二十四、龍の帰郷
目が覚めると、そこは見覚えのあるベッドの上だった。
見覚えがあるのは、長双さんと夜の森に入る前に到着していた公館の一室だからだ。
俺が横たわるベッドの端に頬杖を突いたおひい様がいる。
「起きたか?」
頷いて上半身を起こそうとすると、右肩が痛む。見ると骨折した時みたいに布で固定されてる。
痛み以外に違和感はないから、たぶん、肩の関節は嵌ってるんだろう。
『災難でしたね』
龍も精神体ではあるけど元気そうだ。最近、俺が長双さんとふたりの時はめっきり喋らなくなったけど。
『……語る必要が無いからですよ……それよりも、昨夜は驚きました。まさか己の身体であのようなことができるとは思いませなんだ』
ああ、そうか。夜の森ん中にいて――俺、気絶したのか?
『肩が外れたにも関わらず揺さぶられた痛みでしょうな。己は辛うじて道中≪意≫を取り戻しましたが』
――そうだ、長双め! 肩を脱臼した人間の、その肩を掴んで揺さぶるとか、どういう了見だ!
『その長双さんが肩を嵌めて、運んで下さったのですが』
……じゃあ、イイか。
「それは、龍と話しておるのか? 間抜け面じゃのう」
相変わらず頬杖を突きながら、おひい様がつまんなそうに訊いてきた。
ちょっとの間、無視してしまった形になったわけか。
「失礼しました。……尚どのと長双さんは?」
まだ部屋の中は薄暗いから、朝方なんだろう。
ふたりは何をしてるんだろう? とりあえずこの部屋ん中にはいないみたいだけど。
「それぞれ出立の準備をしておる。どれ……」
おひい様の手が、俺の左手の甲――≪紋≫のところに伸びて来た。
うん? なんか≪紋≫がぼんやり光ってるぞ。
「……なるほど。長双どのには≪仙≫の素養があるな。そなたの身体を包む≪気≫が膨らんでおる」
そうなの? 長双さんって仙人になれるの? いや、それよりも。
「おひい様は≪気≫を感知することができるのですか?」
「己の僕ならば、この≪紋≫を通していろいろと干渉しうる。巫術のひとつじゃな」
「……いろいろと干渉って……」
イヤな予感しかしない。
俺の恥ずかしい記憶とか、恥ずかしい行動とかもろもろみんなの前で大公開とかされそう。
「そう警戒するでない。妾とてそれなりにはわかっておるわ」
にやりと笑うおひい様。コワいなあ。
「……ところでたまに聞くんですけど、その≪巫術≫ってなんなのですか?」
「そうじゃのう、……巫術とは、≪気≫の≪つなぐ≫という性質を以って、己の体外の森羅万象に干渉する術、じゃな」
また≪気≫か。しかも森羅万象と来たもんだ。万能だなあ。ちょっと呆れる。
「≪気≫ってなんにでも使えるんですね?」
「そうでもない。前に言うたじゃろう。≪気≫とは未分化のものじゃ、と」
「ええ、そういえば」
「≪気≫にもいろいろとある。まず、曖昧模糊とした≪気≫と≪異気≫……≪異気≫はこの世を覆うほどの≪気≫から千切れた細かい塊じゃな。ゆえにこちらの≪意≫のままとなる。未分化の≪気≫を用いるのが神仙ならば、主に≪異気≫を用いるのが巫術じゃ」
「あれ? ≪異気≫って、瘴気って言ってませんでした? 悪いものじゃないんですか?」
「悪いものを引き寄せ、≪つなぎ≫もするのが瘴気――≪異気≫じゃ。それでも、よほど大きな塊ででも無い限りは使い勝手が良い。……もちろん、巫祝は≪気≫も使う。未分化の≪気≫を、祝詛や呪詛によって≪陽気≫と≪陰気≫に別ち用いるのじゃ」
なるほどねー。≪気≫っていうのも簡単じゃないな。
原油って感じなのかな? 精製してからそれぞれに合った用途に使う。
でも≪気≫はエネルギーじゃないから原油とはまた違うのか。
「おひい様の眼、≪竜眼≫ってのはなんなんですか? それも≪気≫がどうにかなって、そんなに強力な感じがするんでしょうか?」
そう、≪竜眼≫はぶっちゃけコワい感じがする。
そういえば龍が前に≪竜気≫とか言ってたような?
「……これは≪呪い≫のひとつじゃな。……いや、ひとからすれば祝詛と言うべきものなのじゃろう。竜を弑した者の系に与えられる祝いじゃな」
「弑す――殺すってことですか?」
「そうじゃ。竜は神獣じゃからな。弑した者の系にまで影を落とす。神獣たる竜は下手な≪神≫よりも≪格≫上じゃからのう。≪格≫が下の者が上のものを殺し奉ることを弑す、と言う」
「神様よりも格上なんですか?」
「いかな下等な竜とはいえ≪●≫に絡め取られずに、己が能のみ――≪竜気≫のみで神々と渡り合うことが適う。獣としては最上位じゃな」
なんだ? また聞こえなかったぞ?
なんで聞こえないんだ?
「おひい様、何か聞こえない――」
だけど、俺の言葉は最後までおひい様に届かなかった。
「おひい様? そろそろよろしいですか?」
扉の向こうから尚の声が聞こえてきた。
「おう、もう陽が昇りつつあるのう。暫し待て」
おひい様は尚に応えると、俺の負傷した右肩に掌を当てて、口ん中でぶつぶつ呟く。
「――竜を弑しし、我が系、≪禺≫の名において奉る。老陰が元に少陰を滅し、老陽が元に少陽を滅す。陰陽和合し、乾元は万物を創むる。利貞に因りて、創癒をなさん――」
おひい様の掌を中心に肩にぼうっとした光が点った。
なんだか肩がミチミチいってる。
この感覚は昨日の夜の感じとちょっと似てる。
自分の身体にエネルギーを吸収する感覚に――
「どうじゃ?」
おひい様の言葉に少しだけ肩を動かしてみる。
「痛くない――っていうより、治ってるんじゃ?」
「ならば良い! さあ、発つぞ」
すっくと立ち上がるおひい様を、俺はベッドの上からぼんやり見つめた。
「どうした?」
「いえ、……おひい様ってスゴい人だったんだなあ、って」
さすが性格はジャイでも、巫女さんは巫女さんってことか。
回復系の呪文も使えるのね。ヒーラーだね、ヒーラー。
おひい様はまた、にんまり笑う。
「この程度ならば、苦も無い。……しかし、筋や骨は傷んでも治せるが、腑はやるなよ。状は取り戻せようとも能は喪われる」
そう言って、笑顔を厳めしい顔に変えて、おひい様は扉へと向かった。
内臓は治せないってことか。
『…………』
なんでか、龍の沈黙が聞こえた気がした。
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俺たちは先を急ぐ。
旅路もいよいよ7日目に突入して、順調に行けば往きの半ばってことになる。
道中は特に問題も無く。
相変わらず紐付きの矢を飛ばす最後尾の長双さん。
真ん中にズンズン進む尚と、尚の背負う荷物の上にで暇そうに寝返りを打つおひい様。
道案内は俺と、俺の脳内の龍。
っていう布陣で俺たち一行は進む。
街道は段々と細くなって、両サイドの森に圧迫されてくみたいだ。
舗装もどんどん悪くなって、泥濘なんかに足を取られる。
でも俺たちのスピードは一向に落ちない。みーんな、バカげた体力だねえ。
そうして、夕方には俺の眼には小さな村が浮かんでいた。
龍の生まれ故郷の南邑だ。
『……ふむ、三歳ぶりですが、少々、賑やかになったでしょうか?』
そんだけ?
『他に何を言えと?』
ドライだ。すっごくドライ。
でも、ちょっとだけ龍がウキウキしてるのがわかる。
『さて、我が生家に泊まりましょうか』
テレ隠せて無いなあ……。
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南邑の南の端っこ、掘られた濠のギリギリ内側にある、龍の生家は平屋の小さな家だった。
部屋もひとつだけ。
その部屋に隣接して、風呂桶が置いてあるトコロ――バスルームも、竃――キッチンも、上り框――玄関も、ぜーんぶいっしょくたになってる。
日本のワンルームどころの話じゃない。でも、下級とはいえ官吏の家だから、これでも相当イイほうなんだって。
プライベート空間が一切ないけどねー。
南側の木の格子窓からはすぐに森が見える。
いつでも、森を監視できるようにする為なんだって。社畜――なんて言葉が思い浮かんだ。
「こんなところで、妾に寝ろと申すか?!」
「おひい様、庶民はさらに狭い家屋にて暮らしているのですよ!」
なーんて、おひい様と尚の言い合う声が、埃が積もった狭い部屋にこだましてる。
まあ、そうなるよね。
長双さんはというと、興味深そうにあちこちを見て回って一言。
「理に適っています」
……楽しそうで何よりです、長双さん。
俺はというと、独りでお掃除中。……哀しいね。
そんで、その夜は女子も男子もひとつの部屋で雑魚寝。
これは、もしかして修学旅行的な恋バナイベントでもあるのか? とか思った俺がバカだった。
尚に抱き付いて、早々と寝るおひい様。
おひい様に抱き付かれて暑いのか、凶暴な寝返りを打ちまくる尚。
独り姿勢正しく、部屋の隅で棺に安置されたミイラみたいに眠る長双さん。
……考えてみれば、人間だった時だってそんなイベントなかったのに、今、この異世界でそんなイベントがあるわきゃあ無い。
なんて灰色の青春。俺は泣きそうになりながら目を閉じる。
あ、また尚の拳が壁に穴を開ける音がしたね。
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翌朝、俺たちは各々、若干不機嫌になりながら、龍の家を出た。
おひい様と尚は、これまでとは違う環境での睡眠に寝不足気味だったから。
長双さんは、尚が壁に穴を開けまくったせいで、風が吹き込んで寒かったから。
俺は、なんか皆の扱いがいつにも増してぞんざいだったから。……部屋の掃除とか、ごはんの用意とか、全部俺が独りでやったのに。
「二度と来るか!」
吐き捨てられたおひい様の言葉に、龍の、郷愁とはまた違った切なさに彩られた声が頭ん中に流れた。
『……行きましょうか』
こうして、龍は尚に半壊にされた家を後にした。




