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意天  作者: 安藤 兎六羽
一章 怪
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四、朱蝶


 ちょっと考えてみると。

 異世界で蝶になって、若造に握り潰されて、その若造――≪龍≫の中に入っちゃって、なんか≪龍≫がウジウジしてるから思わずキレちゃった。


 という流れなんですけど、それってどうなんでしょう?

 俺、冷静じゃなかったんじゃないかあ、疑惑はふつふつ湧いてくる。




 片や≪龍≫の身体がびくっ、ってなる。暗闇の中のベッドの上でびっくっぅ、ってなってる。

 どうやら俺の声が聞こえちまったらしい。



「な、な、な、何、何もの……」



 そうだよなあ。誰だか気になるよなあ。

 だってこの部屋には≪龍≫以外に誰もいるはずねーんだから。

……なんで俺はキレちゃうかな。

 計画が台無しじゃないっすか。



 こいつが寝てから、身体を動かせるか試して、

 身体が動かせたら、こいつが知らないうちに夜の街に繰り出して、あんなうふふなことやこんなむふふなことを……。

 っていう「ジキルとハイド作戦」が台無しじゃねえか。

 そこは「作戦じゃなくて計画だろう」とか「せめてプロジェクトだろう」とか、言うのは置いといて。



 話しかけるのは、それが失敗してからのはずだったのに。

 しかも、『喜べ、貴様は択ばれた。私は良い神だ』的なこと言うつもりだったのに。

 あー、なんで俺はキレちゃったんでしょう。



 ≪龍≫は即座に身を起こすと、窓に駆けよって戸を引いて開け放った。

 銀色の月明りと薄ら寒い夜気が部屋の中に忍び込む。

 月明りに照らされた室内に≪龍≫の誰何の声が響く。


「……何者だ?」



 黙ってたら、そのうち寝るかな?

 いやあ、無理だろうな。

 人間だった時に、夜中にゴキブリを見つけて朝方まで退治するのに六畳半を奔走してた記憶が心を過る。

 睡眠っていう無防備な時間を敵の前で晒すヤツはいないだろうね。


 かと言ってここで『良い神様だよ』とか言っても説得力ないし。

 実際にこの世界で信仰されてる神様を名乗るつもりだったんだけどなあ。

 情報収集する前にキレちったからなあ。

……どうして俺はキレちったかなあ。



「……悪神か?」



 ほらあ、決めつけてるもの。


(たとえ善神を騙ろうとも信ずるにたるものか)とか、


 考えちゃってるものぉ。

 また、詰んでるじゃん。



 もう、いいや。

 俺は諦めが早いのが取り柄なんだから。蝶の時はやりようなくてだいぶ粘ったけど。

 それよりも、一回キレたんだから、もうとことんキレてやろう。



『ご推察の通り俺は悪神・悪鬼のたぐいだけどさあ、お前なんなの?』


「え?」



 ≪龍≫が戸惑いと伴に声を上げるが関係ない。

 俺は、今宵、徹底的にキレると決めているのだ。



『だいたい、何? 「なぜ……、なぜ……」って。阿呆か、お前は!』


「……え?」


 まさか悪神に説教を食らうとは思ってなかったらしく、≪龍≫の頭の中は真っ白だ。

 でも、構わない。

 今、俺はキレてるんだから。



『何でもかんでも他人のせいですか? ぜーんぶ、他人様のせいですか? だいたい、そういうヤツに限って巧くいったら全部、自分の力だからとか言い出すんだよね。「自分、才能あるんでえ」とかほざくんだよね』


「……」



『何、アンタひとりで生きてきたの? 木の股から産まれてきたとか?』


「……いや、父と母から」


『ですよねぇ? あれでしょ、どうせ地官長のおっさんにも世話になってきたんでしょ?』


「……ええ、まあ」


『「まあ」じゃねえだろうがよ! ただ「はい」だろうがよ、そこは!』


「……はい」


『だいたい、さっきから気になってんだけどさ、なんで対等に口きいてんだよ。お前いくつだよ、歳』


「……十五、ですが」


『俺、21なんだけどさあ。こっちの世界では目上の人間を敬わないわけですか?』


「こっちの世界? ……」


『今、そこどーでもイイから。敬語は使わねえのか?』


「いや、しかし悪鬼や悪神を敬うなど……」


『ああ、さいですか。人間じゃなけりゃ礼儀とかいらないってわけですか。だから蝶とか潰しても平気でいられるわけっすか』


「蝶? ……、っ!!」



 ≪龍≫の脳裏にひらひら舞う一羽の蝶の姿が浮かぶ。

 そこに伸ばされる手も。


(まさか、今朝見たあの蝶がこの煩い悪鬼だとでも?)


 失礼なヤツだなあ。


『おいおい、煩いってなんだよ?』


「な……」


(まさか)


『そうだよ。お前さんの考えてることとか筒抜けだからね』



 あ、愕然としてる。

 いろいろ考えて落ち着こうとしてるみたいだけど、考えがまとまらないって感じか。

 安息アタラクシアは遠そうだな。

 まあ、とりあえずそんなことも関係なく、説教モード継続で。



『いや、そこは問題の中心じゃなくて、周縁なわけよ。……で、どう思う? この状況』


「……この、状況?」


『蝶潰したら、中に悪鬼がいて、身体に入られちまって、頭の中で話しかけられて、あまつさえ心まで読まれちまって。……ぜーんぶ、自業自得だろ?』


 たとえそれが「風が吹けば桶屋が儲かる」的なことだとしても。偶然に過ぎないとしても。


「……(確かに。……しかし悪鬼の言うことが正しいとしても、この状況を受け容れることなど、到底できるはずも……)」


『受け容れる、受け容れないじゃあねえんだよ。受け容れることができる、できないでもねえしな。……いいか、ある個人の観測によって捉えられる世界ってーのは不合理極まりないんだよ。お前も親父さん亡くしたばっかりでツラいとは思うけどさ』



 世の中は不条理で、

 世間には鬼が居て、

 社会は共同幻想で、

 政治家は嘘吐きで、



 終いには、突然、異世界で蝶にされちまってたり、

 親父が死んだってことを聞かされたりもするけど。



『それでも、食わにゃあならんし、生きにゃあならん。……「なんで?」って疑問のループに嵌るのは簡単で、もしかしたら気持ちイイかもしんねえけど、答え出ないから。答えは与えられるもんじゃなくて、捻り出すもんだから』



 ああ、そうか。ちょっとわかった。

 俺がこいつにキレたのは、こいつが六畳半に引き篭もってた時の俺に、

 蝶として彷徨ってくだらないことばっかり考えてた時の俺に、

 良く似てたからなんだ。

……まあ、永い蝶生活の最期に俺が出した答えが「巨乳ちゃんの谷間で潰される」っていうマイナスへのウルトラCだった、っていうのは置いといて。



『なあ、だからさっさとクソして寝ろや! 寝て、英気養って地官長のおっさんから言われた命令こなす為に精進しろ!』


「それは……貴方が己に力を貸す、ということでしょうか?」



 あれ?

 どうしてそうなるのかはわかんないけど、予想外の反応だぞ、これ。

 さっきまで悪鬼がどうとか考えてた≪龍≫が今は、


(悪鬼では無い……のではなかろうか?)


 とか、考え始めてるぞ。

 いや、俺としては有り難い話ではあるんだけど、なーんか釈然としないというか。



「……貴方に己の考えを隠し立てする愚を犯すつもりは毛頭ありませぬ。……己には貴方様が悪鬼の類とは、どうも思えぬ。何より、悪鬼が『己は悪鬼だ』などと言うわけがない」


『……ああ、そういうもんなんだ?』



 何、その嘘吐きのクレタ人みたいな話。

 それって結局、自己言及のパラドックスに陥るんじゃないの。

 ゲーデルの不完全性定理だっけ? みたいなさぁ。

 悪鬼とか悪神ってのがそこまで複雑にできてない可能性は否定できないけども。



「少なくとも悪いものとは思えぬのです。……ここまでの非礼を考えれば力を貸してくれ、などとは到底願えませぬが」



 うーむ、思いのほか真摯な対応。

 裏も無い。ちょっと怯えてる感じがするけど、自分の頭の中に他人が居たらコワいですよね。


『あのさ、力貸してくれって言われても俺なんもできないよ? 所詮、元蝶だし』


「……然様、ですか。しかし、己に何か害をなそう、悪辣をなさせようということは考えておられない。そう考えてもよろしいでしょうか?」


『うーん……そうだなあ。確かに、考えてないかなぁ』



 改めて考えてみれば、俺は自分の身体を持ってるわけじゃないから何をしてイイかもわからない。

 鍛えるとか、勉強するとか、真面目に生きるってーのは身体があって初めて意味があるわけで。

 コイツの身体を乗っ取るっていう選択肢も無いわけじゃないけど、そもそもこの世界のルールがわかんないから、今乗っ取ろうとしてもあんま意味ない気がする。



 下手に乗っ取れたとしても、ひと月後に地官長のおっさんに「モンスター見て来い」って言われるだけだし、

 強硬に乗っ取ろうとして失敗したら、コイツの頭ん中で猜疑と非難の槍衾をくらうはめになる。

 そんなのはヤダなあ。


「ではとりあえず、折に触れて相談に応じてはいただけませぬか? 貴方様の語られる物事は、己にはわかりかねることも多い。しかしながら、さきほどのお言葉には鋭い知の閃きと、衷心ちゅうしんからの情けを感じました。そのような貴方様ならば、己の不明を拭って下さるのではないでしょうか?」



 情けっていうか、単に自己嫌悪と同族嫌悪だったんすけど。

 ついでに言えば「キレちゃったから、もういいや」っていうノリと勢いだったんすけど。

 そいつは言わぬが華ってヤツか。



『いいよ。代わりといっちゃあなんだけど、いろいろと教えてくれない?なんか永いこと蝶やってたから、人間の生活ってーのがよくわかんないのよ、俺』


 ここで異世界とかなんとか言っても、こいつが混乱するだけだろうし。

 言い訳としては悪くないでしょ。



「おお、お安いご用です。……それでは、改めまして己は皐公国こうこうこく地官下の下官、南の虞衡・会が子、龍と申します。貴方様のことはなんとお呼びすればよろしいか?」



 龍の問いに、一瞬、人間だった時の名前がよぎった。

 でも、なんか違うなあ。俺は今、人間じゃないみたいなもんだし、なんか異世界の語感とかで突っ込まれるのもヤダし。


『なあ、赤い蝶ってなんて言う?』


 考えたのは、さっき龍が思い浮かべた虫けらだった時の俺の姿だ。

 龍も同じことを思い浮かべてる。


「――≪朱蝶しゅちょう≫でしょうか。強いて言うならば」


 ≪朱蝶≫。悪くないんじゃない、ちょっと乙女っぽいけど。浮んで来た漢字に俺は肯いた。身体が無いから心の中で。


『じゃ、それで』





 こうして俺は≪朱蝶≫になった。


 






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