の力になれると思うのだがね。なにせ、旅芸人だ。顔が広く情報を持っている。違うかね?」
「良いでしょう。貴方からは少なくとも邪な気配は感じない。ただのゴロツキたちとは違うようです」
しかし、信用まではできないとモートラックは思います。
「それでこそだサー・モートラック。さすがは騎士という者かな。さすがは忠節の者とのうわさは本当らしい」
このように名乗ってもいないはずの名、しかもサーの称号付きで呼ぶような男を怪しまずにはいられません。ゆえに信用だけはせず剣だけは抜けるようにしておきます。
「して、私の手助けができるというが」
「ああ、探し人の場所を私は知っているのだ」
「なんと! では教えて抱けないでしょうか」
「ふむ、教えることは構わぬがそこはアビスの辺境。人の寄り付かぬ未開の地。クォ・ヴァディスの中でも最も美しく残酷な森の渦中だ。一人で行くのはいささか困難極まる」
「なんであろうとも剣を預けた主の為であれば」
「しかし、無駄に命を捨てることはあるまい。其方ほどの御仁であれど道程は辛く険しいものになるだろう。それに――ふむ、まあ、それは実感してもらった方が良いとして、私が手助けできるというのは探し人の居場所を知っているだけではない」
そこまで言われればこのギムレットが何を提供できるかをモートラックは察することができます。探し人、つまりは王女の居場所だけでなく、この男はそこに至るために必要な戦力すらも提供すると言っているのです。
願ってもないことでしょう。この地について詳しい者と戦力が手に入るのであれば誠、願ってもないことです。
しかし、モートラックは腑におちません。なぜそこまでしてくれるというのかわからないのです。理由がわからなければ信用などできませんし、何よりこの男何を隠しているのかわからない。
少なくとも殺されるといったことはないでしょうが、進んで手を結んでよい相手とも思えないのです。ゆえに、モートラックの判断は決まります。
「ありがたい申し出ではあるがお断りします」
確かに断るには惜しい話です。ですが、無駄なリスクを負うこともありません。何より自分の実力がどの程度であるか自分で判断していないのです。
これでも王国では五指に入ると称された騎士です。自分の実力にはそれなりに自負があるのですから当然でした。ゆえにまずは行ってみる。それが彼の判断です。
「ふむ、真、それもまた確からしいとは思うが、このアビスにおいて過信は身を亡ぼす一因になりうるのだ。確かに其方ほどの使い手であれば問題はあるまい。しかし、クォ・ヴァディスは尋常の場所ではない。人智の及ばぬ場所。アビスに来て間もない卿では対処できぬ魔性もあると思うが」
「それでもだ。これは私がやり遂げねばならぬこと」
「であればこれ以上は要らぬお節介であるか。だが、紋を開いておらぬ其方でどこまで行けるものか。まあ、愚者は経験に学ぶという。誰もが賢者であれば先人に学べるが。其方は愚者でないことを祈るとしよう。なに、私はしばらくはここにいる。何かあればまたここに来ると良い」
「ええ、ではまた」
ギムレットと別れ、モートラックは辺境までの地図を買い都市をでます。薄暗い大地。時を知る術はなく今が昼なのか夜なのかもわかりません。荒れ果てた大地がどこまでも続き地図がなければどこに進んでいるのかもわからなくなりそうです。
何より、重苦しい瘴気が漂っているのです。身体の重さを感じていました。そして、
「……どこまで追いかけるつもりですか」
黒装束に身を包んだ何者かが追ってきているのです。その集団は同一の黒衣を身にまとい仮面をかぶった集団でありました。
どいつもこいつも武装しており、ならず者といった風ではありますが、街のゴロツキとは格が違うことをモートラックは感じ取っています。
強い。少なくともかなりの使い手たちです。暗殺者集団。そう表現するのが正しいと思われました。
「王族殺しの下手人ですか……」
「…………そう思うのならそうなのだろうな。ここに命を差し出すが良い。さすれば我らは仕事を終えることができる。貴様は、我ら鬼哭衆とことを荒立てなく済むが」
「お断りします」
「そうか、あくまでも鬼哭衆と争うか。であれば、その命、頂戴するとしよう」
「それも断ります」
剣を抜き五人の黒衣の男たちが向かってきます。
「――翔剣祇煌・白華」
抜き放たれた剣が飛翔するがごとく舞迫る鬼哭衆の兵を切るべく、モートラックは駆け抜け敵へと肉薄します。剣を構え踏み込みと同時に突き入れ、薙ぎ、袈裟へと斬撃を接続し見舞い兵の半数を切り伏せました。
翔剣祇煌。モートラックが異国にて習得したとされる東域の刀剣技巧にして、彼が最も好んで使うとされる流麗なる剣。
変幻自在にして夢幻の如き神速の剣ゆえ、それを見たものはほとんどいないとされています。理由は、無論、見れば最後伝えることなく相対した敵は死ぬからです。
「ほう、なるほど」
「残りはあなただけですが、まだやりますか?」
「はは。私だけ? まさか」
「む――」
倒したはずの敵が立ち上がります。確かに切った感触があったというのにです。モートラックは驚愕を禁じ得ません。
その様に一人高みの見物を決め込んでいた鬼哭衆の男が嗤う。
「確かにすさまじい技量よな。しかし、理なき剣には我らもアビスの何物をも切ることはできん。では、現実を教えて差し上げよう」
「く――」
氷の上を滑るように地面を駆ける鬼哭衆。その速度は先ほどまでの比ではなく。モートラックであれど目で追うことすら叶わぬほどの速度でした。
そこから放たれる剣もまた然り。焔、水、風、雷。数多の自然現象を纏った超常の剣がモートラックを襲います。
いかにして剣の技巧優れた武人であろうとも、超常の前には技巧を振りかざしても児戯に等しい。何より、モートラックに及ばぬとも鬼哭衆もそれなりの使い手。
技巧に超常が溶け込み、その剣はまさしく必殺となりうるほど。それを紙一重で捌くモートラックの技量に鬼哭衆も感心するがそれだけだ。
所詮は理なき剣。鬼哭衆には届き得ない。
「ぐ――まだだ、倒れぬ。殿下を見つけるまでは――!」
「その願い叶わぬよ。いいや、叶えるのもまた慈悲。あちらで再会すると良い。サー・モートラック。我が名を抱いて逝くが良い。我は鋭鎖剣陣――ブライ。往生するがよい」
鎖剣を構え面を取り見得を切るブライ。それとともにほとばしるは理の輝き。それはモートラックに見ることが叶わぬ輝きでありました。
体調がちょっと悪くて次回の更新が遅れるかもしれません。