01
「古賀ってあの古賀 由貴也っ!?」
“古賀”という名字が起爆剤であるかのように、クラスメイトたちが一斉に口を開いた。
かわいげがなく、冷めているといわれている香代子でもこれはさすがに驚いた。
昼休みのまどろむような穏やかさは、一瞬にして騒然さに打ち消されてしまった。
「古賀 由貴也だけど……何? 何かあるの?」
興奮のあまりにじりよってくるクラスメイトに、香代子は思わず後ずさりながら尋ねる。
自分の発した言葉がこんなにも波紋を作るなんて思わなかった。
「うっそ。電波王子部活なんてやるんだー!」
「でも陸上部でしょー。ちょっと見てみたいかもー」
「えー、でも想像できなーい」
クラスメイトは昼食そっちのけで驚きを口々に言い合っている。それに夢中で誰も香代子の質問には答えてくれない。
香代子がマネージャーを勤める陸上部に入ってきた一年生、古賀 由貴也がこんなにも知名度があるとは思わなかった。
「……ねぇ。電波王子って何?」
きゃあきゃあと飽きずに騒ぐクラスメイトから出た『電波王子』の単語が香代子をますます不安にさせた。
電波と王子。ありえないものがくっついて、さらにありえない言葉になっている。いったい古賀 由貴也とは何者なのか。
あんなにやかましかったクラスメイトたちの口が一瞬にして閉ざされる。彼女たちは信じられないものを見るように香代子を見ていた。
「香代子知らないの?」
クラスメイトのひとりがおそるおそるといった様子で聞いてきた。香代子は当然電波王子なんていうあやしい言葉は聞いたことないのでうなずく。むしろそんなものとはかかわり合いになりたくない。
「古賀くんのニックネームだよ。超キレイな顔してるじゃん!」
興奮気味に言われても、顔がムダにキレイな男が嫌いな香代子には、ああそうかもくらいの感想しかもたない。そもそも由貴也の顔をじっくりと見た記憶もない。
由貴也の顔をのんきに見れるほど余裕がなかったのだ。
私立高校だけあって、この学校はかなり部活動に力が入っている。数多の部活動が華々しい実績を誇っていた。
その中にあって陸上部は弱小だ。実績もなく、部員もいない。よって部費も少ない。マネージャーの香代子は資金繰りにいつも頭が痛かった。
次年度の新入生獲得に向けて、間近に迫っている競技会でがんばろうと決めていたとき、四×百メートルリレーの走者がケガをしてしまった。こんな部員も部費もかつかつの部に補充人員などいるわけがない。香代子と部員は途方に暮れていた。
そこに陸上経験者の古賀 由貴也が留学から帰って来た。
四月に新入生として立志院に入ってきた彼を、陸上部員は一度勧誘しに行った。けれど彼はその勧誘から逃れるようにオーストラリアへ留学に行ってしまった。
彼に陸上部に入る意志はないとわかっていても、背に腹は変えられない。血眼になって再び勧誘しに行ったわけである。
「香代子! どうやって電波王子を落としたの!?」
「物で釣ったの!?」
クラスメイトが大挙して押し寄せてきて、香代子は無意識に体を引いた。
香代子だって由貴也がなぜ陸上部に入る気になったのか正直わからない。
連日勧誘しに行っても、頑なに「入る気ないから」の一点張りだったのに、昨日はあっさりと「入ってもいいけど」と言った。あまりの変わりように、マネージャーの本分も忘れ「えっ!?」と言葉を失ってしまったくらいだ。
「わかんないよ。私の方こそ聞きたいよ」
投げやりにつぶやいて、ため息をついた。
これから女子に絶大な人気を誇る電波王子とやらにつきあっていかなければならないかと思うと憂鬱だった。
香代子の望みは毎日を平穏かつ堅実に生きていくことだ。やっかいごとは極力避けたい。
電波王子。皆の興味と敬遠が混ざったような組み合わせだ。その渦中に自分が放りこまれるのはご免被りたかった。
これも陸上部のため、とクラスメイトに事情聴取のように根掘り葉掘り聞かれても香代子は我慢した。
気まぐれに入った陸上部のマネージャーという仕事に今はやりがいを感じている。陸上部自体に愛情がある。部のことになると香代子はらしくなく熱くなる。
おおげさに言えば、部の存続のために香代子は電波王子という奇妙な下級生と接触しようとしていた。
電波はもちろん、王子も顔のよさも、香代子は何の魅力も感じない。
ただ危険を示す、指数に他ならなかった。