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day 3

 ニンゲンさんは夢を見ていました。それはとても懐かしい夢です。昔のまだ何も知らなかった子供の頃の夢。楽しい、何も知らない子供時代の夢です。

 懐かしいですね。ニンゲンさんもなつかしさを感じています。子供時代のニンゲンさんが楽しそうに走っています。ええ、とても楽しそうです。


 しかし、突然そんな楽しい光景は終わりを告げて全ては暗く深い奈落へと堕ちて行きます。ニンゲンさんは何かをつかもうとしますが、何も掴めません。

 なぜならば、ニンゲンさんには両手がなかったからです。いいえ、両手だけではありません。両足もありません。両手は肩から、両足は太ももの半ばから切られてなくなってしまっていたのです。


「あ、ああああああああぁぁぁ――――!!!」


 ニンゲンさんは絶叫します。大きな大きな声でした。あるはずのものがなくなって、アビスという地獄に落とされたということを思い出したのです。

 絶叫とともに目覚めるのも当然でした。目覚めて目にしたのは見たコトもない洞穴の岩の天井でした。わからない状況。わからない場所。何がなんだかニンゲンさんにはわかりません。


「……こ、こ……は……」


 その声にスライム君も慌てて飛び起きます。スライムも眠ります。正確に言うと眠りというより活動休止時間ですが、そんな時間があるのです。

 それがニンゲンでいうところの眠るという行為です。だから、反応も一緒。スライム君は、ニンゲンさんの声に驚いて飛び起きてしまいました。


「どこ……」


 また、ニンゲンさんの声がします。ニンゲンさんが目覚めたようです。大きな声を出したのだから目覚めているのは当然でした。

 スライム君は目覚めたニンゲンさんの前にコノンの実を持っていきます。きっとお腹を空かせていることでしょう。数日どころか一つの季節を眠って過ごす動物がいることをもスライム君は知っていました。そんな動物たちは起きたらまずは食べ物を探します。理由はもちろんお腹がすいているからです。


 だから、ニンゲンさんもお腹がすいていると思ってスライム君はコノンの実をニンゲンさんに差し出します。


「な、に……?」


 ニンゲンさんは目の前に出て来た果実に戸惑い驚いているようです。それも当然でしょう。ニンゲンさんはスライムを見たことがありませんでしたし、なによりどうして自分が生きているのか、今この状況すらも把握できていないのです。

 本来ならばここで誰かが説明などしてあげるべきなのでしょうが、残念ながらスライム君はニンゲンさんの言葉がわかりません。当然しゃべることなどできないので、ニンゲンさんに説明してあげることはできないのです。


 スライムのコミュニケーションはぷるぷると体を震わせることです。だから、必死にニンゲンさんに食べていいよという風に身体を震わせますが、ニンゲンさんには伝わりません。


「え、え……」


 そもそもニンゲンさんはそれどころではありません。両腕がありません。両足がありません。それはつまり、立つことは当然ながら自由に動くことすらほとんどできないということです。果実を差し出されたところでそれを受けとることも、払い除けることも出来ないのです。

 ニンゲンさんは、どうして良いかわかりません。頭の中はめちゃくちゃのぐちゃぐちゃです。なぜ四肢を切り落とされたのか。なぜアビスに堕とされてしまったのか。


 ニンゲンさんにはなにもわかりません。いいえ。わかっているのです。ですが、ニンゲンさんはそれを認めたくないのです。

 捨てられた。そういうことに。ただ利用され、口封じのために捨てられたことを聡明なニンゲンさんは気が付いています。しかし、往々にしてニンゲンというものはそういうことを信じたくない生き物です。


「なんで……」


 だからニンゲンさんはわからないふりをするのです。何か理由があったのだと自分の中で、勝手に逃げ道を作り出して。それがニンゲンという生き物なのです。

 スライム君には一切わからない概念です。そもそもニンゲンさんが言っていることなど何一つ理解していません。スライムとニンゲンはそれほどまでに遠い種族なのです。


 しかし、いつまでもニンゲンさんはそうしていられません。これからどうするかを考えなければいけません。

 怪我は治療されている。見れば傷口には目の前のニンゲンさんの認識で得体のしれない物体であるところのスライム君と同じものがくっついてコーティングしています。


 痛みはなく、むしろそれが傷口を塞ぐのに一役買っています。何度も言いますがニンゲンさんは、アビスに落とされる前の立場から非常に賢く聡明です。

 ニンゲンさんはそのことから目の前の生物が治療してくれたのではないかと思います。今も、目の前に何やら食べられそうな果物を置いてくれていることからも危険はないように思えます。


 ですが、ニンゲンさんは素直にそれを信じられません。ニンゲンさんはアビスに落とされたのです。大切な人の裏切りでした。

 そのためニンゲンさんは他の存在を信じることができません。特に、それが人の形をしていない異形だとしたらなおさらでしょう。ただのゼリーのような生物ですので恐怖などは感じませんが。


 言葉を交わすことのできない生き物をどうやって信用すればよいのでしょうか。答えは簡単です。信用なんてできない。ニンゲンさんはそう思っています。

 その果物ももしかしたら毒が入っているのかもしれません。もしくはお伽噺の中にあるように太らせてから食べるのかもしれません。


 ニンゲンさんは自分の身を守ることができないのです。四肢を失い、一人では動くことすらできません。かろうじて転がることはできます。這いずることもできるでしょう。

 ですが、ここはアビスです。地獄と言われるアビス。罪人を放り込む廃棄場とすら言われている場所です。そんな場所でこんな状態で生きていけるなどニンゲンさんには思えなかったのです。


 つまるところ何をして良いのかわかりませんでした。


「どう、すれば……」


 いつもなら教えてくれる人がいます。ですが、今は誰もいません。ここにはスライム君以外いません。自分で考えなければいけません。


「助け、助けは……」


 助けは来ないでしょう。ここは地獄ともよばれる世界アビスです。知り合いなどいるはずもなく、こんな場所まで助けにきくれるような知り合いに心当たりはありません。

 助けに来てくれそうな両親は殺されてしまいました。ニンゲンさんを助けに来る人は誰もいません。助けは来ません。


 アビスに落とされた時点で、ニンゲンさんの運命は死ぬ以外にありませんでした。もとよりアビスに落とされた場所は高所です。

 空からの落下。普通なら死にます。かろうじて生きていても、意味はありません。すぐに死んで獣に食べられていたでしょう。


 だというのにニンゲンさんは助かってしまったのです。それが幸運だとすればなんとも残酷なことです。なぜならば、ニンゲンさんは動くことができないのです。

 悪意ある動物やニンゲンがいたのなら、とっくの昔に餌になるか、辱められ殺されているかの二択しかありませんでした。


 それが何の間違いか助かってしまったのです。それを幸運と呼ぶには残酷すぎます。死んでいた方がマシなのです。

 何も考えなくてよく、何も心配する必要もないからです。それがたとえ逃げだとしてもニンゲンさんからすれば遥かにそちらの方がよく思えました。


「死んで、いれば……」


 頭の中は何も変わらず、ぐちゃぐちゃのめちゃくちゃです。体はぼろぼろです。生きている理由などありません。生き続ける理由もありません。

 こんな状態でどうやって生きろというのでしょうか。生きる意味もなく、生きる理由もなく。誰かの助けがなければ生きられない惨めな生き物になり果ててしまいました。


 何度も言いますが死んだ方がマシだと思っています。はい、そうです。いっそのこと死んだ方が良いとすらニンゲンさんは思っています。

 ですが――。


「死にたく、ない……」


 ですが、彼女が死ぬことを考えた時あふれ出したのは涙でした。体は勝手に震えます。ニンゲンさんは死にたくないのです。生き残ってしまった。

 生きる意味も、理由もありません。しかし、生きているのなら死にたくないと思ってしまうのです。それがニンゲンという生き物でした。


 そんなニンゲンさんの様子を見てスライム君は慌てます。急に泣き出してしまったニンゲンさん。泣くという行為は痛いという証拠です。

 どこが痛いのでしょうか。スライム君にはわかりません。なので、調べようと腕を伸ばします。にゅるりと腕を伸ばしてニンゲンさんの体を調べようとします。


「な、なんですの……? やめて、こ、こないで――」


 ニンゲンさんは暴れます。スライム君から離れようともがいていますがうまくいきません。スライム君は彼女が怖がっていることがわかります。

 彼女にとって得体のしれない生物であるスライム君がいきなり自分につかみかかってきたのです。ついに食べられてしまうのかと想像したのでしょう。恐ろしくなって暴れているのです。


 あ! スライム君から逃げようとした拍子にニンゲンさんは頬を切ってしまいました。血が流れています。

 深い傷ではありませんが、流れる血は多いです。


「い、いた――」


 それにいち早く反応するのがスライム君です。しゅるりと伸びた腕がぴたりと痛みで動きを止めたニンゲンさんの頬に張り付きます。

 そこから少しだけ流れた血を貰います。ちゅうちゅうと吸う感じですが、ニンゲンさんが大けがしていたことをスライム君は忘れていません。ほんの少しだけもらってすぐに傷を塞いでしまいます。


「え、き、傷が?」


 傷がふさがったことはニンゲンさんにもわかります。確かに流れていた血の感覚がもうなくなったからです。


「あ、貴方が、治して、くれ、ました、の?」


 ニンゲンさんはスライム君に問います。しかし、スライム君にはその問いが何なのかわかりません。何か言われた? ということはわかるようですが、その内容を理解していないので答えることはできません。

 どうやらニンゲンさんは泣き止んだようですし、一安心です。スライム君はニンゲンさんから離れて定位置となった洞穴の入り口に戻ります。


「え……」


 ニンゲンさんはただただ困惑します。食べられるわけでもなく、傷を治された。


「もう、なんですの……?」


 理解できないことやどう判断すればいいのかわからないことが多すぎてニンゲンさんはもうどうしていいかわかりません。

 ニンゲンさんは再び意識を手放しました。起きているのも限界です。両手足がなくなったショックもあります。今は、何よりも記憶の整理をつけるために眠りが必要でした。


 気絶するように眠ってしまったニンゲンさん。スライム君はどうするのでしょうか。なにもしないようです。ニンゲンさんが眠っているのなら特にすることもありません。

 危ない何かが来ないか警戒するくらいです。コノンの実はそれなりに持つので置いておきます。虫が付かないようにするくらいでしょうか。


 ニンゲンさんが再び目覚めるまでスライム君は待ち続けました。


「……夢、では、ありませんのね……」


 ニンゲンさんが目覚めます。ニンゲンさんは状況がまったく変わっていないことに落胆します。全て夢ならばなんと良かったことでしょう。

 両腕、両足がなくなったことも、あらゆる全てが夢ならばなんとよかったことか。しかし、全て現実です。変えることのできない、現実なのです。


 泣きたくなりました。泣きわめき、全て嘘だと言いたかった。ですが、それはできません。ニンゲンさんはそんなことができるようなほど器用ではありませんでした。


「…………とにかく、誰か人がいる場所に」


 アビスにもひとがいます。アビスのことをニンゲンさんは知りませんが、それでも知っていることがいくつかあります。

 アビスとは罪人を送り出す場所であるということ。送られた罪人を使ってこのアビスを開拓させているという話を聞いていました。


 思い出したことはまだあります。スライム君のような存在を魔物と呼ぶのです。アビスの魔物。アビスが地獄と呼ばれる所以でもあります。

 ニンゲンを襲う凶悪な生物。スライム君はおとなしいですが、そういう凶悪なものもいるということです。それから、アビスにいくつも存在するという領域のことも思い出しました。


 クォ・ヴァディス。ニンゲンが挑み続ける領域。アビスの誰もが富や名声を求めて、挑み続ける場所。

 人々が財宝を求めて危険を冒す広大な領域と層を持つこの場所のことをニンゲンさんは思い出したのです。


ニンゲンさんが目覚めました。これからどうなることやら。


感想やら評価やらレビューやら良ければお願いします。


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