洋館に忍び寄る怪人Ⅸ
「どう、ヤマト? 変じゃないよね?」
ルリアはちょっと恥ずかしそうにしながら、試着室から出てきた。紺色の上質感漂う布で作られた小さい水玉模様のワンピースを着て、黒いニーソックスを履いた足で片足を上げながら軽くその場で一回転して見せた。
「うん、似合っているよ」
ヤマトは心からの賞賛をルリアに送った。
このワンピースがルリアに似合っているのは、誰の目から見ても疑いようのない事実である。
ルリアの物静かな印象と、ワンピースの持っている深夜の夜空に近い暗い青みがかったブルーが見事に調和していたからである。紺のワンピースに黒いニーソックス、全体としては暗い色ばかりのコーディネートではあるが、その暗い色がむしろ、ルリアの白銀の頭髪の美しさ、透き通るように白い真っ白な肌の白さをさらに引き立たせていた。確かに似合っているのは言うまでもないが、一つだけ難点があった。それは、彼女の幼児体系だった。彼女の着ている服は、サイズ的には小学生サイズであっても、一応は成人が着るためにデザインされたものだから、彼女が着るとその幼さを残し印象を与え、また見るものにはマイナスの印象を与えてしまう。
言い切ってしまえば、好みの問題である。彼女は幼児体系ではあるが、衣服を着る際には胸の小ささはあまりマイナスにはならない。いや、殆どのファッションモデルの胸が小ぶりなのを考慮するとむしろ、そちらの方が理想的なのかもしれない。胸が小さいということは、体の横方向に発生する体積が小さくなるということであり、それによって衣服がスラッとして格好良く見えるようになるからだ。ただ、彼女の背丈の低さが、幼児体系と認識され、それによって本来の年齢よりも幼く見られてしまうのである。
「そうだ。せっかくだし、ヤマトもこういうワンピース着てみたら? きっと似合うと思うよ」
そう言ってルリアが取り出したのは、真っ白で肩部がふんわりとふくらんだ、スカートの丈が膝元くらいまでしかない、白雪姫が着ているようなフリルの多いデザインのドレスだった。
ルリアは健気にそう言うと、試着室からヤマトの手を取って、そのままヤマトを試着室に連れ込む。そして、試着室のカーテンをさっと閉めた。
「いや……、私はそんな感じのあまり似合わないと思うんだけど……」
ヤマトは両手を前に出して、あたふたしながら言った。
「まあまあ、そんなこと気にしない気にしない」ルリアはそう言うと、鮮やかな手つきでヤマトのパーカーのチャックを外して、パーカーを脱がせた。そして、中に着ていた、ノースリーブのシャツをもさっと脱がした。そのルリアの鮮やかで素早い手つきに、ヤマトは思わず額から冷や汗を垂らしてしまう。試着室の中で上半身のみ下着姿になってしまったヤマトは恥ずかしそうな表情でルリアの顔を覗った。「どう、下も脱がせてもいいのよ?」
ルリアは満面の笑みで尋ねた。
しかし、それは妙な威圧感を持っていた。
「い、いや、自分で脱ぐ!」
ヤマトは、何故かルリアの満面の笑みに、一種の恐怖を感じて、あたふたしながら答えた。
そして、ヤマトは黒いショートパンツのチャックを外すと、ショートパンツを脱ぐためにショートパンツの端に手を伸ばして、身をかがめた。
「ひゃあ!?」
すると、何か冷たくこそばい感触のある物体がヤマトの胸を襲った。そして、それはヤマトの胸を突如としてもみ始める。
ルリアは不気味な笑みを浮かべた。
言うまでもない。
何か冷たくこそばい感触のある物体、それはルリアの手のひらだった。
ルリアは一度、身をかがめたヤマトの胸に手を伸ばすと、ヤマトの優れた弾力と柔らかさを備えた胸に思い切り指をめり込ませながら、不気味な笑みを浮かべているのだった。
「ちょ、ちょっとルリア! 何やってんだ! 止めろ! 頼むから止めてくれ!」
ヤマトはいかにも苦しそうな表情を浮かべながら叫んだ。
「うん。一度やってみたかったのだけれど、本当に柔らかいのね、女性の胸って」ルリアは冷静な表情で何かを分析するような調子で言った。「駄目よ。だって、あなたは私に何か隠し事をしているじゃない!」
ルリアの言葉にヤマトは、はっと驚いたような表情を浮かべた。
「隠し事? 何それ? 私はそんなことした覚えはないぞ!」
「しているじゃない、隠し事。誤魔化しても無駄よ! 私には分かるんだから! 私がこの店に入って、店の奥からヤマトの側に向かう時、その時ヤマトは一枚のTシャツを見て悲しい顔してた…………一体どうしたのよ、ヤマト。あのTシャツがどうしたって言うのよ?」
ルリアはヤマトを諭すような調子で尋ねる。
「……別にいいよ。同情してくれなんて誰も頼んじゃいない」
ヤマトは顔を下に伏せ、俯きながら呟いた。
ルリアはその悲しそうなヤマトの姿を見ると、そっとヤマトの胸から手を離した。
「でも、悲しんでいる友達を黙って見過ごすなんて本当の友達のすることじゃないわ。そんなの偽物の友情じゃない! どんなに悲しいことであっても、親しい人に話すことで少しは気が楽になるはず…………、お願いヤマト」
ルリアは深刻な表情で、そっとヤマトの顔を覗き込む。
するとヤマトは、やれやれとでも言うように肩をすくめながら、口元に微笑を浮かべた。
「仕方がないなあ……分かったよ。一度言い出したら本当に聞かないんだから」ヤマトはルリアの頑固さに苦笑いしながらそう言うと、真剣な表情で話を続けた。「ところで、あのTシャツには『311 Thunami』と書かれていた訳だが、それが何を意味しているか知っているか?」
ヤマトの問いに対し、ルリアは左右に首を振った。
「今から29年前、西日本の和歌山県付近を震源とするで巨大地震が起こったわけだが、それは平成23年、3月11日、14時46分のことだった。マグニチュードは9.0宮城・福島・茨城・栃木 の4県付近での津波の被害が特にすさまじく、この大震災により被災者は40万人を超えた。私の母はその震災当時、福島に住んでいたわけだが、津波による住宅倒壊により海外移住を余儀なくされた。そんな訳で私の母は医者の子で学業優秀ということもあって、カナダへ移住し、カナダの高校に転入することとなった。『311 Thunami』って言うのはその大震災のことを意味していて、私はそれを知っていたから、ついそこから嫌なことを思い出してしまったんだよ。だから、私はこれまでで一回も海に行ったことはない。海を見ただけで嫌なことを思い出してしまうからな」
「…………ごめん、ヤマト……」
ヤマトの悲痛ながらに重苦しく語られた言葉にルリアは、サファイアブルーの瞳に一粒の涙を浮かべた。
「い、いや、どうしたんだよルリア? 何をそんなに泣いているんだよ?」
そんなルリアの姿を見たヤマトは、ルリアの予想外の反応に戸惑いながら尋ねた。
「いえ…………まさかそんな壮絶な過去があったなんて、思ってもみなかったから。ごめんね、変なこと語らせちゃって……」
「い……いや、別にいいよ。私が直接体験したことじゃないし、その震災について語る母の悲しそうな顔が思い出されるから嫌だなってだけだし、震災当時のビデオを何度か見せられてトラウマを覚えただけだし」
「でも…………」
「もういいんだよ。どうせ29年前のことだろ。そんな昔のことにずっとクヨクヨして生きているわけにもいかないからな」
ヤマトは、何とかこれ以上ルリアを心配させないためにも、平静を装いながら強がってみせた。もっとも、これはヤマトがルリアに必要以上に心配して欲しくないからそう言っているだけであって、実際は絶対に忘れてはいけないことなのだと心の中で固く誓っていたのだ。
「……それもそうね。ところでヤマト? このワンピース、せっかくだし着てみたら?」
ヤマトはルリアから悲しんでいるようには見られないように、精一杯強がってみせたが、その姿があまりにも下手な芝居がかっていたがために、無理して強がっていることをルリアから悟られてしまう。ただ、ルリアはそのことを悟った上で、ヤマトがこのことに対して必要以上に心配して欲しくないと感じているのを理解していたからこそ、あえて、ルリアは必要以上にそのことに対して突っ込むようなことはしなかったのである。
「それもそうだな」
ヤマトはルリアの要求に快く頷く。
「それじゃあ、私は外で待ってるから、着替えたら呼んでね」
ルリアは笑顔でそう言うと、さっと試着室のカーテンを開けて、試着室の外へ行ってしまった。
それから、1分程度の時間が経つと、試着室の中からヤマトの声が聞こえた。
ルリアはヤマトの声を確認すると、ゆっくりと試着室のカーテンを開けた。
「ど……どう、ルリア?」
そこには、先ほどのドレスを着たヤマトの姿があった。どういう理由からなのかは定かでないが、何故か後ろの髪を解いていた。
ヤマトは恥ずかしそうな表情でルリアに尋ねる。
「いいじゃん! 何恥ずかしがってるのよヤマト、似合っているんだからもっと堂々としなさいよ」
ルリアは、恥らうヤマトの姿を見て、声を上げて笑いながら言った。
確かに、ドレスはヤマトによく似合っていた。ヤマトのハリウッド女優のようなメリハリのあるプロポーションの体形、特にJカップもある胸の大きな谷間はハリウッド女優顔負けである。半分日本人ながら日本人離れしたヤマトのグラマーな体形の身体とフリルのすごい豪華なドレスが上手く調和して、ほとんど浮世離れした別次元の美しさを放っていた。
「でも、私はあまりこういう派手なのは好きじゃないんだけどな…………」
ヤマトはおずおずと視線をルリアに合わせながら言った。
「すっごくかわいいのに?」
「うーん……、昔からあまりこういうかわいいデザインは好きじゃないんだよ。何と言うか、私は小さい頃から背が高い方で、周りの子の方が似合っていたから……」
「後ろに等身大の大きい鏡があるでしょ? よく鏡を見てみなさいよ」
ルリアからそう言われたヤマトは、身体を後ろに振り向かせて、言われた通りに目の前にある等身大の鏡にドレス姿の自分自身を映してみた。
ヤマトはじっくりと自分の姿を鏡越しで観察しているとあることに気づく。
か……かわいい!?
ルリアから言われるまで気づかなかったが、確かにこのドレスは私に似合っている。まさか、こんないかにも女の子らしいデザインのドレスが私に似合うなんても夢にも思わなかった。ずっと昔から、こんな女の子らしいデザインの服は自分には似合わないなんて思っていたけれど、それは思い込みでしかなかったのかな? というのも私には一人の妹がいて、私の妹は私とは対照的に背が低かった。だから、私と妹が同じデザインの女の子らしい服を着たら、両親からは妹の方が似合っていると言われてきた。私はどんなにかわいい服を着ても、妹のかわいさを上回ることが出来なかった。それで私はこういう女の子らしい服にトラウマを覚えてきたのかもしれない。でも、何で気づかなかったのだろう? 私は私で、確かに妹のかわいさには太刀打ち出来なかったとは言えど、誰も私に女の子らしい服が似合っていないなんてそんなことは言っていない。妹ほどに可愛い服が似合わなくても、自分には可愛い服が十分似合っているということにもう少し早く気づくべきだったな。
ヤマトは鏡の中の自分を眺めながら、こんなことを心の中で呟くと、ルリアの方に身体を向けた。
「どう感想は?」
ルリアはにっこりと笑いながら尋ねた。
「やっぱり、好みじゃないかな」
ヤマトは苦笑いを浮かべた。
ごめん、ルリア。
言えるわけないよ。『まさか、自分に可愛い服が似合うなんて夢にも思わなかった』なんて。だって、恥ずかしいから。こんなに似合っているのに、今まで気づかなかった自分が馬鹿みたいだから。
「うそつけぇ!」
ルリアはニヤニヤしながらそう言うと、人差し指で何度かヤマトの胸をつついた。ヤマトの胸はその度に、見事な弾力でルリアの指を押し返す。
「ちょ、ちょっとルリア! やめ……」
ヤマトはあたふたしながら言い始めると、途中でルリアがそれをさえぎった。
「好みに合わないって…………、そんなの反則よ、ヤマト。こんな服、私じゃどうやっても着こなせっこないんだから。そのあなたの憎いほど大きな胸と、モデルのようにスラリと伸びた手足、そして、まだ幼さを残した日本人特有のかわいらしい顔、これらの要素は私にはない、まぎれもなくあなただけの魅力なのよ。これらが上手く合わさって見事な調和を生み出しているのよ。こんなの私じゃ真似できない。もうちょっと、自分に自信を持ちなさいよ。あなただって十分かわいいんだから」
ルリアはそう言い終えると、最後にウインクをヤマトに送った。
「ありがとう」
ヤマトは満面の笑みで、ルリアに感謝の言葉を送ると、静かにルリアを抱きしめ
る。
「うん、ヤマト」
ルリアはそっと微笑みながら、ヤマトの腰に手を回した。