決戦、四面挿花!Ⅸ
「はあっ、疲れた……」
俺はすぐさま制服の上着をハンガーに掛けると、ベッドの上に勢いよく飛び込むのだった。
今日はいろいろあったからなのか、心身共々疲れきってしまい、俺はベッドに寝転がるとすぐさま、眠りについてしまうのだった。
純白の暖かい朝の日差し、心地よい小鳥のさえずり……、どうやら今日は俺にしては珍しく6時に起床したようだ。
俺は何となくで朝の支度をすると、いつもよりも1時間程度早く家を出た。
まだ、夜の冷たさの残っている涼しげな空気が俺の顔を心地よくちらと掠めた。
通学路にあたる住宅街の電信柱の上には、雀が列をなして合唱するかのようにかわいらしい鳴き声を上げていた。
空色も決して悪くはない。
家から徒歩で15分、自転車なら10分程度の場所にある近場の駅に向かうと、俺は電車に乗って高校に向かった。
それにしても、昨日は本当に色々なことがあったな。全く……あの夢のことにしろ、ゲームのことにしろ、1日のうちにめちゃくちゃなことが起きすぎて、未だにそれが現実のことなのかと疑いたくなるほどだ。ところで、昨日鈴鹿凛と妙な約束事をしていなかったか? 確か、明日の放課後に剣道部の部室に来いだっけか。でも、その約束事も今となっては叶わないものになっているはずだ。なぜなら、鈴鹿凛は昨日のうちに管理者から記憶操作を受けて、ゲームの記憶もろともそのことを忘れてしまっているからだ。記憶操作……、考えてみれば何て恐ろしい能力だろう……。相手の記憶を操作することによって、その人の楽しかった思い出、恋人とのファーストキッス、親友との大喧嘩の後の仲直り、修学旅行での親友との夜更かしして好きな人について語り合った思い出、それら全てを頭の中からすっぽりなかった事に出来るのだから。考えてだけでも恐ろしい。そんな能力がこの世界にあっていいのだろうか? こんなことが善と悪の両方の側面を持つ不完全な存在ともいえる人間に出来ていいものなのだろうか? または、何故このような能力の使役を神様は認めたのだろうか?
俺は考えれば考えるほどに、恐怖の奈落に心を落としてしまいそうな気がした。
一旦、深呼吸して心を落ち着かせ、俺は堂々と正面を見た。
気づけば、俺はもう校門前に迫っているのだった。
東京都立総零高校の校門の前に。
時刻はまだ7時を回った頃だった。
それにしても俺がゲーム内で出会ってきた江坂や美架、凛の記憶はもうないんだよな……。
ふと、こんな感情が脳裏をよぎった。
自分自身、あの件についてこれほどにも余韻を残しているとは思ってもみなかったのだ。
あの3人、特に江坂沙姫にはゲーム内で本当に色々なことをされた。
しかし、一夜明けの今となっては、思い返せばこのような酷い記憶でも意外と楽しかった出来事なのかもしれない。
確かに彼女達については辛い思い出が多かったものの、それでも俺は、少なからずその展開を楽しんでいたに違いないのだ。
それにしても、彼女達にはもう俺の記憶がないようだ。
俺は悲しさに俯きながら、校門を通りすぎる。
俺は靴箱に向かうと、靴を履き替え教室に向かった。
俺が教室に入った時、室内には俺を除いて誰一人としていなかったようだ。
まだ、授業までは1時間ちょっとある。
普通なら、この時間は朝連の時間帯だ。
だから、この時間帯に教室に来る学生が皆無なのも無理はない。
俺は自分の席につくと、バッグを開いて教科書類を全部机の中にしまうと、ゲーム機を取り出した。
昨日は全くゲームが出来なかったからな、主に『The gate of ability』のせいで。
だから、この1時間の間に誰にも邪魔されずに昨日『The gate of ability』の一緒に購入した恋愛シミュレーションゲームの最新作である『Girls cord』を出来る限り攻略してやる。
俺はそう意気込むと耳にイヤホンをつけて、勢いよくゲーム機のスイッチを押した。
タイトル画面が表れ、ゲームが始まる。
「ところで、先日○○市で有名な骨董品の盗難事件があったのを君達は知っているだろう? そこで私は君達にこの事件を依頼することにしたのだ、せいぜい頑張ってくれたまえ。特にそこの天才高校生探偵、君には期待しているぞ。はっはっは!」
高峰署長は目尻に深い皺を刻みながら、余裕と信頼に満ちた高笑いを上げて室内から出て行くのだった。
――それではあなたのお名前をお願いします。
名前か……、ここは俺の名前を入力しておこう、江戸川春人とな。
――あなたのお名前は江戸川春人でよろしいですか?
俺は『はい』のコマンドを選んでゲームを開始した。
蝶のようにも美しく、力士のようにも力強く成長した桜の木々が、新入生を暖かく迎えるかのように、満開の花を咲かせていた。季節は春。三月後期の高校2年生としての最初の登校日、江戸川春人は、これから出会う未知のクラスメイトに不安と期待に胸を高鳴らせながら、胸を張ってしかしながら早足の足取りで校門前の急勾配になっている桜の木々に囲まれた通学路を歩いてゆくのだった。
何事も最初が肝心だ。あらゆる物事に最善の結果を求めるならば、まず最初に重点を置くべきだ。
彼は心の中でそう呟くと、何か大きな決心をしたかのように、胸の手前に拳を作るのだった。
彼の高校2年生としての最初の登校日、彼の通学路には仲の良い友人たちと会話をはずませながら楽しそうに通学している学生であふれていた。話の内容は、冗談だったり、趣味だったり、恋愛だったりと多岐に渡る。そんな彼らを江戸川春人は、羨望と感心の眼差しで見守っていた。実はと言えば、彼には友達がいなかった。何故なら、彼には探偵の仕事が忙しすぎて、学校のクラスメイトとの交流をする時間がなかったからだ。彼は、物心ついた時から立派な探偵になるための教育を受けて育てられてきた。そして、彼が国内の警察官から初めて脚光を浴びたのが中学2年の夏休みの頃だった。彼は国内最大の未解決事件7ファイルの一つを若干17歳にして完璧に解決してしまったのだ。それから、彼の発言は国内の警察官から注目を浴びるようになったのだ。ただ、彼の存在は国内の警察官なら誰もが知っているわけだが、一般人は彼の存在を全く知らないのである。それは、彼が国内の警察官にとっての、いわゆる必殺お仕事人のような、切り札の役目だからだ。だから、やたらにおいそれと彼の存在を世間に示すわけにはいかないのである。
日時は3月24日、天候は晴天晴れ。彼は高校2年生として初めて、池潟高校の校舎に記念すべき大きな一歩を踏み出すのだった。とはいえ、彼の周囲の生徒達にはそのような意識が皆無だったに違いない。彼らにとってはこのような出来事は実に何気ない出来事であり、人が町を歩くように、馬が牧草を食べるように当たり前のことに感じられていたからだ。
まあ、こんな感じで冒頭がかなり長かった訳だが、当然俺は冒頭部分をスキップしまくって3分くらいで本作に入る。
教室内では、1年時の知り合い同士や部活の仲間同士でグループを形成しながら一箇所に固まって、様々な話題について話し合っているところだった。その話題については、例えば交友関係だったり、魅力的な異性についてだったりと実に様々である。だが、そんな中、江戸川春人は一人寂しく、自分の席について好きな本を読みながら時間の経過を待っているだけだった。
――ねえ、何を読んでいるの? 名探偵江戸川春人くん? ――
それは聞き覚えのない女の声だった。
彼は本を読むのを止めて、いぶかしげな表情で顔を上げた。
女は怪しげで不敵な笑みを浮かべて、彼の前に仁王立ちしていた。
彼はその賢明さと誠実さを兼ね備えた美しい瞳に疑惑と敵対の感情を映しながら、つい身構えながらも彼女の顔を見た。
「あなたのことは知っているわ、名探偵くん。私はこの前、有名な骨董品を盗んだ犯人よ」
彼女は非常に整った顔立ちをしていた。目元から鼻梁、口元にかけての見事なプロポーション。大きなふたえのコバルトブルーに輝く瞳に、日本人とは全く異なるどこか異次元的な風格を漂わせる目鼻の作りや顔全体の輪郭。加えて、腰辺りまで伸びた明るいブロンドの髪に、日本人離れした180センチはありそうな高身長、制服のブラウスからのぞく大きな胸元。
江戸川春人は、一目見るだけで彼女が諸外国出身の人物であることを理解する。彼は彼女のあまりの美貌に思わず見入ってしまうのだった。奇妙なことにその意識が、彼女が自身の敵であるという意識よりも深く彼の精神に浸透しているのだった。
彼はしばしの困惑の後、こんなことを彼女に言うのだった。
1『きれいな髪だな、普段の美容に対する心遣いがしっかりと現れているよ』
2『君が犯人? ふざけたことを言わないでくれ』
3『そうか、それは好都合だ。だったら、この時間が終わりしだい、すぐに逮捕してやる』
4『君が犯人か? だったら、僕も手を貸してやろうか?』
5『その前にまず訊きたいことがある……何故、君は僕の本性を知っているんだ?』
5つの選択肢……、まずは落ち着いてセーブを。
それにしてもこの選択肢……、最初にどれを選ぶかでかなりルートが限られてくるわけだな。
どれにしようか……。
――ねえ、そのゲーム……面白いかしら?
聞き覚えのある、物静かで風鈴のように涼しげのある独特な声……。
俺は耳からイヤホンを外すと、驚きの表情で顔を上げた。
俺の机の前には仁王立ちしている江坂沙姫の姿があった。
どういうことだ……?
確かに、江坂はゲームの記憶を失くしているはずだ。
なのに、何故俺に声をかける?
「どうしたの? そんな驚いた顔をして……」彼女はちょっと崩れた微笑みを浮かべた。「私は江坂沙姫。あなたは?」
俺は彼女の声を聴いた瞬間、ゲーム内で自動販売機の近くで話し合ったことや激戦を繰り広げたこと、人質になりかけたことなど、彼女と関わったゲーム内でのあらゆる出来事が脳内にリプレイされるのだった。
「江戸川春人だよ、よろしく」
俺は何となく、嬉しかった。
何故なら、もう彼女と話すことはないと思っていたからだ。
それにしても、彼女はゲームの時の……あの時の記憶を覚えているのだろうか?




