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初恋の君へ  作者: ななえ
番外編
50/127

ハロウィンの受難

由貴也が高二、十月の話です。

 今日が何の日だか由貴也は知らなかった。

 いつも通り起きた時間に登校する。部活をやっているせいで、疲労のために早く眠りに就いてしまうことが多くなったせいか、朝もそう遅くない時間に目が覚めるようになった。

 今日も普通の生徒よりも遅くはあるが、遅刻ではない時間に寮を出た。部活の用具しか入っていないバックを小脇にはさんで通学路を歩いていると、「古賀くん!」と黄色い声に呼びかけられた。

 寝起きの鈍い頭がそれが自分の名前だと理解するまでに数秒かかる。そのインターバルの間に背中を叩かれた。

「Happy Halloween!」

 前によろめいた由貴也の脇を嵐のように「きゃー」と笑いながら駆けていく女子たちの姿が見えた。その甲高い声は一瞬前に自分を呼びかけたのと同じものだった。

 そのあわただしい姿を眠くてまぶたが下がりかけている目で見送りつつ、一体何がそんなにきゃーというほどのことなんだろうか、と思う。

「……『Happy Halloween』?」

 何気なく彼女たちの言葉を反駁する。オーストラリアに留学していた頃、そんな言葉を聞いた気がするが思い出せない。もっとも留学中の由貴也の関心事といえばホームステイ先の老婆が作るとびきりおいしい手作りのお菓子のことだけだった。

 思い出すと食べたくなってきた。彼女は孫ほど歳の離れた由貴也を可愛がってくれ、今でも時おりお菓子を航空便で送ってくれていた。夜にでもお菓子の催促のエアメールを送ろうと思った。

 口が寂しいのを紛らわすようにミルクとイチゴとホワイトチョコレートでキャラクターの顔が作られている棒つきチョコレートを口に含んだ。それを口につっこんだまま教室にいく頃には背中をいきなり叩かれたことも忘れていた。

 チャイム寸前に席につく。窓際の一番後ろが由貴也の席だ。席替えは毎月くじ引きで行っているが、くじ運がいいのか由貴也は後ろの席以外なったことがなかった。

 一時間目はリーディングで机の中からぴかぴかの教科書を取り出した。由貴也はすべての教科の教科書を置き勉してある。勉強した気配のない教科書たちは四月と同じきれいさを保っている。

 教師の英文を読む声を右から左に聞き流しながらぼんやりと窓の外を見ていた。予習必須のこの授業では皆由貴也のことなど気にせず、いつもなら黒板と教師の授業を聞いているにもかかわらず、今日は近く席のクラスメイトがちらちらとこちらを見てきた。

 目が合うとクラスメイトは目をそらすどころか皆一様に由貴也に答えを求めるような視線を向けていた。隣の席の生徒とつつきあって由貴也を指差しながらひそひそと話している女子すらいた。

 人にどう見られようとも構わないが、あまりにあからさまな注目のされ方にさすがに不審に思う。一体なんなのだろうか。

 まぁいいや、と机に突っ伏してとりあえず眠りに就いた。

 目が覚めたのは二限が始まった後だった。英語科であるこのクラスでは一日に二時間英語がある日はめずらしくない。二限は英語Ⅱだった。

 自分のそばに誰かの気配を感じて、目をうっすら開ける。頭を上げると、至近距離にいた女子と目があった。

「…………?」

 由貴也が寝ぼけ眼で彼女を見ているうちにいたずらを見とがめられた子供のように驚いた声を上げながら、身をすくませて隣の自分の席に戻っていった。

 なんだったんだろう、と思いつつ、目にかかる髪を払うために頭を振る。すると由貴也の机からバラバラと何かが床に落ちた。

 教科書しか出していない由貴也の机から落ちるものはないはずだ。はてなマークを浮かべつつ、床に目を向けた。

 アメ、クッキー、チョコレート、グミなど細々としたお菓子が床に広がっており、自分の机にもいつのまにかそれらがあった。アイスやプリンまで置いてあった。

「古賀くん、どうしたの?」

 教壇から若い女性教師が下りてくる。ストッキングに包まれた細い足の先のごく低いヒールの内履きをカツカツ鳴らしながら由貴也に近づいてくる。

 どうしたの、と問われても答えようがない。起きたらこうなっていた。

 彼女は机周辺と由貴也を見て「あらまぁ」と言い、巻き髪を揺らした。

「もうそんな季節だったのね」

 のんきにそうつぶやきながら彼女は床に落ちたお菓子を拾った。

 授業後、机の上の謎のお菓子を見ているとその女性教師が「これに入れなさい」と紙袋を持ってきた。「お菓子上げるからいたずらしないでね」とどこか楽しげに言い放ち、彼女は教室を出ていった。何気なく紙袋を開けると、底にはひとつかみくらいのお茶菓子のつめあわせが入っていた。

 一体全体なんなのか。先ほど由貴也の至近距離にいた隣の女子に目を向けると、「私もあげるね」とにっこり笑いチョコバーを渡された。そういえば彼女はさっきこのチョコバーを由貴也の机に乗せようとしていた気がする。

 その後も座っていれば上級生下級生問わず、由貴也の席に来て女子がお菓子を置いていく。体育では(由貴也はものぐさなのでワイシャツは脱がず、その上からジャージをはおった)サッカーをしている隙にいつのまにかポケットにお菓子を入れられ、パンパンに膨れていた。教室に帰って見れば机の上だけでなく、机の中にもカバンにもロッカーにもお菓子がつまっていた。

 この女子の奇行をたいして深く考えていなかった由貴也だが、お菓子が女性教師からもらった紙袋から溢れるにいたって、さすがにそうもいかなくなってきた。昼休み、溶けかかったアイスを食べながら考えていると、めずらしく巴と壮司が教室まで由貴也を訪ねてきた。

「お前が大変なことになっていると聞いてな」

 お菓子の山に埋もれそうな由貴也を見て、巴が笑いを押し殺していた。確かに大変だ。朝から口を動かしっぱなしなのであごが痛くなってきた。

「なんなの、これ?」

 巴と話している間にもちょいちょい女子がやってきて、お菓子を置いていく。その女子を目で示し尋ねる。

 巴はさぁ、とわざとらしく肩をすくめる。知ってるのに言わない、というごく軽い意地悪な色が浮かんでいた。

「みんなお前がお菓子が好きなことを知っているんじゃないか?」

 巴の話を聞いてもまったく要領を得ない。公言して回っているわけではないが、別に隠しているわけでもない。しょっちゅうアメやらチョコやらアイスやらを食わえているので、甘いものが好きだと思われてもまったく不思議ではない。

 けれど何かのついでにくれるならともかく、なぜそろいもそろって彼女たちは今日なのか。プレゼントされるお菓子の中には未開封のビスケット一箱や、黄色い袋でラッピングされたものなど、明らかに由貴也に贈ることだけを目的としているようなものが多かった。

「お前も変なところで抜けてるよな」

 壮司が半ばあきれた風に言い、軽く背中を叩いてきた。「壮司さんほどじゃないよ」と言い返しながらも、この事態がの原因がわからないことには釈然としない。

「とりあえず私もお前に」

「俺も」

 考える由貴也をよそに、ふたりはそれぞれお菓子をさしだしてきた。

「……壮司さんのはいらない」

 巴の差し出したロールケーキだけ受け取って、壮司のにはそっぽを向く。

「お前なあ、人の好意は黙って受けとれよ」

 壮司はまだ何か言っていたが、由貴也は巴のロールケーキをさっそく開けて食べ、壮司の文句を黙殺した。

 結局壮司は机にお菓子を置いて巴とともに出ていった。彼が置いていったのはバーベキュー味のスナック菓子。まったくもって由貴也の好みをわかっていない。けれど甘いものの口直しに食べた。

 その後もお菓子は増え続け、午後の授業では机の上に教科書すら乗せられない事態となった。もっとも午後は移動教室だったので事なきを得たが。

 放課後の清掃では今にも机の上から雪崩を起こしそうなお菓子の山に、由貴也の机だけは運ばれずに放置された。由貴也もほうきを手に清掃にいそしむクラスメイトを尻目に口を動かし、こんもりとした山を築くお菓子の消費に努めた。

 放課後、さすがに食傷気味になりつつ部活へ向かう。いつもはスカスカなカバンにもポケットにも手から提げた紙袋にもお菓子が目一杯詰まり、一歩進むごとにどこかからお菓子が落ちる有り様だ。

 部室へ続く銀杏並木を歩いていたときだった。

「古賀先輩!」

 背後から思い詰めた女子の声に思わず振り向く。落葉した黄色い銀杏が足元でカサりと、鳴った。

 彼女に目を向けた瞬間、小柄な体が突進してきた。長い髪が残像のように揺れ、由貴也はとっさのことに避けることもできずに突っ立って、その体を受けとめた。

「先輩! お菓子あげませんからいたずらしてくださいっ」

 ぎゅうぎゅうと絞め殺されそうな勢いで抱きつかれ、由貴也はわけがわからなくて目を瞬かせた。

 一体何なんだ――!?

 後ろによろけて銀杏の木に背をつける。さしたる疑問をはさまずに今日を過ごしてしまったが、さすがにもう限界だった。

 由貴也は胸に顔を埋めてくる彼女の肩をつかんで引きはがし、後ずさるようにして逃げた。

 部室へ行く道を引き返し、由貴也は闇雲に走った。もうお菓子に対する食欲はすっかり失われていた。

 嫌な夢すら見ている気分になる。自分はこのままお菓子の海で溺死するのか。

 気がついたときには夕暮れの校舎の中にいた。ふと上を見上げると教室の戸口の上に『三年二組』と書いてあった。――香代子と哲士のクラスだ。

 もうくたびれていてなぜここに自分は足を運んだのか考えることなく眼前の扉を開けた。

 放課後の教室に残っていたふたりの生徒が顔を上げる。運がいいのか悪いのか、まさしく香代子と哲士だった。

「どうしたの? なにか……」

 すぐさま香代子が問題集、入試問題の過去問である通称・赤本から顔を上げた。けれども尋ねた声の語尾は小さく消えた。どうやら自分は絶句させるほどただならぬ様子に見えたらしい。

「今日はなんなの?」

 由貴也は驚いた様子の彼らに構わず問いかけた。

 香代子と哲士はふたりして顔を見合わせた。仲良くふたりでお勉強をしていたようだ。のんきなことだと毒づきたくなる。

「今日?」

 香代子のつぶやきに哲士が教室後ろのホワイトボードを見た。ホワイトボードはカレンダーになっており、毎月上部に今月は何月かと曜日を書き込んで使えるようにしてある。今日は十月最後の日、三十一日だった。

「あぁ、ハロウィンか」

 哲士がそんなものもあったなぁ、というような緊張感の抜けた声で言った。

「ハロウィン……?」

 自分だってそんなものがあったことなど言われるまで気がつかなかった。が、口にその単語を乗せた瞬間、不意に記憶のひっかかりを感じた。

“Happy Halloween!”

 耳の奥に甲高い雑音のような声がよみがえってくる。由貴也の背中を叩き、駆けていった女子たち。

 一度思い出すと芋づる式に関連した事柄が次々と浮かび上がってくる。『変なところで抜けてるよな』と言い、壮司も由貴也の背中を叩いた。そういえば体育のときも自分はワイシャツを脱がなかった。

「どうしたの、このたくさんのお菓子?」と問いかけてくる香代子をよそに、由貴也はそっと背中に手をやった。

 ――何かが背中についている。

 指先に伝わる固い感触に、手っ取り早くワイシャツのボタンを外し、タンクトップ一枚になってシャツの背中を調べた。

「なにいきなり脱いでんのよ!」

 香代子が赤い顔で叫んだが、由貴也は背中に貼りついてたものをまじまじと眺めた。その自分の様子に異変を感じたのか、香代子も哲士も由貴也のワイシャツを持つ手元に注目した。

 A4サイズほどの大きさだった。あざやかなオレンジ色の厚いボール紙はややいびつな楕円形に切られ、茶色の部分が半円の目と形の目とギザギザの口を主張している。

 ボール紙を持ち上げて顔へ近づけて見ると、表面に赤い文字で何かが書いてあった。

 Trick or Treat――お菓子をくれないといたずらするぞ。

 自分はこれを一日中つけて過ごしていたのか。お菓子をくれと暗に宣伝していたのか。オーストラリアはハロウィンがそこまで盛んではなかったのですっかり忘れていた。

「これ……」

 突然哲士が気まずい様子でつぶやいた。彼の表情は苦笑と困惑を同時に表していた。

「昨日根本が作ってた」

 めまいがしてきた。こんな凝ったカボチャボードを作り、なおかつ女子を経由して由貴也の背中につけさせた黒幕が根本だとは思わなかった。自分は彼の悪ふざけにしてやられたのだ。

 “してやる”方が多い由貴也にとっては馴染みの薄い感覚だった。

「古賀落ち着けって。根本だって悪気があったわけじゃ……あったかもな」

「部長! それじゃあフォローになってないって」

 コントのようなふたりのやりとりを見ながら、自分の迂闊さを呪いたくなる。根本には以前寝顔の写メを売りさばかれたり、文化祭に女装させられたりと様々な被害を被っているのだ。

「根本もここまでになるとは思ってなかったんだって。ほらバレンタインよりもあげやすいしな」

 哲士の必死の弁解にああ、と納得する。バレンタインは愛情どころか執念がこもっているものが多そうで、大半は受けとり拒否し、ベタに下駄箱や机の中に入っていたものは巴にあげたのだった。

 まさかそのツケが今になって回ってくるとは思わなかった。女子は根本のいたずらに悪ノリし、結果甘いにおいに一日中つきまとわれた。

「な、マネージャー!」

 根本のやらかしたことをとりつくろうように、哲士がどことなくあわてた様子で香代子に同意を求めるが、香代子はややふくれっ面で紙袋からあふれるお菓子を見つめているだけだった。

「マネージャー……?」

 哲士の怪訝な声を受けても香代子の表情は明るくならず、ついには「私もお菓子買ってくる」と猛然と教室を出ていった。

 すぐに香代子の変化の理由に行き当たったのか、哲士はやれやれと微苦笑した。

「やきもちだよ。古賀にお菓子やった子たちに負けたくないんだろ」

 それから哲士はつまらなそうに「あーあ」とつぶやき、カボチャボードをつかんだ。

「俺もこれつけようかな」

 そう言った顔は教室から出ていくときの香代子と同じ顔だった。

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