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意天  作者: 安藤 兎六羽
一章 怪
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一、出遭ってしまった二人(?)

――忌み子だ。



 またか。青年はなんとなくそんな言葉を脳裏に浮べる。



――穢れた忌み子。



 幾つもの嗄れた声。


 それに彩られた、もう幾度となく見た夢だ。



――犯された系を正さねばならぬ。



 系。祖から子へと繋がれたもの。きっと目には見えないもの。心でしか見ることの適わないもの。


 そのはずなのに、皆それから逃れられないと思っている。



――殺してしまえ。灼いてしまえ。埋めてしまえ。骨の一欠けらも遺さぬように。



 厭だ。厭だ。厭だ。厭だ。イヤだ。


 重なって連なる声に、声にならない拒否を訴える。




――殺せ。




 そこで青年――りょうは、いつものように目覚めた。


 皮膚はいつものように汗に濡れていた。


 眼はいつものように窓から差し込む旭日に照らされた、天井を、梁を、土壁を、そして己が身を横たえる堅いベッドを捉える。



「またか……」


 ここ最近ではいつもの事だ。

 うなされて目醒めることも、微かに残る夢の残滓が口の中に苦い血の味を想わせることも。


 身を起こし、葛の寝巻を脱いで汗を拭い、僅かな所持品であるところの、葛の着物よりは少し厚手の麻の玄い礼服を汗が引いた身体へ纏い、白地に細い浅葱が浮かぶ帯で引き締めた。


 髪をつむじで纏め上げて質素な冠を被り、壁にひもで吊るされた木札――己の身分を示す札を深い袖の中へと落とし込み、すぐ下に立て掛けられた木剣を帯へとしゅるっ、と佩いた。



「これから君に謁見、か」



 呟きと伴に溜息を残して、扉を推して部屋を出た。



---



 ここ、公国の校の宿舎に放り入れられて既に二月ほど経っていた。



 二階建ての宿舎の一階の一室から出て、長い回廊を歩くとすぐに好い匂いが鼻を突く。

 厨からだ。


「おや、またアンタかい。部屋でゆっくり食べりゃいいもんを」


 厨から顔を出した、いつもの婆が心なし口を尖らせて言うのを苦笑いで黙殺して、掌を突き出した。


 そこに厨の脇の給仕口から暖かい粥が盛られた大椀が載せられる。


 婆が箸を突き出しながら、


「己の箸ぐらい、己で持ってろ」


 辛口でのたまわる婆の言葉を再び、今度は粥をかっ込んで黙殺することにした。


 婆どもは若い官吏候補の学生にどうも気安い。


「あたしにもねぇ、アンタぐらいの歳の頃の息子がねぇ……」


 粥を立ったまま啜りながら、正面の婆が給仕口に頬杖を突きながら滔々と喋るのを聞き流す。



 菜は無いが、代わりに今日は粥の上に醤で鹹めに煮られた小粒の貝と、油でてらてらした芥子菜を炒めたものが載っている。

 どちらも嫌いではない。


「ちゃあんと、噛んでお食べよ。男の子ってえのはせっかちでしょうがないねぇ。あたしの息子もさぁ……」


 毎朝のことではあるが、この婆は仕事をしないのだろうか。

 口中で噛み切りにくい貝と芥子菜、とろりとした米をもちゃもちゃやりながら思った。



「おーい、龍!」


 回廊の奥から大声で呼ばわれた。



 見れば、同輩の……某とやらがこちらに向かってくる。

 そのまま狭い給仕口の前に並ぶと、不躾に龍の椀を覗き込む。


「おお、今日は貝の煮しめに芥子菜か! お前の好物ではないか!」


 近くに寄っても相変わらず大声で喋りかけてくるので黙殺した。

 無視された同輩は無視されたことを無視して続ける。


「それより聞いたぞ! 貴様、公爵閣下直々に命を賜るそうではないか!」


 そういって、同輩の男が差し延ばした厚い掌にも婆によって椀が置かれる。龍の椀より二回りほど小さいが某の横幅は龍よりもはるかに太い。


「アンタも、自分の箸!」


 男の箸を突き出した婆の声も心なし大きくなっている。


「で、結局、むぐ、下命とは、むぐ、なんなのだ?」


 食べながらこちらを向いて喋るものだから、男の口が吐いた米粒が龍の額に飛来した。退って躱す。


虞衡ぐこうを継ぐべき、貴様が、賜るのだから、山林のことに、違いなかろうが!」



 龍は椀に残った粥をかっ込み、椀と箸を婆に手渡してその場を後にする。


「箸!!」


 婆の怒鳴り声を背中で聴いて、宿舎の出口へと向かう。



 ---



 校の宿舎は宮城外壁のすぐ南側に建てられているので登城は楽である。

 表通りは未だ閑散としていて人の流れは少ない。


 通りの広い途路の先、眼前に夏の射るような朝陽に浮ぶ宮城の南門が口を開いていた。


 刻限にはまだ早い。しかし、上官が既に登城しているかも知れなかった。

 門前、その両脇に立つ門衛へ歩み寄ろうとすると、龍の視界を真一文字に横切るものがある。



 蝶だ――



 朱色の燐光を放つ、掌に納まるほどの大きさの蝶。



 ゆらりと舞う蟲は、龍の見たことのない種だった。



 思わず手を伸ばしていた――




---




「もう、イヤだぁぁぁぁ」


 この世界に来てからどのぐらい経ったのか。


 俺は相変わらず蝶のままだ。

 だから情けない声を出そうとしても、出るわけも無い。

 蝶に声帯は無い。


 ここがド田舎じゃなくて、いわゆる異世界だってことは飛んでる間にわかった。


 電子機器を初めとした高度な人工物が一切ないから。

 見かけるアジア系の醤油顔の農夫や子供の着てる衣服も、雑に縫われてるっぽい着物だし。


 きわめつけは、巨大な土壁の城だ。

 その門を往き来する人並みを見て、城壁内が彼らの居住域なんだって俺は悟った。


 ミャンマーやブータンなんかには、こんな田舎もあるかも知れないけど、未だに土の城壁内で生活している人間はいないんじゃないか。

 それに電気の気配もなけりゃ、自動車もバイクも自転車すらない。



「弥生時代かよ!」


 俺の突っ込みを聴く人間もいねえ。



 最初は異世界転生もののラノベを思い浮かべた。


 今の俺にいわせりゃ、そんな主人公たちはえらく幸運だ。

 大概、人間に転生して、才能があったりして、活躍してうまくいく。



「ふっざけんじゃねえ」


 俺は蝶だ。もう、詰んでる。



 次に考えたのは、リアルとヴァーチャルっていうやつ。

 俺のリアルな身体は相変わらず六畳半で寝てて、意識?精神?だけがこの異世界にいる、みたいな。


 これもラノベによくあるし、映画なんかにもよくある。


 だけど、俺は所詮、蝶だ。

 反応速度に応じた特別なスキルを付与されてるわけじゃないし、

 なんか神的なものに選ばれたわけでもないし、

 義肢を沿革したような機械の身体も持ってないし、

 高度なハッキングスキルを持ってるわけでもないし、

 父と子と聖霊――≪三位一体≫を名乗る女が助けてくれるわけでもない。



 俺は蝶だ。もう、終わってる。



 どうでもいいことばかり考え続けて、まず後悔した。


 もっとちゃんと生きてりゃ良かった、って。


 もっとちゃんと勉強してれば、

 もっとちゃんと人の話を聴いてれば、

 もっとちゃんと汗水たらして努力してれば。



 次にキレた。



 ふっざけんじゃねえ、

 こんな境遇で何させようってんだ、

 やりようがねえじゃねえか、

 死ぬまで飛んでろってか!



 さらには初めて心の底から祈った。



 反省しました、

 もう勘弁してください、

 元の身体に戻ったら頑張ります、

 だからボクを元の世界に返してください。



 最後には諦めた。



「もう、いいや」



 俺は疲労していた。

 蝶の身体で初めて夜を迎えた時。

 まどろみと伴に、寝て起きたら元に戻ってるんだろうな。

 そんなことを考えていた。


 違った。

 罰は終わらなかった。

 なにに対する罰なのかも判然としないまま俺は飛翔する。


 ただ、死ぬことを避けるだけの為に飛んだ。

 結局、俺は同じことを繰り返してた。



 死なないように、

 ハブられないように、

 良心の呵責を感じないように。


 進歩はなく、手応えもなく、まるで変わり映えしない日々。



 俺はいつのまにか終わりを求めるようになっていた。

 この体に涙腺が備えられていたら、疾うに決壊して、この小さな体を溺れさせていたはずだ。



 永い蝶の生活で人恋しさは極限を大きく超えて、

 俺はひとつの欲望を見出す。



「……巨乳の谷間で潰されて終わりたい……」



 笑うことなかれ。切実なのである。

 豊饒の大地の象徴たる巨乳――

 渇き、やつれ、疲れ果てた末に、その谷間で最期の時を迎えたい、

 俺が、最期に母なるものを求めたとしてどんな罪悪があるだろうか。



 俺は、5、6メートルはある高い城壁を飛び越えて、街を彷徨う。

 巨乳ちゃんを探すために……。


 かなり前に子供の集団に追われてから、街や城壁には近寄らないようにしてたけど、もう関係ない。


 できれば美人がいい。

 だけど、贅沢は言わない。

 そこそこの見た目で六畳半で過ごす俺にはついぞ縁のなかった巨乳ちゃん。

 その谷間で、死ぬことさえ叶えば――




 神様ってのは、無慈悲なんだろうな。



 俺は横から伸びてきた大きくてゴツい手の影に身震いした。

 複眼でちらりと確認すれば、髭もまばらな若い男だった。

 身形は整ってるみたいだけど、俺の望む条件を満たしているはずもなく。

 そもそも性別からして、違う。



 俺に逃れる気力は無い。


「ああ」


 刹那考えたことは、

 もしかしたら死んだら、今度こそ元の世界に戻れるかも。




 それも、裏切られることになるわけだが。




---




 何の感触も無く、空を掴んだ己の掌を龍はまじまじと見つめていた。

 確かに捕まえたと思ったのだが。



 数瞬後、なぜか溢れ出る歓喜に龍は右拳を高々と突き挙げていた。



「よっっしゃあぁああ!!」



 間違いなく己の唇から漏れ出た言葉に龍は不審を覚える。

 己の意思とは関わりなく迸ったその言葉と行動が、龍には意味不明だったから。

 まるで戦場で聴く、鬨の声のような。獣の咆哮にも似た声。



「むぐ……どうした。龍よ」


 いつの間にか、己の背後に立っていた先程の某に肩を叩かれる。



「……いや」


 そうして龍は首を僅かに振って、奇妙な感覚を忘れようとして門に向って歩き出す。が。



『あれ? なんだこれ?』



 ごく近くに聞いたその言葉に振り返った。



「龍よ。どうした」



 振り返れば……やはり、名を思い出せない男。

 まだまばらな髭を生やした顔に、太い眉の下には二重目蓋の眼と不格好な大きな鼻が均衡を崩して並んでいた。某は首を傾げてこちら見る。

 こいつじゃない、声が違う。

 しかし、周囲を見回しても数歩圏内には某しかいない。


「今の声……」

 口にしかけて思い止まる。



 声、だっただろうか、と。



「声? 何を言ってる」



 こいつには聞こえていなかったらしい。



「……いや、なんでもない」



 平静を装って、龍は宮門へと一歩を踏み出した。

 内心は穏やかとはほど遠い。


 鬼神――そんな言葉が頭を過る。

 悪鬼や悪神は、ひとの頭に直に語りかけてくるという。


 鬼神の類に見初められた。

 その想像は考えるだに怖ろしい。

 これから公からの受命だという、この時になんと厄介な。



 そんなことを考えながら、龍は宮城へと向かう次の一歩を踏み締めた。



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