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day 4

 この美しの森のような幾層にも重なった穴のような領域のことをニンゲンさんは思い出しました。人々はこの美しの森のような場所をクォ・ヴァディスと呼びます。

 アビスにいくつも点在する謎の多い領域で、そこからは力ある品物や不可思議な品々が多く出土します。そういった価値あるものを求めて多くの人々がこの魔境に挑むのです。


 アビスに送られた人々、または好き好んでこの地獄に行く人々はそれらの財宝を求めていることが多いのです。

 ですが、それだけではここは地獄足り得ません。無論、アビス落としという言葉がある以上、ここはそのような場所なのです。行けば戻れず、帰れない地獄。それがアビスという場所です。


 理由は単純、行けば最後帰ることがほとんど不可能だからです。物品、命なき品を送ることはたやすいですが、命あるものは送れません。

 アビスの空には大穴があり、そこが地上とつながっています。本来は設置されたゴンドラによってアビスの地上まで降ろされます。


 問題はそのゴンドラがアビス側からは動かせないということ。また、命あるものが再び上に上がろうとすれば死ぬということです。

 ですが戻れないということだけ許容すれば慣れた者にはここは天国でしょう。法律はありません。ここでは力が物を言うからです。言わば力こそが法律です。


 力が強くより高価な出土品を持ち替えることができたものはそれがどのような人物であれ英雄と呼ばれ敬われることになります。

 様々な特権が与えられ、元の地上において底辺の犯罪者であれど、このアビスであれば王侯貴族のような扱いすら受けることができるのです。ゆえに落とされたところで何も問題はないのかもしれません。


 基本的にそんな事実を地上のニンゲンは知りません。彼女が知っているのはその出自故ですが、それもまた詮無き事です。

 重要なのはこのアビスにもニンゲンはいるということ。助けを求めることが出来れば、助けてもらえるかもしれないということです。


 甘い考えと笑うことはできないでしょう。ニンゲンさんにはもう、そのような藁にでもすがるしかないのです。偶然ニンゲンが通りかかり、彼女を助けてくれるというわずかな可能性に賭ける以外にありません。

 スライム君のことは見ていませんでした。何もしないのならばニンゲンさんはなにもしないつもりです。得体のしれない何を考えているのかもわからないような生物です。触れない方が得策でしょう。


 たとえそれが助けてくれたのかもしれない存在であってもです。ニンゲンさんは手放しにそんな存在を信じることができません。

 いつ食べられてもおかしくない弱者です。動くことも抵抗することも逃げることもできません。ならば下手に触れて刺激しない方が良い。そういう判断でした。


「助けてもらったら、地上に。いえ、戻れませんわ……いいえ諦めてはいけませんね。きっと何か方法があるはず」


 見えもしない希望に縋って、ふとニンゲンさんは気が付くのです。


「戻って? 戻って、どうしますの…………?」


 ニンゲンさんは、愕然としました。何もないのです。戻ったところで何もない。何もわからず、何も出来ない。落とされた理由すらなにかあったのではないか、そう思ってしまうのです。

 それほどまでに、ニンゲンさんの中で()は、大切な存在だったのです。落とされた怒り、自分の四肢を奪った怒りは確かにありますが、やはり思ってしまうのです。何かの間違いではないのかと。


 戻って理由を聞く? それがどれほど馬鹿なことか子供でもわかるでしょう。聡明なニンゲンさんも本当はわかっているのですから。

 では、憎き相手に復讐をしますか? 反応としては妥当でしょう。しかし、復讐という言葉は自分には酷く遠いものであるとしかニンゲンさんには感じられませんでした。


 結局のところニンゲンさんは、ただ決めることから逃げているだけなのです。だから、動けません。もとより動けないのですから動けなくて当然なのですが。

 だから苦労して体を捻りぼうっと洞穴の外を見つめます。美しい景色がそこには広がっています。ニンゲンさんにはもう一生届かない景色でした。


 スライム君は、変わらずニンゲンさんの前にコノンの実を差し出します。しかし、ニンゲンさんは反応してくれません。息をしているので死んではいませんが動きません。

 スライム君は考えます。ニンゲンさんが動かなく食べないのは、コノンの実が気に入らないからなのかもしれません。では、スライム君はどうすべきでしょうか。


 そうですね。決まっています。スライム君は、またニンゲンさんが食べられるものを探しに行くようです。スライム君は体を震わせて、待っているようにニンゲンさんに言って洞穴を飛び出します。

 七色に輝く虹の湖の畔にスライム君はやって来ました。さて、意気揚々と飛び出してきたは良いですが具体的に何を探せば良いかスライム君はわかっていません。どうするのでしょうか。


 おや、スライム君はどうやら水場に集まっている水を偏食しているブルースライムに話し掛けるようです。スライム君は体を震わせて友好を示します。

 ブルースライムさんもスライム君に気がついたようですね。同じ仕草を返してくれます。それから、


「それで、何の用?」


 ブルースライムさんがプルプルと体を震わせて問いかけます。


「ニンゲンさんの食べ物知らない?」 


 どうやらスライム君は、ニンゲンさんの食べ物がわからないから他のスライムに聞くことにしたようです。ブルースライムさんはニンゲンさんが食べるものを知っているでしょうか。


「ニンゲンさんの食べるもの? 知らないわ」


 あらら、残念。ブルースライムさんも知らないようです。


「でも、ニンゲンがよく通る場所なら知ってる」

「教えて!」


 スライム君はブルースライムさんからニンゲンが良くいる場所を聞きました。早速、教えられた場所に向かうようですね。どうやらスライム君、ニンゲンを観察して食べるものを調べるようです。うまくいくでしょうか。

 スライム君は茂みに隠れてニンゲンが通るのを待ちます。ニンゲンが通ったらその後をついて行って彼、あるいは彼女らが食べるものを見るのです。スライム君にしてはいい考えでした。


 さて、いつになれば来るでしょうか。スライム君は待ち続けます。どれくらい待ったでしょうか。アビスには陽の光がないため時間がわかりませんが、妖精光が少なくなってきたということは夜が近づいてきたということです。

 今日はもうニンゲンは通らないかも知れません。帰ろうか。そうスライム君が思った時です。がさり、と音がしました。スライム君はすぐに教えられた道を見ます。


 ニンゲンです! ニンゲンが六人ほど歩いてきています。大荷物を背負い、それぞれの装備で身を固めた六人組です。四人の男に二人の女の一団です。

 見れば彼らの様子は既に何度か戦闘を行い、苦労してここまで来たという風です。朝からこの美しの森に挑みようやくここまで来たのでしょう。


 彼らの胸には、くすんだ銅製の時計が見えます。この美しの森を含めたアビスのクォ・ヴァディスを探索する者の証であります。

 時を知ることのできないアビスやクォ・ヴァディスの深層において時を知るためにそれは時計の形をしているのです。また、それ自体に使われている素材が持つ者の実力を示しています。


 序列に用いられるのは金属です。

 タマゴのからのついたひよこたる見習いの銅。

 たまごのからが取れて半人前と認められた鉄。

 一人前と認められ教えられる子供を卒業し真にクォ・ヴァディスを探索することを許される鋼。

 師範代と称され自らの技術、探索の技術を誰かに教えることを許可された銀。

 達人の領域に至った黄金。

 そして、黄金より上に伝説とすら称される最高位の探索者――虹。


 虹は、このアビス原産の虹色鋼と呼ばれる見る角度から輝きを変化させる特殊な鉱石で作られた時計を所持しており、人々から畏怖を込めて呼び名が付けられるほどの伝説級の存在です。

 見ての通り、良質になるにつれて実力が高いという証であり、探索できる範囲やクォ・ヴァディスの数も変わってきます。


 銅の時計を持つ彼らは銅で作られています。つまり彼らは見習いということになります。実力者であればスライム君は見つかっていたでしょうが相手は見習い。

 スライム君は見つかることなく彼らは目の前を通り過ぎていきました。こっそりと彼らのあとをついて行きます。


「そろそろ休む場所を見つけた方が良いと思うんだ」


 白の法衣に身を包んだ長身で優し気な少年がそう言います。彼がリーダーなのでしょう。時間を確認してそろそろ夜になるということを確認してからパーティーにそう提案しています。


「おいおい、なんだよ、もうちょい行こうぜー」


 その反対するのは見るからにチャラいお調子者っぽい少年です。自分に相当な自信があるようですね。美しの森の表層を踏破したことで更に自信もついたことで自分にできないことはないと思っているようです。

 だからこそ、こんな場所で休むよりももっと先に行こうぜと提案します。もちろん、それに賛成するものはいませんでした。


 何度も戦闘があったはずです。美しの森の表層には様々な生物がいます。表層の中間、これから夜になるとすれば入り口付近よりももっと恐ろしい生き物が襲ってくるはず。ここで休まずに行けばどこかで必ずそのツケを支払うことになるでしょう。

 腹も減ります、疲労もあります。休みは必須でした。だからこそ誰もこのお調子者には賛同しません。お調子者は不満そうですが、多数決です。ひとりでこの先に行けるとは思っていませんでのここはチームに従います。


 そんな一団は少し進んだところにある川の近くで野営することに決めたようです。荷物を置いててきぱきと準備をしていきます。

 スライム君は気が付かれないようにこっそりとその様子を見ています。


「それじゃ、わたし、探してくるなー」


 そんな中、弓を背負い髪を括った少女がそう言います。ニンゲンの言葉がわからないスライム君には何をしているのか理解できませんが、彼女はこれから獲物を探しに行くようです。

 弓に弦を張り、矢を確認します。


「肉、肉を頼むぜ!」

「ほーい、任せてなー」


 そう言って彼女は野営地をでていきます。スライム君はついて行くか迷いましたが、下手に動くと見つかりそうです。

 近くの茂みには触れると音がなるような罠も仕掛けられています。ついて行くのは厳しそうですし、何よりもうあの少女の姿はどこにも見えません。追い掛けられないので、スライム君は野営している集団を見ます。


 何をしているのでしょうか。草や木の枝などを集めて硬い石を打ち付けています。しばらくそうしていると、ぼうっ! と火がおきました。

 どうやら火をつけていたようです。スライム君は思わず後ずさります。火はスライム君の弱点でもあります。しかし、火が付くとニンゲンたちは安心したように落ち着いた雰囲気になります。言葉はわかりませんがそういった雰囲気はわかります。


 ニンゲンは火があると安心する。重要な知識です。帰ったら自分もやってみましょう。ニンゲンさんが何か反応をしてくれるかもしれません。

 それから水を汲んできて火にかけています。何をしているのでしょう。よく見えません。スライム君は木の上に上ります。そこから見ると水がぶくぶくしてます。


 ニンゲンはそれを火からおろすと冷ますようです。冷ましてから飲んでいますね。どうやら川の水をそのままでは飲まないようです。

 これもスライム君は覚えます。ニンゲンは水を飲む時に一度水を火にかける。なんでそんなことをするのかはわかりませんが覚えました。


「それにしても、遅いな……」


 さて、それからいろいろと何かニンゲンが動いているのを観察していたスライム君ですが、狩りに出た少女が戻ってきません。仲間たちも心配しているようです。

 おや、茂みから音がしますね。先ほどの少女が戻ってきたのでしょうか。どうやらそのようですね。何やら様子がおかしいですが先ほどの女の子が茂みから顔を出します。


「もー遅いよー、心配したんだから――」


 もうひとりの女の子がそう音が鳴った茂みを見て迎えようと声をかけた瞬間、固まりました。そこには少女がいました。ええ、間違いなく少女です。

 ですが、その全身は真っ赤に染まり、首から下がぷらんぷらんと揺れています。見えない糸のようなもので釣り上げられているようです。


 つまり死んでいる上に何者かに吊られているということになります。十中八九、肉食性の生物による襲撃でしょう。

 悲鳴を上げる前にその状況がわかりません。唐突に訪れた惨劇の光景に見習いたちはうまく動けないでいました。


 それでも、その状況をいち早く察知したリーダーが声をあげようとしますが、もう遅いのです。こうなってしまった時点で、既に彼らに生きる選択肢などないのですから。


「え――?」


 リーダーの少年の首が取れてごろごろと地面を転がります。血が勢いよく吹き出し赤い雨が降り注ぎます。隣にいた大男の足元に転がったリーダーの顔は驚愕のまま固まっていて大男の顔を見上げています。

 視線が合います。うつろな、なにも移さない空虚な目は濁り、もはやそこに生きていた頃の息吹は感じられません。


 それが彼らが見た最後の光景になります。他の仲間たちも同様に首を斬られてしまいました。背後から何かに襲われ首を狩り取られ絶命です。

 ゆっくりと現れたのは八足の生き物でした。大きなクモです。アラクネ、ニンゲンにそう呼ばれる生き物です。表層において二番目に注意すべき肉食獣でしょう。


 しかもその女王のようです。ヒトを模した器官をもつ女王がいます。なんということでしょう。ここは彼女らの領域(テリトリー)であったようです。

 ニンゲンたちを殺したのは女王の子らのようですね。小さな子供たちが肉に群がっていきます。すぐにニンゲンたちは骨だけになってしまいました。


 弱肉強食。弱いものは食われる。これがこの美しの森の摂理です。例外はありません。

 そして、女王の眼がスライム君を捉えました――。

世界は厳しい弱肉強食なのです。


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