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付喪がいた日  作者: つるめぐみ
3/7

3.お前も友達だ

 時を刻んでいる柱時計が、胃に響く重低音を数回ならした。

 不意に吹いた風が、畳のイグサの香りと風鈴の音を運んでくる。

 それは命を持たない無機質のモノたちが、その場にいると主張しているように思えた。

 まるで、祖母の話を待ち望んでいたかのように――。

「その番傘はね。おじいさんのおじいさんが使っていたものなんだよ。形見分けをしたのは、おじいさんが六歳の時らしくてね。何故か惹かれたらしいんだ。無理を言って、お願いして持ち帰ってきたと教えてくれたよ。そうさね……もう使われはじめて百年以上は経つのかな」

「百年って……値打ちはなさそうだけど、凄い骨董品じゃないか」

 俺は祖母の話を聞いて興奮し、いらないことを言ってしまった。慌てて口を押さえたが、祖母はこれを失言とは思わなかったようだ。構わずに続けた。

「私と、おじいさんは幼馴染でね。家は隣同士だったんだ。だから帰る時は一緒。雨の日は、必ずその傘を差していたんだ」

 思い出を脳内で反芻しているのだろうか。祖母はそこで席をはずすと、炊事場に行き、コップに入れたカルピスをふたつ持ってきた。それをちゃぶ台に置くと、一口飲んでから息を吐く。

「けれどね。ある日を境に、おじいさんは番傘を差さなくなったんだよ。まだ十歳の頃の話さ……あれは今日のように暑い日が続いた夏だった。今はこうやって蛇口を捻れば水も出る。けれど昔は井戸だった。その井戸が、雨が降らないせいか涸れてしまってね。水がなければ作物は育たない。人も家畜も水を飲まなければ生きてはいけない。誰もが、ここでの生活は無理なのではと思ったのさ。けれどそこで、奇跡がおきたんだ」

 俺が「どんな?」と訊こうとすると、祖母は番傘の入った桐箱を指差した。そして、息を深く吸いこんだ。

「差せば雲わき、回せば風吹き、上下に動かしゃ雨が降る」

 突然、祖母が歌いはじめたことで俺は呆然としてしまう。

「ざんざんぱらぱら、ざんぱらぱら」

 最後は雨が降る擬音語だろう。そこで、祖母は歌を終えると微かに笑みを浮かべた。

「番傘を持って、おじいさんがそう歌うと本当に雨が降ってきたのさ。あの歌は忘れられないよ。そして、おじいさんは雨が降ってきたというのに何故か泣いていたのさ。何故泣くのか、訊いても詳しく教えてくれなくてね。ただ、番傘が呼んだのだと。それから、おじいさんは番傘を差さなくなってしまったんだよ」

 カルピスの中に入った氷が溶けて軽い音を鳴らす。コップには大量の汗。俺は音につられてカルピスを飲むと、祖母に訊いた。

「番傘が不思議な力を持っていたということ?」

「さてね。その答えは、おじいさんにしかわからないよ。光輝、その番傘をあげるよ。家に持って帰っておやり」

 まるで、物ではなく人を扱っているかのような言葉。番傘の話を聞いた俺は、祖父の言葉を思い出した。

『物と友達は大事にしろよ』

「まさか……あの子供と雨造って」

 祖父の言葉。蔵にいた赤目の少年。不思議な番傘に書かれた雨造という名前。少年が俺に聞いたこと。そして、傘の特徴でもある一本足――。

『なあ、虎彦(とらひこ)は元気にしているか。また遊びたいんだ』

 竹林が風を受けて騒ぐとともに、風鈴が鳴る。

「お前も友達だ」

 背後で声が聞こえたような気がした。

 振り返っても、そこに少年はいない。ただ、湿気のこもった涼しい風が肌に触れていた。


 その後、俺は蔵に入ると、父さんと価値がありそうな骨董品を集めて売りに行った。

 受け取った金額は五十万円。持っていった掛け軸のなかに、有名な人が書いた絵があったらしい。

とはいえ、俺は絵師の名前を聞いてもわからなかったけど。父さんも俺も望みの金額を手に入れることができて満足し、次は休日に行こうということになった。

 ただ、父さんは俺が後部座席に置いていた番傘が気になったらしい。何度も「売らないのか?」と訊いてきた。

 俺も不思議だった。あれほど、手放したいと思っていた番傘を、今は手元に置いておきたいと思いはじめている。

 家に着くと、俺は番傘を手に階段を駆けあがる。自室に入ると番傘の包みを取って広げて見た。柄には、やはり『雨造』と書かれた文字。

 男物とされていた番傘の特徴ともいえる太い骨。

 雨傘として使用していた番傘は紙と紙がくっつくらしいが、祖父は奇麗にしてから桐箱に入れたのだろう。新品と言われても疑わないほど奇麗に手入れされていた。

「家に持って帰ってきたけど、どうやって使えばいいかな。学校に持っていっても馬鹿にされそうだし……番傘なんて、時代遅れで、ダサいし」

「ダサいって、なんだ?」

 また声が聞こえた。蔵の中で聞いた子供の声だ。けれど、今の俺は先程の俺とは違う。

 恐れずに声がしたほうへ目を向ける。そこに、赤眼でざんばら髪の、あの少年がいた。

 目を合わせたまま、互いにしばらく動かず、一言も口にしない状態で時間が十秒、一分と過ぎていく。

 少年も俺の変化に気づいたのだろう。まばたきをしきりに繰り返しながら、俺の様子をうかがう素振りだけ見せていた。

「名前は雨造でいいのか?」

 このままでは互いの関係が進展しないと感じたので、俺から少年に話しかける。

 その瞬間、少年は返事のつもりか、首を縦に何度も振ってから満面の笑みを浮かべた。

「うん、おいら雨造。虎彦とは友達だ。お前の名前は光輝でいいのか?」

 俺も雨造に倣うように、首を縦に一回だけ振って応える。再びの沈黙があった。

 すると雨造が落ち着きなさそうに体を左右に動かしはじめる。まるで、トイレを我慢している子供だ。

「光輝は……おいらと友達になってくれるか?」

 雨造は顔をあげると唇を震わせながら俺に訊いた。今度は視線を俺に合わせない。次の言葉の肯定を期待し、否定を恐れている。そんな問いのように思えた。

 しかし、俺は雨造が何者であるのかわからない。

 安易に肯定してしまって取り憑かれたという事態は避けたい。いや、それ以上に今は雨造のことが知りたい。

 何故、祖父のことを知っているのか。桐箱の番傘と雨造のつながりとは何か。

「俺は……雨造のことを、まだ何ひとつ知らないよ」

 これに雨造は困惑の表情を浮かべた。語ったことで自分が嫌われやしないか悩んでいるようだった。そして、雨造は口を開いた。

「ここは仲間の声が全く聞こえない。由美子の家にいた時は聞こえたのに。寂しいな」

 雨造が理解しきれないことを言う。

 由美子は祖母の名前だ。仲間の声? 祖母の家では聞こえたって、どういう意味だ?

「おいらは(つく)()(がみ)。長い間、大切に使われた物に宿る者。虎彦は、おいらの友達だったんだ」

「付喪神……」

 雨造の説明を繰り返すように俺は口に出す。雨造には聞こえていないようだ。

 付喪神の話は聞いたことがあった。付喪は九十九も意味する。

 九十九年間、大切に使われた物に宿る魂。それが付喪神。妖怪として絵巻に描かれているのを見たことがある。

 そこで、こいつは俺に憑いてきた番傘の付喪神なのだと気づいた。番傘の色は赤だ。赤目の少年の特徴と同じ。傘の足は一本。俺の脳内で推測が結論となった。

「おいらは番傘の付喪神。けど、長いこと寝たから……虎彦はもういないのか?」

 人には寿命がある。それを雨造は理解し、痛烈に実感しているようだった。唇を噛み、両拳を握り、涙を堪えているかのように見えた。

 この返事に言葉はいらないのだろう。俺は首を縦に振って応じた。

『物と友達は大事にしろよ』

 祖父の言葉が思いおこされる。雨造は何故、桐箱の中で眠っていたのだろうか。

 けれど、今は深く考える必要はないのかもしれない。あの祖父が、そう言っていたんだ。いろいろと疑いを持つほうが馬鹿だ。俺の答えはそこに至った。

「虎彦は俺のじいちゃんだ。俺は孫……だから、雨造。お前が、じいちゃんの友達だったのなら、俺も友達だ。よろしくな」

 その瞬間、雨造は笑顔を浮かべた。けど、普通の笑顔とは違う。涙を流しながらの笑顔。

 こいつ、妖怪だというのに喜怒哀楽が激しい奴だなと思う。そして、何よりも人の想いを欲していると感じる。

 そうか。付喪神は九十九年間、大切に使われた物に宿る魂。そう考えると、俺の取り憑かれるという認識は間違っていたんだ。こいつの想いは――。

「光輝は、この時代のおいらの、はじめての親友だ」

 たった数回の会話で親友といってくれた雨造を前に、俺は自分の浅はかな考えを恥じながら、差し出された手を強く握り返した。

 その手は、物が変化した付喪神と思えないくらい温かかった。

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