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意天  作者: 安藤 兎六羽
一章 怪
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五、学校での日々

 俺が≪朱蝶≫って名前になった夜から、一週間が経った。

 って言っても、この世界には週って単位は存在しないらしい。



 龍によれば一日、十日、一月、一年ていう区切りをよく使うそうだ。

 一日はまんまで、十日は≪じゅん≫って言うらしい。一月もまんまだけど、長さは月齢に関係してるみたいで二十九日か三十日。同じ月――たとえば十二月でも去年と今年では日数が違ったりするらしい。龍も「煩雑にて、よくわからないのです」って言ってたっけ。

 だから大概お月様を見て「今日は満月だから、一月の半ば、かあ」みたいに、日付を知るらしい。

 一年は≪一歳いっさい≫って言って、冬至を迎えたら問答無用でリセットみたい。だから、簡単に計算すると十二の月と十日くらいのうるう旬が一歳の基本になる。確か、こういうのを太陽太陰暦って言うんじゃなかったっけ?



 そんな話を龍の頭の中でしてたら、


(朱蝶様は、そのような算術も備えておられる。やはり大した方ですな)


 って言われた。どうやら龍は計算が苦手みたい。



『だろ? 尊敬するのは構わねえけど、様とかつけなくていいぜ』


 って得意げに言ってはみたけど、俺も数学は苦手だったから威張れない。

 それに、こちとら龍の身体に生存を依存してる身なので、時々は有用性を示さないとね。



 でも、毎月の日数が二十九だったり三十だったりするの面倒じゃねえのか。

 考えてみるとグレゴリオ暦ってのは、月の日数が決まってたからとてもわかりやすかった。



 そんな感想を言ってみると、龍が応えるには「誰もそこまで気にしないのです」だそうで。


 そういう暦とは別に、農事暦みたいなもんがあって、「暖かくなってきたから種を撒きましょう」とか「暑くなってきたから雑草に気をつけて」みたいなのが使われてるらしい。

 区分としては節句とか節気に近いのかも知れない。

 まあ、六畳半にいた頃は季節なんかにそんなに興味もなかったから、どこが違うとかどこが一緒だとかはわからん。



……つまり、俺の計算と知識はあんまり有用性を示す結果にはならなかったってことか。がっかり。

 がっかり、とは言いつつも龍も俺を切り離す手段を講じるつもりはないらしいから、俺のポジションは安泰なわけで。

 というかそもそもそんな手段があるのかどうかすら怪しいんだけど。

 とにかく、俺の興味は次第に別の方向に遷っていく。


『なあ、彼女とかいないの?』


(かのじょ? ああ、想い人にございますか。いませぬ。……静かにして下され)



 校――こっちの世界の学校。その授業中、龍に恋バナを振ったら連れない返事が返ってきた。



 ここ一週間ほど会話(?)して薄々感づいてたけど、龍はかなりの真面目クンだ。

 15にしてはかなりしっかりしてるし、言うこともえらく大人びてる。

 授業も常に真剣に受けてるし、俺は自分の高校時代を思い返してちょっとだけ申し訳ない気持ちになった。

……テスト前しかまともに勉強しなかったからねえ。



 ちなみにここでの授業は、授業って言っても誰もノートとか取ってるわけじゃない。

 それどころか地味に驚愕の事実が判明していた。



 なんと、この世界には≪文字≫が無いらしい。

 無いっていうよりはあるにはあるけど、特別なものだから下級官吏や庶民は触れる機会が無い、って感じみたい。

 せいぜい、襲官――官吏に任命されたり、学校への入学なんかの節目でお上から与えられる例のカマボコ板に彫られてるのを目にする程度らしい。



……まじか。


 その事実を龍から聞かされた時、俺は思わずそう呟いてた。

 つまり、識字率という概念がこの世界には無い。

 さらには少なくとも龍の手の届く範囲に本が無い。

 俺は「異世界転生モノ」における情報収集の常套手段セオリー――読書を使うことができないんだ。

 まあ、例え本があったとしても龍が字を読めないんだから、翻訳されるかどうかもわからないんだけど。



 だったら誰かの話を聴く度に俺の頭の中に、もあっと浮んでくる漢字はなんなんだって突っ込みたくなるところだけど、だいぶ助かってるから追求しない。

 もしかするとそのあたりが今の俺の状況を説明して、打開する手がかりになるかもしれないから、心の片隅に置いておこうとは思う。




……ということで龍に注意されたこともあって、今日も俺は静かに授業を聴く。

 授業はアバウトに二時間から三時間ぐらいの長さだと思う。時計が無いから正確な時間はわかんないんだけど、この世界では太陽や月の高さでおおまかに時間を計るのが一般的らしい。



 授業の内容は休憩を挟みながら午前2コマと午後2コマ、そして時々ある夜の1コマに別れてる。

 文字が普及してないのに、授業の内容は割りと複雑で何より分量が多い。すっげえ記憶力が試されるのだ。

 バリエーションもこれまた意外に多い。礼儀作法・算術・歴史・武芸――弓に槍術、剣術・天文・弁論・音楽・法律、そして今、受けてる授業の内容――帝語ていご


 帝語っていうのはこの世界の公用語らしい。ほかにも言語はあるけど、帝語以外は全部ひとくくりで鄙語ひごって言われてるそうだ。標準語と各地の方言みたいな考え方っぽい。

 ちなみに基本、学校ではすべて帝語で話すルールらしい。

 龍が学校と宿舎の往復で毎日を過ごすから、俺が鄙語を聴く機会はこの授業を含めても必然的に少ないんだけど、数回聞くだけで帝語との違いがわかるようになった。

……何でか知らないけど、龍の頭の中で俺が聞く鄙語の翻訳は関西弁ぽく聞こえた。

 まじでなんでだ?



 おっと授業中だったね。集中しなけりゃ龍に文句を言われかねない。

 この授業は帝語を喋れる龍にしてみれば出る必要のない授業だけど、俺がお願いして出て貰っているわけで。

 お願いした俺が雑談を振って、出席する必要のない龍がそれをたしなめる、っていう良くわかんない構図。

 いや、俺も真面目に授業は聞いてるからね? 龍クン。



 内容は基礎の文法から。英語でいうところの「SVO」ってヤツね。

 帝語に慣れてない生徒のために講師のジイさん――元・高級官僚らしい――は関西弁みたいな鄙語で基礎から丁寧に教えてくれる。

 感心な教師だな、って龍に言ったら「年輩の者に聞いたところでは、毎歳まったく同じ話をされるそうです」とのこと。

 そして、一通り授業予定をこなすとまた一番最初の内容に戻るらしい。龍によればおよそ二月でループが終わってしまうらしい。

 つまり龍は2ループ目なのだそうで。


 もう、マシーンですね。

 俺にとっては有り難いからいいんだけどね。



 ちなみに帝語の基礎的な文法構造は「主語・述語・目的語」の順。まんま「SVO」なわけです。これさえ押さえておけば伝わらんゆうこたぁ無いんや、とマシーンは幾度も強調する。

 龍のおかげで辞書いらずな俺は種々の文法規則……疑問形やら受動・能動やらを心に叩き込む。

 頭は龍のものなので、頭に叩き込むわけにはいかない。

 というか、俺の記憶はどこで保管されてるんだろ?



 身体が無いから勉強しても意味無いんじゃね? とか思ってたけど、こちらで憶えた知識は順調に蓄えられてる気がする。

 むしろ身体があった時よりも相当、物覚えが良くなってる気すらする。

 龍と脳を共有してるってわけではないと思うんだけど……。

 だって共有してたら龍の記憶とか引き出せてもいいもんだ。けどそれはできない。



 でも、感情は共有に近い形だし、龍の思考も読み取れる。

 なんつーか≪深度≫が違うのかもしれんなあ。

 残念ながら脳科学には造詣が無いから、これもまたわからん。



 人間精神のほとんどをエロい話で説明しようとしたおっさんの言葉を借りれば、「イド」とか「エス」とやらは共有してないみたいな感じですかね?

 なんつーの、俺は龍の身体に寄生してるけども記憶や≪無意識≫は共有できてないんだから、俺の記憶とか≪無意識≫はどっか外部で保存されてて……みたいな?

 猫○スに乗って、木の上から両親の姿を眺めてる姉妹は実は精神体でした、みたいな?

 自分の後頭部を映すように設置したカメラから伸ばされたコードを、自分の眼の前のモニターにつないで自分の後頭部をリアルタイムで眺めて、「さて、私の意識は今どこにあるでしょうか?」って聞いちゃう、みたいな?



……後半はまったく違う話になってた気もするけど、まあ良しとしよう。

 何が良いのかも、わかんねーけども。



 なーんて考えてたら授業が終わってしまいました。

 ちなみに椅子は無い。みんな木枠の中に座布団を組み込んだ『席』に座ってて、講師の席が一段高い場所にあるだけだ。

 講師のマシーンジイさんがよぼよぼ立ち上がって、部屋を出ていくまで皆DOGEZA、である。いや≪跪拝きはい≫っていうらしいんだけど。

 俺も龍と一緒にドゲザさせられてしまうことに漸く慣れてきた。これで万が一、元の世界に戻ったとしても流れるように土下座を決められるはずだ。

……ちょっと、自分で言ってて悲しくなってきた。



 俺がドゲザポーズの是非について思いを馳せていると、≪せつ≫が龍に寄って来た。

 ≪雪≫っていうのは俺が龍の眼を通して初めて見た人間……すなわち、ゴリラくんだ。

 龍はゴリくんの名前を知らなかったので、俺が教室内で他のヤツとゴリくんの会話に耳を澄ませて名前を憶えた。


 最初に≪雪≫っていう漢字がもあっと来た時には何かの間違いかな、って思ったんだけど何度も耳にして、もあっと来るうちに聞き違いや間違いじゃないって確信した。


 個人的には大爆笑でした。

 だってゴリラ顔して≪雪≫ってさあ。

 龍が名前を憶えられなかったのは見た目とのギャップのせいじゃねえのか。


 って龍に言ったら怒られました。朱蝶、反省してます。



 ただ、龍が怒った理由はどうも自分の≪龍≫っていう名前にもあるみたいで。

 龍の考えてたことによると≪龍≫ってのは神獣らしい。実際にいるのかどうかまではわからなかったけど、どうも人に付ける名前としては仰々しいらしい。

 感覚としてはキラキラネームに近いもんなのかもね。



「龍よ、貴様は二旬後には南邑に赴くというではないか」


 ゴリ君、もとい雪の用事はそのことについて聞くことだったらしい。

 と言っても正確に何をしに行くとかは聞いてないみたいで、漠然と講師からそんな話を聞き知ったみたい。

 ちなみに≪南邑≫ってのは「南の村」くらいの意味らしい。


「そうだが、なんぞあるのか?」


 龍は俺が大爆笑した一件でとうとう雪という名前を憶えたけども、滅多に呼ばない。

 キラキラネームを持つ者同士として気を遣ってるらしい。ただ、雪のほうは必ず枕詞代わりに龍の名前を呼んでるから片思い状態だ。

 自分の名前を呼ばれるたびに、少しイラッとしてる龍の内心を知ってる俺としては、龍に同情を禁じ得ない。



「わたしに出来ることは無いか?」


 雪のゴリラ顔がもの凄く真面目だ。

 というか、コイツは龍に輪をかけて真面目なんだ。



 龍によれば雪は学校でも割と特殊な立場らしい。農家――つまり普通の家の三男坊なんだと。

 この世界では官職や仕事は基本的に世襲制で、龍もその例から漏れない。

 つまり、次男坊以下は仕事を継げないから、養子の貰い手や新しい開墾地が無い限り、小作人になったり兵士になったりで使い捨てられる運命にあるらしい。

 地官長のおっさんの言ってた言葉を思い出してしまう。



――増えるならば、穀を増やさねばならぬ。穀を増やせぬのであれば、ひとを減らさねばならぬ――



 こえーなあ、って思ってたけど、ここは平和な平成日本とは違うわけだ。


 本来なら口減らし対象の農家の三男・雪は勉強と武芸ができた。

 ふつう、農家出身者は学校には行かない、ってか行けないらしい。村にある寺子屋的な学校――じゅくぐらいにしか行けない。

 各村で成績が優れてて向学心がある子供だけが、この街――いわばこの国の首都らしい――の城壁外、西の大きな村に幾つかある≪西序せいじょ≫っていう学校に入れるらしい。

 で、さらにそこで滅茶苦茶頑張って、漸く城壁内のこの学校――≪東序とうじょ≫に入れるんだと。受験戦争に近いものがある。


 普段、皆が東序を≪校≫って呼んでるのは、街の中に学校がこれしかないからなんだと。

 つまり、平成日本でいうところの最高学府ってわけだ。


 じゃあ、龍も相当頭が良いんでない? と俺は考えたわけだが、本人によるとそうでもないんだと。

 下級とはいえ、龍みたいな官吏の跡継ぎは無条件で西序、そして東序への入学を許されるらしい。

 この世界では一般的なことらしいんだけど、人口の大半は農民で官吏は結構少ないのだそうだ。


 さっき兵士って言ったけど、職業軍人――≪≫はこれまた少なくて、ほとんどの兵士が半分農民。それも小作農。

 普段は鍬を手にエンヤコラ、サッサ的な感じで畑を耕してるわけだ。



 結局、何考えてたんだっけ?

……そうだ、雪のことだった。

 つまり、農家の三男坊の雪はキラキラネームに負けないぐらい優秀なわけですねー。

 将来が約束されてる高級官吏候補なわけです。


 ゴリラ顔の件を差し引いても女子から見たらかなりの優良物件でしょう。性格も良さげだし。



 さて、そんな雪くんが何か悩ましげなゴリラ顔で龍の袖を引いた。


「ここでは皆の耳目がある、場所を変えよう」


 そう言って、龍を連れ出す。

 龍は頷いて何も考えずに従っているけど、俺は戦慄していた。



 何? 雪くんってそっち系の人?

 あれ、これやばいんじゃない? 龍の貞操の危機ってヤツなんじゃない?

 俺はどうすりゃいいんだ?!






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