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意天  作者: 安藤 兎六羽
一章 怪
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三、クズは死んでも治らない

 まずいなぁ……。

 あの広い部屋――たぶん、謁見の間ってやつだろう。そこを退出してからも≪龍≫は沈んでいた。

 個人的には身体を間借りしてる一精神として、何とかしてやりたいけど、いきなり話しかけても「悪鬼か、悪神か」とか言われそうだし。

 ていうかコミュニケーションとれるんだろうか?



 いや、確かに一回身体乗っ取ったし、呟きは聞こえたみたいだけど。

 話すんだったら乗っ取るのは得策じゃないし、次も呟きが聞こえてくれるとは限らない。

 筆談とかも考えないわけじゃないけど、さっきの木片に彫られてたのが文字ならすぐに書ける気はしない。



 どうすっかなあ。こんな時の為にもうちょい対人スキル磨いとけばなあ。いや、それ以前の問題か。

 とか俺が考えてる間に、謁見の間で隣に座ってたおっさんがひとつの部屋に≪龍≫の袖を引っ張って行った。


 謁見の間よりはるかに狭いこじんまりとした室内。俺の部屋よりは広いから十畳くらいか。壁際には幾つもの抽斗の付いた大きな棚が設置されてて、部屋の中心には背の低い文机的な物が置いてあって、机を挟む形で座布団を木枠で囲ったようなものがふたつ置いてある。



「座りなさい」


 おっさん――地官長は文机をどかすと奥の座布団に座りながら、こちらにも席を勧めてくる。

 心ここに在らずの≪龍≫はその言葉に大人しく従っていた。



……なんとも言えねえな。

 確かに、こいつは俺の蝶としての蝶生(?)に止めを刺したわけだが、救ってくれたとも言えなくもない。

 それに強制的に共感させられてしまうわけで、そんなこいつをもう他人とは思えなくなってる自分がいる。

 おおっと、我ながらビックリだね!

 社会に参加するっていうことを忌避し続けて、閉じ篭って他人から見れば時間を無駄にしてたようなこの俺が、

 腐った大学生のこの俺が、何とかしてやりたいと思ってる。……とか言ってみる。



……まあ、打算、なんだけどねー。

 ちょっと冷静になって考えてみればわかる。

 だってこいつは俺の命綱だから。

 こいつが立ち直ってくれないと情報収集にも支障が出るような気がするし。



 保護者気分の無償の愛?

 バカ言っちゃいけない。

 巨視的に見れば親の愛ってのは、自己愛の延長だ。

 遺伝子を運ぶ、乗り物――人間の身体をそう言ってたのは誰だっけ?



 共苦、っていうのも無償の愛と似たようなもんだ。

 そいつを言ったのは確か女性蔑視の偏屈ジイさん。

 低次の意志が食い合いを演じる世界に――そこに「みんな辛いよね」っていう感じの高次の表象――格率に従った「共苦」っていうのを持ち込む。

 するとどうでしょう? なんと皆、自分を犠牲にして他人を思いやることができるのですぅ。っていうヤーツ。



 ヘイ、ヘーイ!

 ふっざけんじゃねえよ。

 そんなお花畑、教育上よろしくねえっての!

 誰もそんなことしてねえってーの。誰もそんなこと信じてねえってーの。



 だいたい、そのジイさんは「女とは会話できない」的なこと言ってるし。

 『共苦』はどこいった? だし。

 似非とはいえフェミニストの俺としては「喝っ!」だ。



……ま、こういうことを言っちゃうから俺はクズなわけで。

 蝶になってもそれは変わらなかった、ってことなのかもしれない。



「会のことは残念だった。だが、悔やんでばかりもおれんのだ。……お前は父が今際、どのような命に従事していたか知っておるか?」


 地官長のおっさんの冷たい言葉に≪龍≫は首を横に振った。

 まあ、このおっさんが言いたくないこと言ってるってことはこいつもわかってんだろう。あらま大人。


「であろうな。そこから説かねばなるまい」


 そう言っておっさんは立ち上がると、壁際の棚の抽斗を滑らせて大きな板を一枚取り出して、また座布団の上に戻る。

 その木製の板がふたりが座る座布団の間に置かれる。一片四十センチ四方の板の表面には、なんだか焼き痕のような焦げ目がついてヘンテコな図を描かれてる。


「我が国の南邑なんゆうからさらに南の地図だ。お前ならばわかるだろう」


 地図っすか。言われてみればわかるような気もするけど。

 『龍』も頷いてる。お、頭の中に風景が浮んできた。≪龍≫が前に見た景観が地図と対応してるらしい。

 すっげえ便利。言語の翻訳どころか地図の翻訳までしてくれるのか。



「近歳、我が国はひとが増えておる。田の確保が喫緊の問題であることはお前も承知のはずだ。新田開墾の為に開くべき南の沼沢と林を我が地官にて決定した。その選定地の下見へ貴様の父・会は向かったのだ。……それがここだ」


 地官長のおっさんは地図の下のほうを指さす。


「ここは……」


 呟いた≪龍≫の脳内が俄かに沸騰する感じ。怒り、戸惑い、嘆き。なんだ、そこになんかあるのか? その時、ひとつの漢字が例の如くもあっと浮かび上がった。



(――≪かい≫)



 え。≪怪≫って、何?



「そうだ。古く≪魍魎もうりょう≫の棲むという伝えがある、南沼だ」



 何、モンスターってこと? 出るの、そういうの出る世界観なの?


「……なんと、無謀な」


「無謀では無い。夏官かかんより士分五名――従卒五十名を借り受けたのだ。……半数も戻らなかったがな」



 俺の戸惑いを無視して、っていうかそもそも俺に気付いてないんだけど、ふたりは会話を続ける。

 え、待って。五十人の半分が戻らないって、死んだの? 二十人以上?


「父は先導ですか。……生きて復命できるわけもない」


 ≪龍≫は怒りと皮肉で顔を歪めてる。こっえー……。

 待て待て。つまり、こいつがこれからやることって、親父さんと同じなの?


「貴様もわかっておろう。増えるならば、穀を増やさねばならぬ。穀を増やせぬのであれば、ひとを減らさねばならぬ」



 地官長のおっさんが実に不穏なことをのたまっておられるんですが。

 何、それ。人口調整ってこと?

 食わせられないから、モンスターに食わせちゃえってそういうことっすか。


「魍魎を餌付けでもされるおつもりか?」


「できるならば、それも悪くは無い。……が、地官とて夏官にそう士卒を借りることができるわけもない。貴様の父とともに死した者には、若い士分も幾人かいたのだ」



 おおっと『龍』さんの忿怒がまるでマグマのようになってますよ。


「士も無く、夏官の戮力りくりょくも無いというならば、地官長様は己にも死ねと仰せられるのか」


「……いや、此度はあくまで魍魎を捉えることを目的とする」


「捉える?」


「そうだ。亀卜きぼくにて果がそのように出た。貴様には巫祝ふしゅくを魍魎が見える場まで連れて行って貰う。巫祝が魍魎を捉えたと言うたなら、復命するがよい。……前は、多人数で動き過ぎたのだ。ゆえに誰かが犠牲にならねばならなかった」


 地官長のおっさんは少しだけ視線を下げた。

 俺はこの時になって、やっと眼の前に座るおっさんの顔をゆっくりと見ることができた。たぶん≪龍≫の目がそっちに向いてなかったんだろう。

 髪に白髪の混じった五十代くらいの厳めしい顔をしたおっさんだ。皺の多い顔にこれまでの苦労が偲ばれる。



 俺はおっさんに形ばかりの同情をする。

 中間管理職の悲哀、みたいのを嗅ぎ取ったからだ。

 なんとなく、このおっさん、≪龍≫の親父さんのこと気に入ってたんじゃないかとも思う。

 全身がそう言ってるような気がする。



 だけどそんなおっさんを≪龍≫は憎しみを振り絞って睨んでるんだ。

 感心はしない。

 でも、しょうがない。

 親父が殺されたようなもんだからな。


「……出立はいつになりましょう?」


「ひと月後だ。それまでは同じように校の宿舎にて過ごすが良い」


 おっさんの言葉を聞いた≪龍≫は膝をずらして座布団の上から降りると、何度目かのドゲザポーズ。

 そして立ち上がると、振り返りもせずに部屋を出て行った。





 俺は、おっさんの意図を察したように思った。

 地官長のおっさんはたぶん、憎まれ役を買って出たんだな、って。

 まあ、俺には関係ないけどね。







 あれから数時間くらいは経っただろうか。時計が無いから正確な時間はわかんないけども。

 俺が入ってる≪龍≫の身体は割と大きい二階建ての木造建築の、一階の部屋のひとつのベッドの上で横になってた。

 ベッドつってもほぼ板の固さだ。

 良くこんなところで寝れるもんだと思う。

 蝶として葉陰で寝てた俺としては極楽ですけどね。



 もう、だいぶ陽が翳ってる。

 そんな暗くなりつつある部屋の中で天井を見つめながら、≪龍≫は延々と答えの無い問いを繰り返してる。



(なぜ、地官長様は無謀な出兵を止められなかったのか)


(なぜ、魍魎の棲む南沼なのか。ほかにも候補はあるはずではないか)


(なぜ、己がこのような目を見ねばならんのか)



 ああ、知ってる知ってる。

 いや、こいつの問いかけの答えとかじゃなくて、漠然とこの状況をね。



 気持ちイイよねー、悲劇のヒーロー。

 いやあ、恥ずかしながら俺にもそんな時期がありましたよ。


 なんで俺だけ?

 俺、少しも悪くないじゃん。

 はあ? 俺が悪いんでしょうか?



――俺、正しいから。



 ハイハイ、誰も見てませんから。

 神様? 死んだ死んだ。

 自分、「悟り世代」っすから。



 世の中は不条理で、

 世間には鬼が居て、

 社会は共同幻想で、

 政治家は嘘吐きで、



 そんなことばっかり聞いてたから、俺の耳にはタコがニョキニョキ。

 皆、絶妙なバランス感覚を試され続けて脚がブルブル。




――そうして俺は平均台から足を踏み外した。




 ただ、単にそれだけのことだ。

 以上でも以下でも無い、未満ではあるかもしれないけど。



(なぜ……)



 おいおい、まだやってんのかよ、≪龍≫クンよう。

 俺も自分のこと考えてて気づかなかったけど、アンタも相当しつこいな。



(なぜ……)



 もう、暗いしさっさと寝ろや。

 じゃないと、無意識の身体を動かせるのか試せないんだけど。



(なぜ……)




『……いい加減にしろや!』



 あ、やべ。キレちゃった。



 

 



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