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「やあ」

作者: 斜里 梁

「やあ」

 高い陽光が乱暴に照りつける、巨大な塔の様相を呈する超高層ビルの上層階。ガラス張りの壁に向けられた革張りの椅子。そこに座る白髪の老人に、彼は背中から話し掛けた。不自然なほどに聢とスーツを着込んだ老人は、突然の来客に驚く様子もなく首をぐるりと回した。彼の存在を確認すると、覇気のない笑いを浮かべ老人は応えた。

「ご無沙汰だったな」

「随分と暑いな、季節柄か?」

 老人がにたりと笑う。

「お前さんが来るのを楽しみに生き永らえていたよ」

「莫迦言え、殺されても死なないのに生き永らえるも糞もあるか」

 老人は喉から漏れ出すような耳障りな笑い声を上げた。

「前に来た時とはかなり様子が変わったな。最近はどうだ?」

「おかげさまで驚くほどに平和だ」

「こっちなんて政治問題でてんやわんやだってのに暢気なもんだ」

 老人には彼がその窺えない表情を緩めたように見えた。

「ご苦労なことだな」

 老人は立ち上がると、外の風景へゆっくりと近付く。

「独りでここにいるのか?」

 彼は老人の椅子に腰を下ろした。

「ずっとここに独りだ。まともな思考ができる者同士でしか会話というものは成り立たないからな。お前さんが来てくれて久々に話ができる」

「おいおい、笑わせてくれるなよ。まるで自分がまともな思考をしているみたいな言い草じゃないか」

「お前さんには解らんよ」

 老人はガラス越しの外の世界に目を見遣った。眼下に建ち並ぶビル、ビル、ビル。汚くなってしまった空は狭く狭く、遠くに見える光景は悲鳴が続いている。

「その服装気に入っているのか?」

「ん? スーツか。仕事着だ」

「なるほど、まだそれを仕事だと考えているのか。面白いな」

彼は何かにメモをとるような仕草をする。あるいは本当にメモをしているのかも知れない。

「お前さんがどう思おうと、これは私の職務だ」

「黄色に灰色だ」

「……何の話だ?」

「何って決まっているじゃないか」

「ああなるほど、外からはそう見えるのか」

 老人は彼の唐突な話し方が嫌いではなかった。

「全く高尚なことだな。ビルの外で若者を見たが、皆楽しそうだ。何もないところに何を見ているんだろう彼らは」

 彼はけたけたと木材が転がるような声で笑う。老人はどこからか煙草を取り出し火をつけた。

「それで、本題は何なんだ」

「うん、話が早いな。まあもう察しているとは思うが。申し訳ないけれど、実はもう約束の時間になるんだ」

 老人は煙を肺深くまで吸い込む。彼の言うように、老人は彼の姿を確認した時既にそうだと判っていた。

「具体的には?」

「あと四分四十三秒」

「随分ギリギリだな」

「言っただろ、政治問題でてんやわんやなんだ。リアル多忙につきってやつだな。プライベートな時間がとれやしないのさ」

「もう無理なのか」

「これ以上は修復不可能になるんだ。悪いが、技術の限界なんだよ」

「そうか」

 老人は最後の一本になる煙草の先に、紫煙に、彼と出会ったその日を見ていた。


「やあ」

 その時も彼の第一声はこれだった。彼を初めて見た時、初老の男は彼を受け入れられるはずもなかった。

 見たことのない素材、見たことのない形。強いて言うなら地球上では宇宙服と呼ばれる格好が、それに近からず遠からずかもしれない。そんな格好をした彼が、初老の男の自宅リビングに置かれたソファで寛いでいた。

「まあ、落ち着けよ。そんなに警戒しなくてもいい」

「誰だお前は! 何者だ、何が目的だ!」

 初老の男は当時、その国の政を執る立場にある人間だった。初老の男が彼をテロリストだと考えるのは自然な流れだった。

「そんなに怖い顔するなよ。捕って食いやしないからさ」

 彼は立ち上がると、初老の男に向かって右手を差し伸べた。初老の男は後退る。

「あれ? これが挨拶なんだろう? 間違ったか?」

 何故だか彼は友好の意を向けているようだった。

「まあいいか。初めまして、今日太陽系を購入した……というものだ」

 聞いたことのない発音であった為に、初老の男は彼の名前を聴き取れなかった。そして話の内容も判らなかった。

「何を言っている?」

「混乱するのも解るが、事実なんだ。本日付で、俺が、太陽系を買った。理解してもらえるか?」

「莫迦にするのもいい加減にしろ!」

 そう言って初老の男は手元にあったグラスを投げつけた。グラスは彼を目掛けて飛んでいったが、彼に当たる直前で停止し、そのまま浮遊を開始した。

「なんだなんだ、危ないじゃないか」

 彼はグラスを掴むと何故こんな脆い素材で作られているんだ、と独り言を言いながら興味深そうに観察し始めた。

 初老の男は今目にした光景が現実だと信じられなかった。それと共に彼が自分の常識の範疇を超えている存在であることを信じ始めていた。

「……宇宙人なのか?」

「君らの言い方に合わせるとそうなるかもしれない。でも概念的には宇宙にいるなら君らも宇宙人だろう」

「太陽系を買ったとかなんとか」

「給料日だ」

「誰に断ってそんな横暴な買い物が許されるんだ」

「君らも一緒だろう? それとも、他の動物に権利立てして土地を売買しているのか?」

「既に私たちが生活を営んでいるんだ」

「買った土地に蟻の巣があっただけの話だろう」

 彼は地球の人間という生き物を、蟻と同じように捉えていることに初老の男は恐怖した。

「だから好きにするっていうのか!」

 怒りを露わにする初老の男に彼は首を傾げた。

「いや、落ち着けよ。太陽系は俺が個人で買っただけなんだってば。別に君らを皆殺しにして新天地を築こうとしてるわけではない」

「は?」

 初老の男は気が抜けてしまった。宇宙戦争の世界を想像していたのは自分だけだったのだ。

「よし、理解してもらえたところで本題に入っていいか? 実はこの惑星は非常に状態が悪い。それもあって安く太陽系が買えたわけなんだが」

「環境の話か?」

「環境と言っていいのか解らないが、この惑星に住むヒトという生物が、自衛や攻撃の手段として持っているものが問題だ。君たちの知り得ない数々の情報や知識を持った俺からはっきりと言わせてもらうと、近々核戦争が勃発する」

「信じられるかそんなこと」

「俺の介入がなければ、ある国の核が暴発する。そしてそれをテロだとして世界大戦の開始だ。単純だろう? しかし、そうなっては流石の俺達の技術力でも惑星を復活させるのは無理だ。買った俺が損をする」

 彼が口にしたことは可能性がないとは言い切れない類のものだったが、初老の男には信じられなかった。

「信じられない。それに何故そんなことを私に言いに来たんだ」

「いい質問だ。実は惑星を買うと、一から環境を修正したがる輩が多いんだが、俺はそれがあまり好きじゃない。そこで、その惑星で一番疲弊している君の意見を採用してみることにした」

「私の意見?」

「そう。君は地球温暖化が深刻化すればいいと思っているだろう」

 初老の男が戦争回避や国交改善、核排除に疲弊しきっているのは事実だった。そして、環境問題が悪化すれば人間同士の啀み合いが無くなるのではと考えているのもまた事実だった。

「温暖化を進めるとでも言うのか」

「その通り! 君の考えなんだから賛成だろう?」

「どうして私なんかの考えを採用するんだ。お前は他にも良くなる方法をいくらでも知っているんじゃないのか」

「面白そうだからさ。君ら人間は技術や文化はお粗末だけれど、心理や精神は一丁前だからね。試してみたいだけだよ」

 遊び道具だと思われていることを理解してはいたが、それでも戦争がなくなるなら、と初老の男は考え始めていた。

「どうだ、賛成してくれるか?」

「賛成したら、どうなる?」

「暴発する核を止めた後、そうだな、温暖化を進めるには何をすればいいと思うかい?」

「温室効果ガスを増やすとかか」

 それを聞いた彼は、顔が見えないにも関わらずまるでほくそ笑んだかのように感じ、初老の男は気味が悪かった。

「よしよし、わかった。じゃあ空気中の二酸化炭素濃度を上げることにしよう。他に望みはあるか?」

「望みって……私の願いを叶えてくれるような言い方をするじゃないか」

「君の思っているように地球を変えるんだ。何もおかしいことはないだろう。技術に限界はあるがな」

「じゃあ、」

 初老の男は一息入れて、彼に頼みを伝えた。

「地球が温暖化で駄目になるまで、私を死なないようにしてくれ」

「出来なくはないが、どうしてだ?」

「私のせいで地球が変わるんだ。最期まで見届けたい」

「それは君の個人的な感情か?」

「いや、職務だ。政治家としての」

 彼は木材を転がすようにカラカラと笑った。

「いいね、そうしよう」

 数年後、世界には平和が訪れた。初老の男は老人へと歩を進めていた。最早世界に危機はない。核も爆発しなければ抗争紛争の類も起こり得ない。それを老人は確信していた。しかしながら、それは人と人とが手を取り合い助け合うようになったからではなかった。


 走馬灯。人が死に瀕した時に見ると言われている臨死体験の別称である。どうしてそのような現象が起きるのかについては、いくつか説がある。一つ有名なものを上げると、脳がその死の危機を脱する為に過去の記憶から方法を検索するのが原因だとする説がある。脳が普段の数十倍活性化する為に周りがスローになったように見えるとも言われているのだ。

 しかしながら、その実は異なっている。ここに面白い研究データがある。心停止から蘇生した人間の血液を検査したデータだ。蘇生後に走馬灯を見た者に共通点が見られたのだ。それは、臨死体験をしていない者と比較して、明らかに血中の二酸化炭素濃度が高くなっていたのである。

 そう、世界には平和が訪れた。二酸化炭素濃度の高まった空気、進む温暖化。呼吸が浅くなる人間の心拍数は高まり、血中の二酸化炭素濃度も突き上がる。最早地球上には、男を残して皆が日常的に走馬灯を、幻覚を、見ていた。人間が皆二酸化炭素でトリップしたのである。荒廃した街には、ただ力なくけたけたと笑う人形が、どうにか生き永らえるばかりであった。


「責めないんだな」

 彼はまた唐突に話し始めた。

「何をだ」

「当然、俺をだよ。技術の進んだ宇宙人だ。こうなることは解っていたって気付いてるだろう?」

「私の願いだからな」

「潔いことで。……あと二分だ。どうだ、君も彼らみたくトリップしてみるか? 案外悪くないかも知れないぜ。この文明の最期を共にするわけだしな」

「二分後、地球はどうなる」

「そうだな、環境をリセットする。それこそ、生物が発生する直前くらいに、だな」

「……なるほど」

「俺は君のことを気に入っているんだ。どうだ? このまま新しい地球の管理人をする気はないか?」

「遠慮しておくよ。私は人間だ。少し生き過ぎたくらいだ」

「……うちの種にも、君みたいなのがいたら面白かったのにな。それじゃあ、お別れだな」

 彼は老人に右手を差し伸べた。

「あれ? これが挨拶なんだろう? 間違ったか?」

 老人は応えなかった。

「結局、合ってるのか間違ってるのか判らず仕舞いだ」

「最期の一服くらい静かにさせてくれ」

「じゃあ、リセットに巻き込まれたら流石に俺も死んじゃうから、もう行くわ」

 彼はそう言うと、煙のようにその場から姿を消した。老人はそちらに視線を遣ることなく煙草を消し、ガラスに、外の風景に近寄り、窓を開いた。

「外気はいつ振りだろうか」

 老人が深呼吸をすると、地球に爆発が起きた。あまりの規模の爆発に、老人はそれを認めることさえ出来なかった。老人は死んだ。地球と共に。


 その爆発は新たな文明で、ビッグバンと呼ばれた。

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