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意天  作者: 安藤 兎六羽
四章 仙
116/159

十五、その頃、おひい様は……


 朱蝶ら三人が≪白王神≫という≪獣神≫に攫われて、既に旬と五日が経過していた。


――しかし、朱蝶の≪意≫が消えた気配は無い。妾にはわかる。大方の方角もじゃ。


 小車――馬に牽かせた車に揺られながら、そう考える。

 主従の盟約は生きている。ゆえに、朱蝶に近づけば、もっと確かにわかるだろう。


 それにしても、≪白王神≫という名。

 西の果て、≪崑崙≫に在るという≪獣神≫の名。

 すぐに≪白帝≫が思い浮かべられる。


 ≪崑崙≫には主に独りの≪帝≫と、独りの女神がいると伝え聞く。

――≪白帝≫と、≪獣神≫たちの母と言われる≪西王母さいおうぼ≫。


 ≪崑崙≫はそも、ひとつの山系だ。

 いくつもの御坐を持つ。それらの御坐の頂点――最も高く、最も険しい頂きに坐るのが≪白帝≫。

 同時に、山系のすべての御坐は≪白帝≫のものだと言う。つまり、この世で唯一、複数の御坐に坐る事が適うのが≪白帝≫という≪神≫――≪帝≫なのだ。


 ≪西王母≫以下、あらゆる≪獣神≫は≪崑崙≫に在って、≪白帝≫に仕えるのだと言う。

 ゆえに、≪獣神≫は御坐を持たず、御坐に縛られる事は無い。しかしながら、≪白帝≫を介して≪神気≫を操ると言う。

 星宿によって定められた、竜と双璧を成す神獣――それが≪獣神≫だ。


――帝域に伝えられる≪獣神≫の名は、数多あるが、しかし……。まさか、≪白王神≫とは。


 驚きを禁じ得ない。

 ≪獣神≫らの王。その咆哮は地を裂き、≪大河≫を割ったとも伝えられる。

 ≪白帝≫の股肱ここうにして、≪西王母≫の長子。


 その名を長双より聴かされた時の、驚愕はまだ頭の隅に燻ぶっている。

……その長双卿の姿は、おそらく、すぐ後ろの小車の傍らにあるはずだ。



 四台の小車が連なり、北は皐公国、北鄙を目指して進んでいる。

 その周囲を夏官――武官の供回りが二十名ほど、徒歩にて従っている。夏官を率いる役目を長双に負わせようという思惑は、危うく頓挫するところだった。

――≪火聖真女≫の一言で。



――わたくしの夫たる御方を、供回り程度に遣うおつもりでしょうか? ――



 今思い出しても、腹が立つ。かの仙女に≪竜眼≫が効くか試してやろうと思うたほどに。

 父の言葉がもう少し遅ければ、かの仙女を力づくで黙らせてやったものを。



――なるほど。では、≪火聖真女≫様も帝都へ赴かれてはいかがかな? ……長双は貴女様を御護りする為に参るのです。夫が妻を護る。これこそ夫婦の情誼じょうぎというもの――



 ひとの状に転化した≪せき≫という竜があからさまに渋い顔をしていたが、仙女の顔は輝いていた。


 よって小車がひとつ増えた。

 ≪巫姫≫たる≪はつ≫とその侍従たる尚が乗る小車がひとつ。

 ≪火聖真女≫と≪赤≫という竜が乗る小車がひとつ。

 帝へと捧げる御物を載せた小車がひとつ。


――最後のひとつには、これでもか、と言うほどに悪神どもが積まれている。




 ―――




 九女は途方に暮れていた。

 己も含め総勢六柱の姉妹たちが、この狭い空間にひしめき合っている。

――いや、本来ならば、十分広いはずだ。


 従者の≪めい≫を含めても、一名と六柱が両側に設えられた腰掛けに座って、幾分余裕があるはず。

 だが、まず四女が暴れる。


「おお! 見よ! いもらよ、地が勝手に動いてゆくぞ!」


 車の左に開けられた格子窓に顔を寄せて、今度は車の中を横断して、右の格子窓に顔を寄せる。

 まったく、この姉はいつまでも変わらない。

 阿呆だ。上のほうの姉らは大概、頭が弱いが、四女は群を抜いている。


「それでねー、尚姐ったらねー、うちの頭を掴んで脅してくるのー。スゴいでしょ?」


 十三女は十三女で、みなの足許に寝そべって眠りこけている十一女を相手に喋り続ける。

 おそろしい勢いで。久しぶりに会ったせいか、止まる事を知らない。

 旅に出てから七日、十三女はここ三百歳の出来事をすべて話し切るつもりのようだ。


 十一女は相変わらず。四女にどれほど踏まれようと、起きる気配が無い。


「四姉様、うるさいです! ひとの子でもあるまいし、何をそれほどはしゃがれる事がある!」


 十二女が狭い車の中、座席の上に立ち上がって、四女を初めみなに注意する。

 比較的まともなこの妹も、面倒見が良すぎて難がある。四女や十三女と言い争いを始め、それを九女が止めるはめになるのだ。


「放っておけ」


 機先を制して、九女は十二女に向かってそう言った。


「しかし、九姉様! 四姉様はさきほどから、十一姉様の身体を踏みつけておられるのですよ! 第一、十一姉様はまたそのようなところに寝そべって!!」


 揃いの赤い衣の袖を引いて、十二女を座らせる。この十二女も大概、阿呆である。

 妹どもは、末妹の十六妹を除けば、下に行くほど口が立つ。

 阿呆の四女ではすぐに言い負かされてしまうのだ。すると、四女が癇癪を起す。暴れる四女を止めるのは、姉妹五柱を以ってしても骨が折れる。


 そも、非力な下の妹どもでは力になどならない。ゆえに、四女が暴れ出せば止めるのは九女の役目となる。

 だが、九女の膂力では四女には敵わない。宥めすかして、美貌を称え、膂力の強さを褒めちぎるぐらいしか手立てが無い。


――そこまで、理解していないのか。はたまたこちらの苦労を斟酌しんしゃくするつもりも無いのか。


 とにかく十二女も、また阿呆だ。



 結果、阿呆の姉妹らが詰め込まれたこの車の中に静謐は望めない。


「まあまあ、十二女神様。久方ぶりの御姉妹神様との再会に、四女神様もお喜びなのでございましょう」


 従者の≪孟鳴もうめい≫がほくほく顔をしながら、そう言う。


「≪鳴≫! 貴女からも四姉様に何とか言ってお上げなさい!」


「……麗しき御姿に恍惚としてしまいますわ」


 本当に惚けたような顔を晒しながら、≪鳴≫はそう言う。


「そのような事ではなくてですね! いいかしら、≪鳴≫……」


 十二女の説教に、車の隅の床の上で十一女の脚を膝に乗せながら座って、聴き惚れる≪鳴≫。

……なぜ、≪孟氏≫という者らは、総じてこのようなのか?

 ≪孟鳴≫という女は、まだましなほうではあるが、それでもこの車の内を、まるで美麗と名高い≪太山たいざん≫の頂きのようだ、とのたまった。


「……疲れる」


 大人しいのは膝の上に載せた十六妹ぐらいのものだ。


「もそっと、≪意≫を保っておれていれば……」


 九女は旬ほど前の事を思い出す。



――おお、いもらよ! あたしのがかどわかされたのだ!! ――



 皐公国とやらの宮で会うなり、四女は九女に抱き付き、背骨をへし折ろうとしながら言ったものだ。

……ほかの姉妹たちは、九女を盾にしていた。



――……かの≪孟氏≫の氏神、≪女神のはらわた≫の皆様方を皐公国にお招き出来た事、我が公も喜んでおりまする――



 地官長と名乗った男が、顔を引き攣らせながらそう言ったのを憶えている。

……その後は、四女に絞められすぎて≪意≫を喪ってしまったのだが……。


 次に目覚めた時には、既に帝都へと向かう一行に同道する事が決められていた。

 ≪鳴≫によれば、四女の夫は北にいるらしいと言う。

 しかも、かの≪極南山≫が≪火聖真女≫と伴に行くと言う。


 なぜ、≪火聖真女≫が人界にいるのかと訊けば、ひとの婿を取ったのだと言う。


――なんだというのだ、いったい! 


 いや、確かに、≪女神のはらわた≫たる九女は、≪竜帝≫と共闘した事もあり、≪孟氏≫ども――そして≪人帝≫を通じて五山が一角≪荊山≫の≪力牧真人≫にも会った事はある。

 三百歳前に、不干渉、不可侵を決めた間柄だ。≪女神のはらわた≫は≪荊山≫――≪仙界≫と、≪人帝≫の領野のまつりごととやらには関わらぬ、と。

 ≪荊山≫とはそうだが、≪極南山≫とは何も決めていない。下手に≪火聖真女≫などと行動を共にすれば、≪力牧真人≫に勘繰られるのでは無いか?



――ほほ。わたくしと致しましても、そちらには興味はございませぬ――



 笑いながら≪火聖真女≫はそう言ったが、問題はそこでは無い。

 五仙どもがどのように考えるか、だ……。


「……そもそも、≪相柳≫を討ち、四姉と十三妹を助けに来たのでは無かったか……」


 その≪相柳≫は四女の夫が退けたと言う。

 それを念話で報告すると、ほかの十柱の姉妹たちは大いに沸いた……。

 そして、九女に言うのだ。



『九女よ、お前が頼りだ。四女は阿呆だし、下の妹どもは無≪意≫にして、ひととの暮らしを楽しんでいる節すらある。……その四女の夫に御坐を奪わせ、我らが御坐に坐り、母上の名を再び響かせるのだ!』



 上の双子が声を揃えてそう言い、ほかの姉妹たちも、そうだ、そうだと口ぐちに言う。


……九女には言葉も無い。

 姉妹たちはだいたいにおいて、≪仙界≫の事情も、≪人帝≫の領野との関わりも、すべて九女任せなのだ。

 確かに≪孟氏≫の者らは使えるし、尽くしてくれるが、このような複雑きわまり無い事を、九女に押し付けられても困る。


「せめて、≪火聖真女≫とは一度、改めて話をつけておかねば……」




 ―――

 



「≪赤≫どの。やはり、人界の車駕とは乗り心地が悪うございますね」


 ≪火聖真女≫――≪女娃じょあい≫は、向かいに腰掛ける守護竜に話しかけた。


「御≪意≫承りましてそうろう。しからば、竜の身に戻り、この背に御乗りなられますか?」


 ≪赤≫の申し出に、微笑みながら首を振った。


「……皐公爵どのに譲った二十歳。わたくしもこのような物に慣れねばなりませんわ」


 ≪赤≫が苦渋に満ちた顔をする。


「畏れながら、姫君――」


「わかっておりますわ。≪赤≫どのは、わたくしがこのような暮らしをするのが許せぬのでしょう?」


 ≪赤≫は沈黙する。

 肯定、という事だ。常にこの竜は≪女娃≫には逆らわない。

 それを忠義とほかの者は言うけれど、ただ、≪女娃≫の瞳に父を見ているに過ぎない。


「ひとをいつくしみ、生を全うされた父上――≪炎帝≫陛下ならば、きっとお喜びになりますわ」


 ひとの状に転化した竜はまた、沈黙を以って応える。

 これも知っている。≪赤≫は父の名を、今は亡きその≪意≫を語ると沈黙する。

 おもんばかる事すら適わぬからだ。


――しかし、≪女娃≫は心底、そう思う。

 長双との出逢いには、星辰の導きを感じた。あるいは、父の導きを。


「あれほどの御方に、千歳を経て出逢う事が叶うとは……」


「然様に存じまする――≪皐陶こうようこう≫の薄まった系の末に、あれほどの者が在ろうとは……」


 おそらくは、祖へと回帰したのでしょう。

 そんな≪赤≫の言葉に、また首を振る。


「……わたくしは、ひとたる長双様に、この胸を射抜かれたのです」


 ≪赤≫は三度、沈黙する。

 苦笑する。≪赤≫は知り得ぬ事については語らない。

 竜たる≪赤≫には、この胸の高鳴りも、その由も知る事が適わないのだ。


「……時に、≪赤≫どの。……あの娘を御覧になりましたか?」


 ≪赤≫が俄かに顔をしかめた。細かい鱗に蔽われ、眉根や鼻の辺りがひとのそれよりも大きく盛り上がった厳めしい顔。

 それが、より厳めしく、険しくなる。鼻の下から伸びた竜髯りゅうぜんが微妙に揺れている。

 焔の如き頭髪が燃え上がるよう――


「≪竜眼≫――間違いなく、≪禺≫の末裔。……そして、何より――」


「≪破格≫、……ですわね?」


 引き取った言葉に、≪赤≫はゆっくりと頷いた。

――竜を弑し、≪神≫を産み続けた≪禺氏≫。あの娘には間違いなく、その系が及んでいる。

 ≪赤≫の「同胞殺し」の≪禺≫。


 それだけならば、まだしも、≪破格≫。

 さらには、皐公国の系に属する。つまり、≪人帝≫の領野に属するのだ。


「≪赤≫どの。ご心労をおかけ致します」


 頭を下げると、≪赤≫の殺気が落ち着いて行く――


「……二百五十歳前の≪竜帝≫との盟約により、竜は≪人帝≫の領野に属する者を害う事適いませぬゆえ……」


 溜息を漏らしながら、≪意≫を噛み殺す≪赤≫に、胸を撫で下ろす。



――しかし、≪竜帝≫。

 恐ろしい男だ。このように帝域などと言うものを建ち上げ、この世を変えてしまった男。

 ≪仙界≫も≪神≫ですら、あの男の暴挙を止める事が出来なかった――


「……その末たる≪人帝≫とは、いかな御方なのでしょうか?」


 初めて人界を往く≪女娃≫の胸は、期待に膨らんでいた――




 ―――




――急に車が停止する。


「何事じゃ?」


 鬱屈としている尚に問う。ぼんやりとこちらを見返してくる尚。

 まったく、何をそれほど引きずっておる事やら。


「おい、何事じゃ?」


 御簾みすの外へと声を張り上げた。

 前方より、ひとの駆けてくる足音がする。


「……その、巨躯の老爺が……今、長双将軍が……」


 そう言った武官の声を遮って、車を震わせる大音声が聞こえて来た――


「――≪荊山≫が≪三老≫・≪常喘じょうせんせん≫ここにまかり越した。――≪朱蝶≫なる≪神怪≫の主どのはおられるや?」



――……あの阿呆めが、≪荊山≫を相手取って、何をやらかしおったやら……――


「――尚、付いて参れ!」


 呆けた尚の腕を引いて、車の外へと飛び出す。

……頭が痛くなる。文句でもつけられたら、いっそ、名高き≪三老≫を相手に暴れてやろうか――


 皐公国の姫はゆっくり兇悪な笑みを溢した。



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