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意天  作者: 安藤 兎六羽
一章 怪
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九、血の盟約






 少女――怪物が跳び退る。

 軽い重しが退かされて、俺は本格的に自由になったはずなのに相変わらず無様に尻餅を突いたままだ。

 動けないんだ。



「……国都の壁の内にて穢らわしくも、尸鬼しきに出くわそうとは思わなんだ」


 怪物は、細い少女の声で俺を罵る。――尸鬼、と。



 俺は覚悟を決める。たぶん、逆立ちしたってこの怪物――きっとラスボスだろう――からは逃げられない。

 そう、俺は諦めが早いんだ。悲しいかな、それだけが取り柄なんだ。


 ちょっと前に『復讐だ!』ってあんなに強気でいられた理由は、きっとリアルにこんな化け物を目にしたことがなかったからだ。

 見られただけで動けなくなるとか、なんてチート?

 細胞レベルで身体が怯えちゃってる感じがするんですけど。

 こんなのに勝てるワケねーじゃん。


 この世界で蝶になって以来、何回死を想ったことだろう。……実際、一回死んだようなもんだし。龍に潰されて。

 今回こそはもうしょうがないよね。


 どうせ最期なんだから、ちょっと訊くべきことを訊いておこう。答えてくれるかはわかんないけど。



「……あのぅ、つかぬことを伺いますがぁ」


 すっげえ声が震えるぅ。昔のコマーシャルのチワワ並みのプルプル感。

 しょうがないよね、誰だって死ぬのはコワいもんね。



 怪物は一瞬、驚いたように眼を見開き、やがて細める。


「≪竜眼りょうがん≫に睨まれて口が利けるとは、大した鬼じゃな。面白い、申してみよ」


 口の右端だけ持ち上げて、そう言う怪物ちゃん。きっと嘲られてるんだろうけど腹も立たない。

 むしろ、聴いて貰えて有り難いぐらい。言葉が話せるってイイよね……。


「尸鬼って、なんでしょうか?」


「……うん?」


 いや、字面からなんとなくはわかるんだけど、『尸鬼』。

 結局、俺ってなんだったのかな、って思うわけで。

 生きる意味とか、生きた証とか、そーゆう漠然としたことじゃなくて……。


「いや、偶然なら偶然でイイんすよ? 初めこそ蝶にされちゃったけど、チャンス貰った気もしないでもないし。龍はかなりイイヤツですし。きっと、こういう境遇も俺の捉え方次第だったんでしょうけど、どういう理屈かわかんないのは納得できないっていうか。

……いや、文句とか愚痴とかそーゆうんじゃナイんす。偶々だったら偶々だったで、事故にでも遭ったと勝手にこっちで思いますし。どっちかって言うと人間だった時の因果応報って言われれば、それはそれで、そうっすよねって感じですし。龍の身体ん中入ってからも、努力の方向間違ってないかなって薄々思って……」


「待て!」


「あ! ……すいませぇん! ……結局なんか愚痴っぽくなっちゃって。それで、尸鬼ってなんなんですかね? やっぱ俺の元の身体って死んでるんすかね?」


「……その身体はお前のしかばねではないのか? いや、そも死体ですら無いのか?」


「ええ、まあ。違いますね。……持ち主は今寝てるだけっすから」


 ん? なんで困惑した、みたいな顔してんの?


「……お前、本当に鬼か?」


「いや、……俺が訊きたいんすけど」


 なんか考え込んでる。あのコエー眼が逸らされたぞ。

 今なら逃げられんじゃねーの? ……ダメだ、こっち見た。


「……鬼、とは、死して宗に祀られぬ者のこと――主にひとをそこなう悪鬼じゃな。ひとは誰しも死すれば鬼か祖となる。祖とは系に繋がれた鬼、とでも言い換えるべきじゃな。……尸鬼とは、死してのちの鬼が己がむくろを操るものを指す。もしくは、誰かよその躯に這入り込んだ鬼のことじゃな。……さて、お前は鬼じゃろうか?」


「はあ、……どうなんでしょうか?」


 つまり、鬼ってのは桃太郎が退治するところの怪物的な何かじゃなくて幽霊ってことなんだろーね。

 で、祖ってのは祖先――祖霊のことなのね。


……俺の元の身体が死んでるんなら、俺は間違いなく鬼だろーな。

 残念ながら、それが濃厚です。

 つまり、俺のほうがアンデッド系モンスターだったらしい。

 するってえと、眼前の少女の形をした怪物はラスボスって言うより勇者――もしくは神官系の能力を持ったキャラって感じか。


 ゴーストは勇者パーティに斃される運命だもんね。

 アンデッド系のモンスターが≪聖なる気≫みたいのに弱いのは常識だし、あの眼差しがコワいのは当然なんだろうね。

 たぶん、ふつうの人間が見ればあの暗闇色の眼球も緋金に輝く瞳孔も神々しく見えるんだろうね。


 でも、この神官様だか勇者様だかは悩んでおられるご様子。

 なんでだ?



「ふうむ……。蝶にされた、とか申しておったな。どういう経緯いきさつか詳しく聴いてやろう。語るがよい」


 ちっちぇえ胸の前で腕を組んで、聴きの体勢の勇者様――いや、そういや「公爵の三女」って言ってたからこの国の≪お姫様≫なのか。



「はあ。……ええっと、俺元は人間だったんすけど、気がついたら蝶になって飛んでて、何もできなかったんでそのまま随分永い時間、蝶として過ごしまして――」


「永いとはどれほどの時じゃ?」


「さあ? 最初の十日ぐらいまでは数えてたんすけど、蝶ってどうも人間より代謝が早いらしくて、もの凄い体感時間が永くて」


「旬。いや、旬以上か。……ふむ」


 お姫様はこちらをじろじろ眺めまわしながら、紅い唇を裂くように広げてにんまり笑う。

 こっえー……。


「そなた、死してのちに名を与えられたじゃろう。どうじゃ?」


「はい、≪朱蝶≫って名前を龍――この身体の持ち主から貰いましたけど、どうして?」


 満足そうに微笑むお姫様。

 でも、極悪に見える片目のせいで俺には衝撃映像以外の何ものでもない。


「面白い、そなたは既にたかが鬼如きとは同じゅうできぬ代物じゃ。かと言って神というにはあまりに弱い。≪●≫にも絡め捕られておらぬようじゃしのう」


 あれ? 今なんか塗り潰されたみたいに聞こえない言葉があったぞ。

 それより、鬼じゃないって何。

 知らないうちにモンスター脱却してたってこと?

 喜んでいいのか? これ。


「あの、それは喜んでいいものなんでしょうか?」


 訊いてみた。


「おおとも。存分に喜ぶが良い。少なくとも妾に消される心配は無くなったのじゃから」


……素直に喜べるわけがない。

 やっぱ、殺すつもりだったんだ。

 六畳半に長々引き篭もってたわりには俺の第六感も棄てたもんじゃない。

 たぶん、蝶の生活で鍛えられたんだろうな。


 それよりも、こっちの世界に来て漸く事情がわかりそうな人間に出会えたことは事実だ。

 このチャンスは逃せない。


「問いを重ねるようですが、なぜ俺は蝶になったんでしょうか?」


「知らぬ」



 即答かよ。


「そう不満気な顔をするな。良かろう、代わりにひとつ面白い事を聴かせてやろう」


「はあ」


「そも、鬼とはそなたのようには確たる≪意≫を保てぬものじゃ。大概、一日と保たず妄執に囚われて前後不覚に陥る。己がかたちもわからん」


「へー」


「気の無い返事じゃのう。まあ、よい。……鬼はほとんどが≪異気いき≫――いわば瘴気じゃな。それに呑み込まれて消える」


「瘴気っすか」


 今のところ聞いたことがないワードのオンパレードだな。


「稀に鬼の中にはひとや獣を害うものが在る。これを悪鬼と呼ぶ。しかし、所詮は己もわからぬような下等な≪格≫しか持たぬゆえ、できることは知れておる。せいぜいちょいと夢枕に立つ程度じゃな」


「それは地味に嫌ですね」


「ほうっておけば勝手に自滅しおる。大したものではない。……問題は≪神格≫を持つものよ」


「≪神格≫というと?」


「≪神たる格≫じゃな。おおまかに生前の≪意≫や記憶を保つものが多い。世に名を成したような英傑が死後≪●≫に絡み取られてそのようになることが多い。単独でそのように成るものも稀には在るが」


 また、よく聞こえなかった。

 翻訳が追いつかないのか、それとも龍が知らないのか。

……とにかく、≪神格≫てのは英霊みたいなもんか。待てよ?


「俺も、たぶん生前の記憶持ってますけど?」


 何、俺って英霊なの?

 そうかぁ、それもそんなに悪くないよねー。≪英霊≫朱蝶。みたいな?


「そこじゃ。しかし、そなたは英傑やその≪神格≫と呼ぶにはあんっまりに脆弱じゃ。何せこの≪竜眼≫のひと睨みに縛られる程度じゃからのう。本物の『神格』ならばこの程度ものともしまいて」


 ですよねー。いや、ちょっと夢見ただけっすよ。だって単なる元・引き篭もりですからねー。

……ちょっとだけ、ね。「あんっまりに脆弱」とまで言われるとは思ってなかったけども。

……あれ? なんか視界が滲んできた。


「……何を泣いておる」


「いえ、ちょっと目にゴミが入っただけです」


「……まあ、気にするでない。だからこそそなたは面白いし、使える」


 慰めて貰っちゃった。

 うん? 使える?


 お姫様が近寄って来たぞ。

 尻餅を突いたまま動けないこの身体の左腕が掴まれる。


「え、なんですか? 使えるって」


「光栄に思え。そなたに妾が名を与えてやろう。さすればそなたは妾と盟約によって結ばれる。この≪巫姫ふき≫のしもべとなれるのじゃ」


 いやいやいや。何、そのジャイ○ニズム。

 待て待て待て。


「光栄なんですけど、なんて言うかその……そう! 俺にはもう≪朱蝶≫っていう名前がありますし、ね?」


「それもそうじゃな。では姓を与えるとしよう。≪皐≫と名乗るが良い。≪皐 朱蝶≫――悪くない。今、その身に刻んでやろう」


 そう言うと、精神にジャイの遺伝子を持つお姫様は懐からなんか棒みたいのを取り出す。

 あ、棒じゃねえ。鞘がするっと落ちた。刃物――刃渡り30センチぐらいの短刀だ。

 その柄を逆手に握った極道も真っ青なお姫様は、まっすぐこの身体の左手の甲に狙いを定める。


「いや、この身体の持ち主は龍ってヤツなんで、傷つけられると困るんですけど」


「国姓は本来、父上にしか賜れぬものじゃ。じゃが鬼籍に入っとるそなたにならば、妾が与えようとも構わんじゃろ。ただの鬼から国姓持ちじゃぞ、嬉しかろう?」


「いや、そういうことじゃなくてですね。……イッテえ!」


 お姫様が容赦なく手の甲を切り刻み始める。てか、切れ味悪いよ。切り刻まれてるっていうより、皮膚を引き千切られてる感じがするもの!

 こっちの痛みとかに関係なくお姫様、熱中。こいつまじでクレイジーだ!

 やべえ、これ以上関わりたくねえ!


「だーれかあっー! 助け……ひぃっ!」


 血を滴らせた白刃が顔の前で閃く。


「大の大人がこの程度で泣き喚くでない! もう少しで……ちっ!」


 お、なんかドタドタ地面が鳴ってるぞ。誰か近づいてくるみたい。

 やった! 天の助けだ!


「時間が無い。不完全じゃが――」


 そう言うと、暴虐の権化たる姫様は自分の指に刃物の切っ先を軽く立てて小さな創を作る。

 ぷくりって浮かんで来た血の玉を、指ごとこっちの左手の傷口に塗り込んでくる!


「いぃぃってえぇーーー!!!」


「じゃかあしいわい!」


 あ、それ鄙語だ。とか言ってる場合じゃなくて!

 足音がどんどん近づいてくる。早く来てくれ!


「こっちのほうから聞こえたぞ……おひい様あー!」


 ≪おひい様≫とか呼ばれてんの、この人?

 マジもんの姫様だったのか。ちょっと単に危ない人なのかなって思いかけてたよ。

 危ない姫様だったんだ。……余計にタチ悪くねーか?


「終わった。……フフ、ふへへへ」


 笑い出したよ。引くわー。


「これでそなたは妾のものじゃ! 努々忘るるな!」


 捨てゼリフを残して、≪おひい様≫は地面に落ちてた鞘と布を拾って門の向こう側へ消えた。

 と、思ったらそっち側からやってきた集団に門の先の大通りですんなり捕まる。

 お、やっと身体が動くぞ。


「離せ、しょう! 無礼じゃぞ」


「いいえ、離しませぬ! 御眼を用いて宮城を脱するなど、巫女としてのご自覚が無いのですか!」


 おお、なんか鎧姿の女武者に抱えられて叱られてるぞ。

 もの凄くいい気味だ。


「朱蝶ーー! 主の危難じゃ! 助けよーー!」



 俺はそんな声を背中で聞き流しながら、血の滴る左手を抱えてもと来た道を戻る。

 時間は大丈夫だろうか?

 この創のこと、龍になんて言い訳しよう?

 などなど考えながら。


 ≪おひい様≫のことは犬に噛まれたと思って忘れることにした。





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