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BAR「紫菫」

1


 俺は毎晩の様に通っているBAR「紫菫」にいた。


 スピーカから流れてきたアンディ・ウィリアムスが歌う「Moon River」を聞きながら、カウンターの一番奥の席で、麒麟淡麗グリーンラベルを飲むのがいつものお気に入りだ。


 「おまえなぁ、せっかくウチみたいな本格的なバーに来ているんだからよぅ、たまにはカクテルとか頼んでみろよぉ」


 古い友人でもあるこの店のマスターの山岡が、グラスを磨きながら店の雰囲気を壊すような甲高い声で言った。


 自らの腕の見せ所がない事にとても憤慨している様だ。


 カクテルを作る技術はたしからしいが、こいつは喋らない方が店の為にも良いと俺は思う。


 地下鉄の駅に近く、割と栄えた繁華街にあるこの店は、小さいながらも雰囲気の良い店だったが、今日はまだ開店からの客は俺しかいない。


 「うるせぇな、俺はこれが好きなんだよ。飲みやすいし苦さもちょうど良いんだ。サッポロ黒ラベルだと俺には苦すぎるんだよ。それにウィスキーなんかはキツ過ぎて飲めねぇよ。カクテルは、ライムサワーとかなら飲めるけどな」


 「バカ野郎ぅ、居酒屋行けよ、この野郎。おまえの相手だけだとぅ、東京の老舗バーで修行してきた俺の腕も鈍るじゃねぇかぁ」


 「この店に客が来ないのは俺のせいじゃねぇよ。おまえのその態度と妙に甲高い声が悪いんだ。だいたい俺がどれだけこの店の売り上げに貢献していると思っているんだ」


 「声は生まれつきで仕方ねぇよ。おまえは俺を産んだ母ちゃんにケチを付けようって言うのかぁ?売り上げに貢献とか言うがなぅ、いつもツケだろう。そんなんだから、嫁さんにも逃げられるんだよぅ」


 「いつか出世払いで払うって、いつも言っているだろ?それに嫁さんと離婚したのは性格の不一致ッて言う奴だ」


 「自営業がどうやって出世するんだよ?いいかげんに探偵なんてヤクザな家業は辞めちまいなぁ」


 俺は確かに探偵だ。


 浮気調査や犬の散歩、老人宅の買い出しに、頭が可哀想になってしまった人の身内から頼まれて、心の病院に連れて行ったりする。


冬場は独居老人の家の周りの除雪が主力となる。基本的には何でも屋だ。


だけどもやっぱり探偵とは、バーがよく似合うであろうから、俺はこのバーで飲んでいるのだ。


 「一人で暮らして、別れた嫁さんに娘の養育費を払うには十分な稼ぎはあるよ」


 「だったら、ウチの店のツケも払えょ」


 「うるせぇな。そう言えば、出来たちゃった結婚したお前の16歳の嫁さんは元気か?妊娠中でもヤっているのか?」


 「元気だし、お腹の子も順調だ!!それに安定期に入れば妊娠してても無理しなければ出来るんだよ。お前だってヤっていただろ?」


 「やるわけねぇよ。俺は口だけだったぞ?」


 「大差ねぇよ!!」


 下品な会話が続く中、店の中に流れる曲がブレンダ・リーの歌う「End of the world」に変わった。 


 「いいか、俺たちも来年には40だ。もう人生の半分以上は生きた計算だ。俺はこの店を持ったし、若い嫁さんもらって、子供ももうすぐ生まれる。それは割と幸せな人生だ。お前はどうだ?嫁さんは出て行って、小さな娘とは離ればなれだ。浮気調査なんかして幸せか?寂しくないのか?」


 山岡は空いた俺のグラスを下げて、四杯目の新しい麒麟淡麗グリーンラベルの注がれたグラスを置くと、そう言った。


 そりゃあ寂しいさ。


 嫁さんはともかく、離れて暮らす娘はまだ五歳でちょうどかわいい盛りだ。


 「寂しいわけ無いだろぅ。一人暮らしは気楽なもんだょ。俺には16歳の嫁さんをもらったお前が信じられないねぇ」


 涙声だった。


 強がりを言うのはいつもの事だ。


 そんな中、夜も更けて遅くなった頃、六人連れの客が珍しくやってきたので、俺を含めると一人の座席が足りない事になる。


 「また来る」


 山岡は席を立った俺に向かって、ありがとうございましたと普段なら言わないことを言っていた。


 お客達が山岡にオーダーを始める。


 「私はロイヤル・クローバー・クラブ 」


 「俺はバラライカ 」


 「じゃあ、私は電気ブランを三ツ矢サイダー割でお願いします」


 「僕は侍・ロックを」


 「トム・アンド・ジェリーを下さい 」


 「僕はヴァージン・ピニャ・コラーダを」


 「ワード・エイト下さい」


 山岡が少し焦っている様子を見て、俺はニヤつきながら店のドアを閉める。

 

 俺が雇ったアルバイト達は、良い仕事をしてくれたと思う。


 どうか山岡の腕が鈍っていません様にと、俺は神様仏様に祈ってやろうと思った。



2


 俺はいまBAR「紫菫」入ったところだった。仕事で倒産した会社の社長一家を夜逃げさせるために遠出していたので、店に顔を出すのは三日ぶりだ。


入り口の所にはそれまではなかった盛り塩がしてあり、山岡が青い顔で俯いていた。


 「なんだ?客が入らなくて宗教でも始めたか?信者になるとお仲間が大量に店にでも来てくれるとでも思ったのか?」


 そう言いながらも、店の中には俺の他に客はいないことに気が付いてはいた。


 もちろん、それは入り口に立てば奥まで見通せる狭さの店だからなのだけど。


 「出たんだよぉ、この店には出るんだよぅ」


 山岡は震えた声でそう言った。


 俺はそれが何を指して言っているのかと言うことを、長い付き合いの上で知っていたのだが、俺はあえて山岡に聞いたのだ。


 「何が出た?ネズミでも出たか?」


 「バカ野郎ぅ!!幽霊だよぉ!!幽霊が出たんだよぅ!!」


 それはまだ俺たちが十代で無茶ばかりしていた頃の話。


 二人で地元のチンピラと揉めて、血の抗争を繰り広げたことがあったのだが、そんな中でヤクザの事務所に山岡が拉致られると言うことがあった。


 それを聞いた俺はすぐに警察に通報して、駆けつけてみると、山岡は自力で事務所に詰めていたヤクザを叩きのめしてポン刀を片手に事務所から出てきたところだったと言うことがあった。


 そんな山岡が恐れるのがお母ちゃんと幽霊だった。


 最近はそれに嫁さんも加わったようだが、中でも幽霊が怖いらしい。


 霊感なんか無いのに。

 一度、後輩が飲み場の席で自分が体験したという怪談話を始めた事があった。


 最初は山岡も、笑顔で柔らかくそんな話はバカバカしいから止めろと言っていたのだが、それでも止めなかったのでその後輩の頭をビール瓶で殴るという行動に出たくらい幽霊が怖いらしい。


 だから、この状態の山岡に冗談は通じないと言うことを俺は知っていた。


 俺は仕方ないので真面目に話を聞くことにしたのだ。


 「おまえ、またクスリでもやってんのか?お母ちゃんにバレて袋叩きにあって泣きながら、もうクスリにはては出しませんって約束したんじゃなかったのか?」


 「クスリなんてやっちゃいねぇよぉ!! おまえ、ウチの母ちゃんがどれだけ怖いか知っているだろぉ?お母ちゃんに怒られるぐらいなら死んだ方がマシだぁ!!」


 「じゃぁ、疲れていたんだろ?店の経営が上手く行かなくて、金がないと言う事に心労が溜まったんだろう」


 「金には困って無いよ。嫁さんが株で稼いでいるからな。この店の収入があと100年無くても、生活できるくらいの金はあるんだよ」


 「このヒモ野郎!! この店は道楽か!?」


 「いや、嫁には早くこの店の経営状態を改善するように、ケツを叩かれているわけだが……良くならなければ解雇とかぁ」


 「シビアだな……まぁ、どうでも良いけど。それで、何があったんだ?」


 俺がそう聞くと、山岡は思い出したかのように重い口を開き始めたのだった。


 話によるとこうだった。この間、俺がこの店にいるときに6人の客が入ってきた。


 この店は6席しか無いから、俺は店を出ることにして、勘定を払って店を出た。


 すると、客達はそれぞれにカクテルの注文を始めたそうだった。


 実はこの客達は俺が雇って来てもらったアルバイトだったのだけど、山岡はそれを知らないし、それはまた別の話なのだけど、この時に、7杯のカクテルが注文されたという。


 「客が6人しかいないのに、注文されたカクテルは7杯だったぁ。おかしいだろぅ?」


 山岡は胸を張ってそう言った。


 「いや、誰か2杯分を頼んだだけじゃないのか?」


 「俺もそう思ったさぁ。一杯残ったカクテルを頼んだお客さんを聞いたが、お客さん達はその残ったカクテルを頼んでいないと言ぅ」


 「じゃぁ、お前が聞き間違えたんじゃないのか?」


 「おまえ、電気ブランの三ツ矢サイダー割なんて聞き間違えると思うか?」


 「器用な耳だな」


 「聞き間違えてねぇよ!!それだけじゃねぇ、その注文した人のいない片付けたカクテルが、いつの間にか無くなっていたんだよ」


 「もう、病院行けよ」


 「酷いな!!それだけじゃねぇぞ?閉店した後に片づけをしているとパタパタと歩き回る足音が聞こえる」


 「パタパタママだな。働き者だ。間違いない」


 「わかんねぇよ、そんな昔のポンキッキーズの歌なんかぁ!!……そう言えば、東京から帰ってきて、店を開くための物件を探しているときに、ここを紹介してくれたのはお前だったなぁ?お前、何か知っているんじゃないのかょ?」


 俺は何も知らないと言った。


 そして麒麟淡麗グリーンラベルを頼むと、350ミリリッターの缶とグラスが出てきた。


 山岡はブツブツと、絶対にいる、この店には何かいると呟いていた。


 そんな山岡に、俺が事故物件に一月だけ住むというアルバイトをしたことがあるという事を教える理由はない。


 それは無駄な血が流れるのを防ぐ為の努力でもある。


 俺はグリーンラベルを自分でグラスに注ぎながら、後ろを通り過ぎたこの店の前のオーナーでもある妙子婆さんの幽霊へ、山岡に気がつかれないように目で注意した。


妙子婆さんの幽霊は生きていたと同じ様な年齢を感じさせない笑顔で少し舌を出して笑うと、俺の隣の席に座り、かって自分がしていたように作業を黙々と続ける山岡の後ろ姿を見つめていた。


 妙子婆さんがこの店を切り盛りしていた頃は繁盛していたそうだ。


 常連客も多く、その多くに愛された人だった。


 景気の良かった時代でもあったからか、妙子婆さん一人では手が足りない時もあり、探偵の駆け出しだった俺が手伝いに呼ばれることもあった。


 そんなある日、妙子婆さんは殺された。


 閉店後に押し入った強盗に刺し殺され店の売り上げを盗まれた。


 その犯人は警察には捕まっていない。そしてこれからも捕まることはないだろう。


 その理由を俺が誰かに語ることはない。


 ともかく、その後は妙子婆さんの息子が不動産屋に売り払い、俺が一月ほど住むことになったのだが、ちょうどその頃に山岡が帰ってきたという経緯があって、俺が山岡にここを紹介したのだった。


 その後、お祓いをした方が良いのかという相談を山岡から受けたりして時間は過ぎていった。


 店のドアが開き、新たな客が6人入ってきたので俺は席を立ち、また来ると言って店を出る。


  山岡は席を立った俺に何か言いたそうな顔をしたが、ありがとうございましたと口をつぐんだ。お客達が山岡にオーダーを始める。


 「俺はアイリッシュ・ミスト」


 「私はドランビュィをストレートで」


 「じゃあ、私は電気ブランを三ツ矢サイダー割でお願いします」


 「私はセックス・オン・ザ・ビーチを」


 「ホット・バタード・ラム・カウ を下さい」


 「僕はムーンライト・クーラーを」


 「ヘア・オブ・ザ・ドッグ下さい」


 「私は舞乙女を下さい」


  山岡が青い顔をした様子を見て、俺はニヤつきながら店のドアを閉める。


 今日の客は、俺が雇ったアルバイトではない。


 どうか山岡の腕が鈍っていません様にと、俺は神様仏様に祈ってやろうと思った。


 店を出る瞬間、客の後ろに立つ妙子婆さんと目が合った。


 妙子婆さんは少し微笑むと、口元が大丈夫よと動いた。


 そしてその横には、俺の知らない爺さんの幽霊が立っていたいたが、それは妙子婆さんより10年早く亡くなった旦那さんだろうと思った。


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