二、朱蝶、帝都に入る
――≪帝都≫。
龍によれば、ただ帝って言うと、人の帝――≪人帝≫様ってのを指すらしい。
≪帝≫ってのは、俺が元いた世界の『帝王』的なモンとは違うらしい。
確か≪神≫=≪帝≫みたいなもんだとか、俺もこっちの学校の授業で聴いたことある。
いつからか、特に≪神≫よりも偉大な≪神≫のことを、≪帝≫と呼ぶんだとか。
そーゆう意味では、≪人帝≫ってのは『生神』ちっくなモンなんだろうか。
地球での『生神』ってーのは、あんまりいいイメージ涌いてこないけども。……生け贄のことをそう呼んだりとか。
でも、こっちの世界の『生神』様はどうもそういう感じでは無いらしい。
こっちの人間世界――帝域では絶対、唯一とも言うべき主権者なんだとか。独裁国家なんて目じゃねえわ。中世ヨーロッパを話題にする時に必ず耳にする王権神授説もある意味目じゃない。
神様による直接統治。めちゃくちゃだ。
ギリシアの神様たちだって、人間世界には間接的にしか関わって無かったっていうのに、こっちの世界の≪人帝≫様ってのは、直接手を出しちゃう。
でも、帝国が樹立されてから二百五十年で、今の≪人帝≫は八代目だって言うから、ちゃんと人間に近い寿命はあるらしい。
≪人帝≫ひとりあたりの統治期間が三十年ちょい。そう考えると、とても人間っぽい。
「……って言うか、単に≪神≫名乗ってる人間なんじゃないの?」
畦道って言うには広い街道の端から、日差しの中に浮ぶ、帝都の10メートルぐらいはありそうな高い城郭を見上げながら俺はそんなことを呟いた。
城郭は、主にレンガって感じの土でできてる。良く知ってるレンガみたいに、手のひらサイズの石が積み重なってるんじゃなくて、固そうな層状になってる。
長双さんに聴いた話だと、粘り気のある土を突き固めて水分を絞って一層目を造ると、藁とか薪とかで周りを囲んで焼いたり、太陽光で乾燥させてレンガっぽくするらしい。
豪快っすね、って言ったら、存外繊細な業がいるんです、とのこと。
それを繰り返して段々、壁を高くして行った結果、層状――横に縞々ができるのだ、ということ。
緑の畑の中に突然そんな建造物が登場するモンだから、傍から見ると結構、異様……威容って言うべきか。
「……しゅちょ」
「うん?」
後ろから龍の声が聞こえる。気づいたら、ちょっと先行してたみたい。
次の瞬間、悪寒と伴に緋金の眼光に射られて、俺は動悸を覚える。
待ってください、おひい様。これは、もしや俺の心臓をわし掴みにされているのでは?
「……た、たんま……」
俺が振り返ると、輝く≪竜眼≫があった。
「おい、朱蝶。そなた、滅多な事を口にするで無いぞ。……壁にも耳目があると言う」
それは、あれでしょうか?
ご自分が立ち聞きをしてたことを棚上げするっていうボケなんでしょうか?
いや、でも、いくらなんでも単なるボケの為に≪竜眼≫を使うのはやり過ぎなんじゃないでしょうか?
心臓がゆるく掌で掴まれる感じ。膨張が、その範囲でおさまってしまって、十分に血液が身体に循環して来ない。
呼吸が荒くなる。体内を巡る酸素濃度を高めようと、拍動が速くなる。
少しぼやける視界で、ほかのみんな――長双さんと龍と尚を窺うと、おひい様を止める気配が無い。ちなみに、玲華ちゃんと≪白≫は留守番だ。
いつものパーティメンバーは、俺の様子は気にせずに、むしろ周囲を警戒してる様子。
俺が始終10メートルぐらいの範囲で拡げてる≪異気≫を、長双さんの≪気≫が包み込むように拡がってる。
そして、その眼で周囲を素早く確認して、長双さんはおひい様に声をかけた。
「姫様。問題はありませんから」
「いや、卿。こやつはわかっておらぬ」
マントみたいな布を被ったおひい様の首を、尚が後ろから抱え込む。
ヘッドロックだ。≪竜眼≫が無理やり封じ込められて、俺は漸くひと息ついた。
「ほう!」
「おひい様。まずは、朱蝶どのに御説明差し上げねばいけません」
手足をばたつかせるおひい様とそれを抱える尚。
それを横目に、龍が少し蒼い顔をして、俺に小走りに近寄ってくる。
「朱蝶どの、よろしいでしょうか。……今上陛下は、間違いなく≪竜帝≫の系にあらせられます」
こそこそと顔を寄せて、龍が俺にそう言う。
なんで、そんなに顔蒼いの?
「帝域とは、すなわち陛下の御持物。このうちにあるものはすべて陛下の手の内にございます」
「え? この話も聴かれてるってこと?」
「それは考えにくいとは存じますが、万が一誰ぞに聴かれでもしたら、己らみな首が飛びます」
龍はその指で、自分の首筋を指した。
「……それは、そうか……」
ちょっと安易、というか不用意な発言だった。……って言うか、鳥肌レベルのポカだな。
半分引き篭もり状態は、こういうことが起こってしまうみたい。たまーに、身体とのリンクが強まって、独り言ぶっこいてる俺はさぞ、不気味だろう。
うん? でも、待ってくれ。ちょっと、おかしくないか?
「ところで、おひい様とか長双さんもいるんだけど……人間としては最高レベルの戦力なんじゃない? つまり、その今上陛下って人は……」
ふたりを、凌ぐほどの武力とか兵器とか武器とか部下とかを揃えてるってこと?
それは、どうも考えにくい。
だって、長双さんは≪仙界≫でも一目置かれる存在だ。なんか、≪仙気≫とか言うのを操れる貴重な≪転仙≫とかいう存在らしいし……。
おひい様に至っては、今のところ対竜戦以外では、ほぼ最強の存在だ。
≪神≫にだって勝てるぐらいだし、なんか新しい技を覚えてからは、遠距離で防御無視の虐殺可能っていうチートな感じになってる。
ふたりが揃えば、≪神≫とか≪帝≫とかでもイケんじゃねーの、とか思う俺がいる。
「……それは、己もようわかりませんが。しかし、今上陛下が御指図なされば、士のみにて構成された禁軍――雲師とも申しますが、陛下直属の軍が動きます。……武威という点において、禁軍にまさる軍は帝域にはございません」
そのすべてが、鍛えられた者のうちでさらに選りすぐられた猛者なのです。
そんな龍の言葉に俺は違和感を覚える。
「……どのくらい強いの?」
「――ひとりで、皐公国の下級士官、十人に勝ると聞き及びます。雲師の卒においては単なる膂力ならば、私に勝る者もいるでしょう」
いつのまにか龍の背後に立っていた長双さんがそう言った。
「いやいやいや、長双さん。幾らなんでもそれは……」
だって、≪雷名≫将軍クラスの猛者なら地方行って将軍やってんじゃねーの?
長双さんに勝てる腕力って何さ。盛り過ぎでしょ。
「よろしいでしょうか、朱蝶どの。陛下の御許にあるは、帝域全土から選りすぐられた強者です。……八歳前、私にも雲師への士官の話が参りました。その時、示された待遇は士卒相当、百名を率いるものです。雲師においては、邦国将官が卒となり、また恐るべき事には集団での戦闘――個としての武技を練り上げた結果のそれを求められるのです」
伍――五名がひとつの指のように動き、卒は一本の腕のように動き、雲師全体は八面六臂のひとのように動く。
そう続ける長双さん。
「今の私でも雲師の卒、一隊に敵する事が出来るかは不明です」
当然って感じで微笑む長双さんに、俺は顎が外れるほどびっくりした。
うそーん。
……でも、そしたら、皐山の≪神≫とかめっちゃザコじゃん。
「……じゃあ、≪神≫より強い軍隊なんですか? ≪神≫とかダメダメじゃないっすか」
「――それは――」
「げほっ、良いか、朱蝶。……卿が今言ったのは、帝域で相対した場合じゃ。そなた気づかぬか?」
長双さんの言葉を遮って、尚の腕から解放されたおひい様が首をさすりながら、訊いて来た。
えーと、何? なんの話?
首を傾げた俺に、おひい様はちょっと思案げな顔をしてから、頷いた。
「……そうか。そう言えば、そなたが操るは≪異気≫じゃったな。……妾とてほかの者の口から伝え聴いたのみじゃし……まずは、帝都の門を潜るとしようか」
そう言っておひい様は、布で≪竜眼≫を蔽い隠しながら乱れたマントを頭からすっぽりかぶる。
「まずは、当初の予定通り、長双卿の旗下の者の節にて門を潜ろうか。……朱蝶、良いか。最近よく呆けておるようじゃが、≪意≫を張り巡らせておれ。あのような言葉は門の内に入らずとも二度と口にするでない」
おひい様はふつうのほうの眼で強く俺を睨んだ。
イエス、マイマム……的な意味を込めてとりあえず土下座する。
その横をおひい様をおんぶした尚が進んで行く。
……最近、尚とはあんまりまともに会話して無いな。
尚も気まずそうだけど、俺はそれに輪をかけて気まずい。
なんとなく、そんなこと思いながら、計画内容をしっかり反芻しながら立ち上がる。
――今回の任務は、つまるところ偵察だ。
そうすると、長双さんやおひい様のパスポート――節ってヤツを門番に見られるワケにはいかない。
ということで、俺たちがわざわざ公館なんかで待ってたのは、なんか朝覲っていうのに必要な貢ぎ物を待ってたワケじゃ無かったらしい。
先行して、長双さんと公館で落ち合う予定だった部下の人が持って来る、パスポートを待ってたらしい。
≪人帝≫って人か≪神≫かわかんねー存在に捧げる予定の御品物にキズでもついては大変だってことで、そっちのほうは割とゆるゆる進んでるそうで。
先行したのはふたり。
道中、四姐が壊してしまった馬車をかるーく改造して荷台の無い、古代エジプトの戦車みてえなふたりが並んで御者台に乗れるぐらいのスペースしか無い馬車を作ったそうで。ちなみにこの世界で戦場で使われる戦車も似たようなモンだから、割と簡単に作れたらしい。
で、四千里弱――1500キロ近い距離を二頭のお馬さんを潰す寸前までムチ打って、ひたすら駆けてやって来たんだ、と。それでも二十日ちょいかかったんだ、と。
とりあえず、お馬さんたちはおひい様のヒーリングで元気です。
……お馬さんたちの近況はさておき、こうして届けられたパスポートは、今、長双さんと龍の懐の中にある。
≪竜眼≫で有名なおひい様はマントで身体を隠して、病人のふり。尚は、たぶんノーマークだから、自分のパスポートで。
一般的に全員のパスポートの提示を要求されることは帝都といえども少ないそうで、三人もいれば大丈夫だろうという長双さんの推測だ。
長双さんの先見の明には恐れ入る。鬼子母神レベルで。
長双さんといえども、流石にこーゆう状況は予測して無かったんでしょうが。何かあった時の為に、ふたりだけ先行させるというアイディアが奏功した感じなんだろうか?
ちなみに、俺たちの設定はこうだ。
朝覲の為に帝都近郊まで来ていたけども、病人が出てしまったので先行して、帝都のお医者さんにかかりたい。
病人役のおひい様は、そのまま皐公国の身分の高い人を演じるんだけど、その病気が感染病の疑いがあるから身分は明かせない。皐公国の外聞に関わるから。
それに付き添う尚は、そのご婦人の従者ってことでほぼそのまんま。
長双さんと龍は護衛。
俺は万が一、身分を検められそうになったら、奴婢――奴隷ってことになるそうです。
奴隷役は龍がやるって言い張ったんだけど、おひい様と長双さんが却下した。
……なぜなら、俺がポカをやっても、奴隷の戯言で済ませられるし、龍はれっきとしたお役人様なので、お役人の役はふつうにできるでしょう、と。
異義は無い! なぜなら、ポカをやる気がするからだ!
ということで俺は、今、ボロい着物を身に着けてる。
ボロいっていうか古着だね。公館で貰ったところどころほつれたような着物だ。
――そんな、俺の献身(?)の甲斐あって、俺たちは今、城郭に開けられた門を潜ってる。
トンネルだ。壁は高さもあったけど、厚さもハンパ無い。入る時になって横を眺めてわかったけど、壁にはゆるーい傾斜がある。
下に行くほど厚く、上に行くほど薄く。薄いって言っても頂点でも数メートルぐらいの厚みがあるんじゃない?
とにもかくにも、トンネルを抜けても、雪国は無いけども、ものスゲぇ喧騒はあった――
眼が白黒する。
人口密度高い。
あと、その割に道路広い。
皐公国の公都みたいに、壁の中に幾つも城郭よりはだいぶ背の低い壁がある。
でも、なぜか広々してるように思うのは、道路の幅がやたらに長いことと、壁と壁の間がやたらに広いことと、あと立ち並ぶ建物がデカいことによるんだと思う。
公国でもあんまり見なかった二階建て以上の建築物がわんさかある。
いや、流石に新宿とかの高層ビル街には及ぶべくも無いけど、ここ数か月で見慣れて来た街に比べたら、都会ですねー。
そうして、俺たちは、喧騒の中へと一歩を踏み出した。




