六、キレる悪神VSキレるおひい様(と朱蝶と蛟)
「――貴様! 悪神じゃろうが、なんじゃろうが! ……妾の友に手を出した事、後悔させてくれるっ!!」
意味不明にキレてくる悪神に、おひい様がタンカを切った!
――そう、俺のご主人様は、相手が≪悪神≫だろうと一方的に怒鳴り散らされる側の人では無い。
おひい様は一方的に「懲らしめる側」の人なのだ。……そういう意味では、確かに「水戸のご老公」と相似関係にある…………というのは、失言だ。
おひい様の≪竜眼≫の輝きが俺の後ろから放射された。
「――て、め、え……」
固まる。≪四姐≫と呼ばれた悪神が、驚きの表情のまま固まった。
「やれ! 朱蝶!」
おひい様の命令を聴くや否や、俺の身体は身動きできない敵へと向かって距離を詰める。
俺の脳には「やっておしまいなさい」という懐かしのセリフがこだましていた。
――しかし、距離を詰めて迷う。
コイツ、人間臭い。別に、コイツが吐いた汚物が臭うって話じゃなくて、言動が凄く人間っぽいんだ。
だけど、迷ってもイイことなんか今まで無かった。俺は阿呆だけど学習してる。
降りかかる火の粉は払うべきなのだ!
――狙うのは、脚だ。膝の皿を叩き割ってやる!
俺は駆けた勢いそのままに剣の腹で、思いっきり相手の膝頭を叩いた!!
――剣が、硬質な感触と伴に弾き返された!
久々の感触。いつか龍の身体に取り憑いてた時に、長双さんのアバラを叩いた時みたいな……。
手加減無用だ――
瞬時に切り替えた俺は弾かれた勢いで、身体を回転させながら手首を返して、逆側の膝に向かって剣の刃を立てる。
念の為、≪異気≫を少しだけ拡げて力を充填。おひい様からの≪竜気≫供与も相まって、俺の振るう剣――おひい様の呪文がかけられた剣、は大概の物を切断できるはず――
……でも。
――ぎゃりんっ――
火花でも散りそうな金属音。
俺の振るった刃は、コイツの着物の裾をほつれさせただけ――
んな、アホなっ!!
「……下手くそだが、力が漲る太刀筋じゃねえか」
うそ。俺の頭の上から声が降って来たよ?
おひい様の≪竜眼≫に縛られてるはずの悪神が口利いてるのかよっ?!
――俺は確認する前に、跳び退る。
後ろへと跳んだ俺に悪神の拳が振り抜かれる――
動けんのかよっ!!
俺の顔を捉えようとする拳がやけに巨大に見える。――刹那、俺の脳は急回転。
龍の身体の中に這入って、「悪神か、悪鬼か」って思われた時。おひい様に手の甲を切り刻まれてた時。長双さんにボコボコにしごかれてた時。尚に突き飛ばされてもんどり打った時――
――これ、走馬灯じゃない? 確か、「死」を回避する為に、脳が必死に記憶の抽斗を開けてるんだとか――
……っていうか俺、死ぬんじゃね?
『――っ!!』
蛟が咄嗟に俺の右足を操って悪神の拳を蹴り上げる。体勢は悪いけど、あの皐山の≪神≫の腕を骨ごと蹴り砕いた蹴りと同じような蹴り。
でも、それによって相手が負ったダメージは皆無。拳の軌道が上にズラされただけ。
俺の顔面を撫でるように、拳に纏われた突風が駆け抜けた。
――一命を取り留めた!!
――てか、なんで斬れない?!
『――おそらくは、≪異気≫によって身体を≪つなぐ≫事が巧みなのだ。そのような事、≪神≫のたぐいでも生半にはできまいが』
「バケモンかよっ!」
体勢を立て直しながら、おひい様に並んだ俺の独り言に、隣からご主人様の驚いたような返事が来る。
「……まさか、妾の≪竜眼≫も、≪神怪≫たるそなたの斬撃も効かぬとは……」
悪神は、拳を振りきった体勢からゆっくりと、また一歩を踏み出す。
その振るわれた右腕から、なぜか血が滴ってる。あと、なんか動きがカクカクしてる。
……つまり、おひい様の≪竜眼≫の捕縛を強引に抜けようとすると、あっちにもダメージがあるのか?
「まったく効かぬわけでも無いらしい……!」
俺の隣で、おひい様の≪竜眼≫が緋金の輝きを増した!
「……お、やるな!」
ぎしぎしいいながら、悪神の身体の動きが、仁王立ちのまま停止した。
おお! おひい様が≪竜眼≫で縛り直したのか?
しかし、悪神――≪四姐≫は余裕の笑みを溢す。
「誇れよ、≪竜眼≫持ちに、≪牛≫…………≪牛≫……?」
ん? こいつ、まさか今までずっと俺のこと≪牛≫に見えてたのか?
「…………?」
矯めつ眇めつ、俺を観察しながら、ぎしぎし首を傾げる悪神。
眉間にしわを寄せて、俺を凝視してくる。やがて、大きく息を吸い込むと、
「…………≪牛≫が、剣を振るえてたまるかっ!」
って、俺に向かって怒鳴る。
――瞬間、槍のように奔った怒声に額を貫かれた気がした。
実際に、俺の額の皮膚が裂けた。ちょうど、おひい様が≪牛≫って書いたところ辺りから、血がとろって流れてくる。
「……まさか、声のみで妾の呪を破ったのかっ?」
おひい様は驚きを通り越して、呆れ始めたらしい。
「呪か、……呪だな! 単純な呪だけど、結構効いてるじゃねえか! 悪くねえっ!」
さっきまで怒りに目に涙まで浮かべてたくせに、急に大声で笑い出す≪四姐≫。
≪竜眼≫に縛られながら大笑いしすぎて、上半身が前後にぎこちなくゆらゆら揺れてる。
……情緒不安定にも、ほどがあるだろっ!
「……あっ、みんなの髪で編んだ、服の裾が傷んでるじゃねえかっ!」
俺の剣によって着物の膝あたりに、線ができてるのに気づいたらしい。
――俺は警戒する……コイツ、かなりヤバい。
どこでキレるかわかんねーし、何より強い! てか、あの皐山の≪神≫より強いじゃねーかっ!!
悪神ってなんなんだよ?
『御坐より墜ちたる≪神≫だ……≪神気≫を操れぬゆえ、贄を求める』
蛟。でも、≪神気≫が使えないのに、なんでこんなに強いんだよ?
『知らん! ≪破格≫に訊け!』
……使えねえ……。
そんなところで、着物のチェックをしてた≪四姐≫が口を開いた。
「生まれ落ちて二千歳、久しぶりだ……千載一遇ってヤツだな!」
二千歳? コイツ、二千年も生きてんの?! 何が千載一遇なんだ?
「……何を言うておる?」
おひい様も怪訝な顔してる。
「≪竜眼≫持ちっ! てめえは、≪腸≫十六姉妹が四女、このあたしが殺してやる!」
また、怒鳴る。怒鳴る、っつーか激昂してるっつーか……。
なんで、おひい様をそんなに目の敵にしてんだ?
「≪腸≫、十六の姉妹……――まさか?」
「おひい様?」
おひい様が素っ頓狂な声を上げてる。
顔を窺えば、心なし血の気が引いてる。どうしたの? おひい様。
そんなおひい様の様子に構わずに、≪腸≫の十六姉妹だかの四女、≪四姐≫は続ける。
「……でも、お前! そこのさっき斬りかかって来たお前は別だ! ……お前なら≪神≫を殺せる。てか、≪神殺し≫はお前だろ? ……なら、お前は、あたしの下僕だ!」
はい、決定。……みたいな感じで、そんなこと言われても……。
どうして、俺はこう初対面のジャイ○ニズムを振りかざす女に、「下僕」だの、「しもべ」だの宣言されるんだ?
なんだ? 俺はそんなにス○オっぽいのか? 身体の芯から骨川なのか? 勘弁してほしい!!
「……≪女帝の腸≫か……」
おひい様の静かな声。
≪女帝の腸≫? なに、ソレ?
「へえ。短命の『ひと』が、母様を知ってるのか? 残念だったな、だから、大人しく死んで、そいつ寄越せ!」
何が、「だから」なのかはわからない。ついでに≪女帝の腸≫とか、十六人の姉妹とかもわかんねー。
――でも、そんな俺にもひとつだけ、わかることがある……。
「――尚に傷を負わせただけでは飽き足らず、妾から僕を奪おうというかっ!!」
大激怒! そう、俺のご主人が黙ってヤラれるわきゃねーんだ。
しかし、おひい様がキレてんのはよく見るけど、今回のキレっぷりは凄まじい!
顔を蒼褪めさせてキレてる!
「誰が、お前なんぞにやるかっ! 朱蝶は妾のじゃっ!!」
……なんか、前にも似たようなこと言われたけど、やっぱ若干引く。……所有物っすか、おひい様。
「いいじゃねえかっ! てめえを八つ裂きにして、ソレをあたしが下僕にしてやるっ!!」
……ソレって……。初対面なのに物扱いですか?
そう言えば、コイツは自分の妹とやらも放り投げてたからな……。
「御免こうむります!」
俺はハッキリお断りした。
この女の下僕なんかになった日にゃあ、おひい様より扱いがヒドそうだ……。
俺の言葉に満足げな笑みを浮かべるおひい様。片や、ゆで蛸みたいに顔を真っ赤にする悪神。
「――てめえも半殺しだっ!!」
悪神がぎしりと、また強引に一歩を踏み出した!
「朱蝶! 加減せずに≪異気≫を拡げよ!」
「――っ! ……知りませんよっ!!」
おひい様の命令に、俺は体内の≪異気≫を開放した――
≪異気≫は際限なく拡がって、辺り一帯のエネルギーをどんどん俺の体内に取り込んでくる!
皐山の≪神≫の時ですら、ここまではしなかった。
「おおっ! おもしれえじゃねえかっ!!」
俺の≪異気≫に包まれて笑う悪神に、俺は戦慄する――
コイツ、≪異気≫どころか≪気≫も、まったく拡げて無い!!
皐山の≪神≫の時みたいに、俺の≪異気≫が力を吸収するのを、邪魔してくる≪気≫のたぐいが一切無い。
それどころか、≪異気≫を展開して悪神を包み込んで初めてわかったけど、コイツの体内には高密度のエネルギーがある!
人間の幽霊にして、何人ぶん? いや、何万人ぶん?
エネルギーを補充する必要が無いから、≪異気≫を拡げる必要が無い? だから、≪異気≫で身体を≪つなぐ≫ことだけに専念できる……?
……コイツ、とんでもねえ!! 勝てんのかよっ?!
「――ゆけ! 朱蝶! 妾が縛っておるうちに斬りかかれっ!!」
「――しょうがないっ!」
破れかぶれだっ! 俺はぎこちなく動く悪神に立ち向かう。
こんだけエネルギー集めてんだ! 手傷ぐらいは負わせてやる!
――上段からの振り下ろし――髪を数本斬っただけで、弾かれる!
「やるじゃねえか! 刃物で髪を斬られたのは八百歳ぶりだぞ!」
「そりゃ、どうも!」
返す剣で、頸動脈を狙う――
「――おおっ!!」
驚きの声と伴に、悪神の右腕が血を滴らせながら上に上がって、剣を掴んだ! ――頸が弱点なのか?
でも、掴まれた剣はピタリと止まって動かない。
「……惜しかったな!」
がはっ、て笑いつつ悪神は俺の腹に向けて左拳を握った! マジか!
――やばい、やばい、やばい、ヤバい!!!――
俺は全エネルギーを腹筋と内臓に集中、そこにめり込む≪四姐≫の拳――
「――んんっ!!」
息を漏らさないように耐える。浮いて飛んで行きそうになる身体を、剣の柄を必死に握ってこの場に縛り付ける。
「お」
驚いたように笑う悪神の、剣があるほうとは逆側、頸動脈を狙って蛟が操る竜と化した俺の右腕が伸びた――
ナイスだ、蛟! イケるっ!!
――がりっ、ていう鈍い音。
『――ばかなっ!』
蛟の驚愕の声が俺の体内に響いた。
――悪神は歯で、蛟の爪を噛んで止めてる!!
そして、蛟の三本の爪――そのうち一本を噛み砕きながら、
「やるなあ」
と、笑う。笑ってまた、ゆっくりと俺の身体に向けて左拳を握る――バケモンめっ!!
……その時、後ろのほうから、ぶつぶつ何かが聞こえて来た――
「……太極は陽。陽は少陰。日月は宙空に麗し、五穀草木は地上に麗し。重黎は日月歳を計り、火正、祝融を戴く――」
おひい様が、≪竜眼≫で悪神を縛りながら、呪文を唱えてる。
悪神――≪四姐≫が蛟の――俺の右腕の指を噛み潰して、嘲る。
「祝詛、……祝詛だな? あたしの身体に通る祝詛があるかっ!!」
その声に、おひい様の呪文を唱える声が、ふん、って笑った気がした――
「明、熾れ。明を以って、四方を照らす。――我が系において奉る! 金器に刻みし我が血に宿れ、≪離≫――≪劫焔≫!」
――突如、俺が必死に握り込んでた剣――その刃が眩い光を放つ――
熱。剣の柄を握ってる俺の手が炙られるほどの熱――それが、剣の刃を掴んだ≪四姐≫の右手を灼いていた――
「――っ!!」
怯む悪神。
『押し切れ! 朱蝶!!』
「よっしゃああああ!」
俺は、蛟の言葉に応えるように、左手で握った刃に力を込める――




