初日出勤の翌日は葬式でした!
俺の身体は地面に張り付いたまま動かなかった。
恐怖で足がすくみ、今日知り合ったばかりの上司は、遂に身体を動かすことはなかった。灰巨狼は何度も何度も、動く筈のない胡桃の身体を前脚で叩き踏んだ。
そして、胡桃を殺したのを確認した灰巨狼の瞳は俺へと向けられる。
俺は、もう何をすることもできない。
足は恐怖で震え、腕は笑い、剣は折れてしまっている。
左上のHPバーも残り二割程。色が黄色に変わっている。
俺へと近づく灰巨狼の足音は、もうただの死音にしか聞こえない。鎌を持った死神が俺に向かってくるような恐怖感がそこにはある。
もういいや。
半ば諦めが入った。
絶対的な恐怖は、俺の中で倦怠感へと変わる。
ゆっくりと近づいてくる灰巨狼。その瞳には、俺は餌でしかないだろう。その鼻息は荒いし、涎も先ほどよりも多い。
灰巨狼の口が開かれ、俺の身体へと近づく。
俺は食われるのか……。
灰巨狼の口が近づくたびに、鮮血の匂いが俺の鼻孔をつつく。
吹きかかる息に、俺は何も感じられなかった。
ここで死ぬ。というリアルな感覚は俺の意識を遠ざけて行く。
走馬灯などという物は出てこない。
後は死を待つのみ……。
「えりゃああああああ!!」
人間の声に俺は目を見開いた。
そこには、黒いコートを纏い槍で灰巨狼の口を串刺しにする男の姿。
どこまでも真剣な瞳で、幼そうな顔つきが印象の男は灰巨狼を睨んでいる。そして、槍がライトレッドのエフェクトを纏い、回転しながら男――花樹の上空を舞っている。
そのまま、花樹の槍は灰巨狼の瞳に向かって走る。
瞳を貫く音がする。
「これで終わりだ!」
花樹が叫ぶと、灰巨狼の瞳は爆発した。
慌てて跳び退く狼から、花樹は着地して俺に詰め寄る。
灰巨狼は致命的なダメージを受けてか、そうとう痛そうだ。だが、まだ倒れたりはしない。
花樹が俺に武器と逆の左手を差し出す。
「サカトさん。いいですか? この世界では人が死ぬことなんて沢山あります。この世界では皆が明日生きていられるか分かりません。それは胡桃さんも一緒だったと思います。だから、もうそんな顔をするのは止めてください」
花樹が微笑む。
俺は自分の顔を触った。
ああ、泣いていたのか。情けないな。
俺は花樹の手を取って立ちあがる。
「……」
「大丈夫です。俺がコイツを仕留めます。胡桃さんの死体を回収してください」
そう言うと、花樹は灰巨狼に向かって突っ走って行った。
俺は胡桃の元へと駆け付けた。
身体に特別な損傷は見られなかった。後になって分かった事なのだが、それは奇跡に近いらしい。この世界で五体満足で死ねる事は幸せのようだ。
それならば、胡桃は幸せなのだろうか。
単純な死に方としては最悪だと思う。部下を庇って死んだんだ。しかも研修中の。きっと恨んでいるであろう。弱い俺が調子に乗って胡桃を死なせた。
殺したのは……俺だ。
花樹と灰巨狼の戦闘は長く続かなかった。
灰巨狼は疲れ果てている様子で花樹に立ち向かった。何度目かも分からない咆哮を上げるも、花樹には効かない。
恐らく、この世界で花樹は上位クラスの狩人なのだろう。
Aクラスのモンスターを相手にしても、怯むどころか、喜んで奮闘している。その瞳は嬉しそうだ。
死の境界線を潜る戦いを好んでいる花樹の気持ちは、自分の不注意で殺してしまった上司の事もあってか、一生俺に出来そうにない。
ようやく落ち着いてきた灰巨狼は、花樹を睨みながら咆哮を上げた。
風が何処からともなく吹き荒れ、灰巨狼を中心に竜巻が巻き起こる。その風の強さに俺と花樹は吹き飛ばされそうになる。俺は胡桃の死体をガッシリと抱き、飛ばされてしまわないように風から守った。
そして、竜巻が消えるとそこに灰巨狼の姿はなかった。
◇
教会らしき建物の鐘が鳴る。
時刻は深夜。
俺は二度目のスーツを着用する。
参列席には昨日知り合ったばかりの討伐受付の女性達が並んでいる。俺もそのうちの一人に含まれている。
後方には花樹、瑞樹、隆二の姿も見受けられる。
正面には両手を胸の前で結びながら、安らかに眠る胡桃の姿。
涙する者がほとんどだ。俺の瞳からは涙は枯れ果てているようで、水滴すら出てきそうにない。
「それでは安らかに眠れるようお祈りください」
神父さんが声を上げる。
胡桃の死体が入った棺桶は、炎に包まれる。
俺はただ一人で、胡桃の入った棺桶が燃えるのを瞳にした。
俺がバカな事をしなければ……ッ!!
心の中で何度、自分を叱咤したか分からない。
俺はこれから仲間になるであろう人達の侮辱の視線を受ける事を覚悟した。その時が来たみたいで、まだ名前も知らない先輩達が俺に近づいてきた。
俺は両拳を握り、震えながら彼女たちの言葉を待った。
「そんなに自分を責めないで」
「阪斗君のせいじゃない。私達だっていつ死ぬか分からないんだよ」
「いつだって部長は死ぬのを覚悟していた。その上で明るく楽しい職場を提供してくれたんだ」
「だから、阪斗君。これからは、私達でなんとかしていきましょう?」
予想を裏切る先輩達の優しい声。
俺は枯れた筈の涙がこみ上げる。
誰だったかは分からなかったが、俺は一人の先輩に抱きつき泣いた。
嗚咽を漏らしながら、涙が次から次へと流れる。俺を優しく包み込んでくれた。四人の先輩達は優しく微笑みを見せた。
皆辛い筈なのに、俺だけ甘えていた。
棺桶が燃え尽きるまで時間はかからなかった。
それを黙々と見ていた麗香が、俺の元へとやってきた。
そして、俺の頬を思いっきり平手が通った。
「甘えるな小僧。今はその四人だって辛いんだ」
「……」
「日坂 阪斗。葬儀が終わったら、私の部屋に来い」
「……はい」
それから間もなく葬儀が終わり、人々の空気が重い中。
俺は神殿内に一人向かった。
部署の人間は全員で払っている為、現在この神殿内には俺一人しかいない。
俺が向かった先は、麗香の部屋。
目の前に立ちはだかる扉は、俺を処罰する為の壁に見えた。
俺はノックを二、三回する。
「どうぞ」
中から麗香の声が聞こえる。
ゆっくりと扉を開いた先にいたのは、昨日の態度が悪い麗香――ではなく、双剣をまるで赤子のように抱える麗香だった。
「……失礼します」
俺はそれだけ告げ、部屋内に足を進める。
麗香は俺を見ずに、ずっと双剣に瞳を向けたままだった。
「……すまないね。まさか灰巨狼がいるとはね。不幸中の幸いか、君は生き残ったみたいで良かった」
優しく微笑む麗香。
俺は歯を食いしばり、麗香の胸倉を掴んだ。
「何が不幸中の幸いだ!! 部長――胡桃先輩が死んだんだぞ! こんなんで幸いとか言われても、俺は惨めなだけです!! いっその事責められた方が――」
そこで俺の頬を叩く音がした。
二度目のビンタの方が痛かった。
「言っただろうが! 甘ったれるんじゃない!! お前が死んだら胡桃の意志はどうなる! お前を助けた胡桃の気持ちはどうなる!! 何も浮かばれないだろうが!!」
「そんな事を言ってるんじゃない! 部長じゃなくて俺が死んだ方が――」
またビンタ。
痛さは増していくばかりだ。その痛さは物理的なダメージではない。
きっと俺の心の方のダメージなのだ。
「胡桃がどんな気持ちでお前を助けたか……。お前は何も分かってない!」
「……くっ」
俺は麗香の胸倉を離し、距離を取った。
そして、麗香の顔から背けた。
「……で、俺に何の用ですか」
「日坂 阪斗。今の君がどんな気持ちか。それは自分自身が分かっているだろ」
「……」
俺は何も言わずに、ただ突っ立っていた。
麗香は腕の中の双剣を差し出した。
「私も辛いんだ。だけど、この世界で人は簡単に死ぬ。胡桃も覚悟はできていた。もちろん、私だっていつ死ぬかなんて分からない。それでも、お前は生き残った」
「……」
「生き残った者が、この世界を変えるんだ。お前にその夢を託そう」
「……夢」
俺の瞳はいつの間にか麗香に戻っていた。
そして、麗香は俺に双剣を差し出す。
【分類:双剣】
珠玉竜の双鋭剣
斬撃力 150
打撃力 75
研磨による最大斬れ味 25
特殊スキル ダブルスラストアーツ 熟練度 0/5000
俺は無意識に双剣を手にしていた。
そして、麗香から受け取った。
「お前がもし、胡桃に恩返しがしたいと望むのなら。その双剣――胡桃の愛剣で、守りたいと思うものを守って見せろ」
「守りたい……もの……」
俺は呟きながら双鋭剣を眺めた。
握る部分の柄が、血で汚れている。
「それが、私からの命令だ」
「……はいっ!」
俺は双鋭剣を抱きながら、再び涙した。
その場にしゃがみこみ、出し切れてなかった涙が次から次へと溢れてくる。
麗香は俺を抱きしめてくれた。その両手も震えている。
そう、俺だけが辛いんじゃない。
皆が辛いんだ。
誰かが死ぬという事は、その人を関係とする全員が悲しむ。
俺はこの世界に半ば無理矢理連れてこられた。
最初は部長や麗香に不満を覚えた。
だけど、皆一人の人間。
村全体が重い空気になるのは、もう見たくなかった。
俺は麗香を抱きしめ返してから、心に強く誓った。
俺は、皆を守れるように強くなります!!
見ててください! 胡桃部長!!
人々を守るために強くなって、この世界を生き抜く事にした。