クマの輪フォトグラフ【第三章:⑩【魔法屋の黒猫クマ:ニクスとお節介な火】
⑩【魔法屋の黒猫クマ:ニクスとお節介な火】
和熊国の古い宿場町『ツムギ』。
昼下がりの路地裏を、一人の少女が大きなカバンを背負ってトボトボと歩いていました。
「……はぁ。やっぱり、人が多いところは苦手かもしれない……」
くまナぱは小さく溜息をつきました。
彼女の頭上でゆらゆらと揺れる小さな火は、お日様の下でも隠しようのないほど鮮やかで、異質な存在感を放っています。
すれ違う人々が、まるで恐ろしいモノを見るかのように露骨に距離を置くたび、彼女の胸はちくりと痛みました。
そんな迷い込んだ袋小路の突き当たり。
「……あれ? こんな所にお店が……」
傷心しきった彼女の前に、古びた、しかしどこか威厳を感じさせる店構えが現れました。
看板には『よろず相談承ります・魔法屋』の文字。
「……よろずや……。じゃあ、カメラのことも聞いてもいいのかな……? ……すいません……お邪魔します……」
勇気を出して扉を開けると、カランと乾いた鈴の音が響きました。
店内は不思議な薬品の湿っぽい匂いと、見たこともない鈍色の道具で溢れています。
(…よろずや……と言うより……ゴミ屋敷……)
しかし物が乱雑に重ねられ、ホコリが厚く積もり、棚の瓶は床に倒れ、机には魔導書のページが散乱し、その光景は『神秘的』というよりは『壊滅的』でした。
「おや、珍しいお客さんだにゃー。それも火ぐまの子供なんてにゃー?」
どこか超然とした、それでいて茶化すような高い声。
「……あれ? 誰もいないのに声が……? どこですか?」
くまナぱがキョロキョロと首を傾げると、頭上の棚から声が降ってきました。
「ミャーはここニャン」
棚の上の影から現れたのは、小さな翼が生えた、艶やかな黒毛の【猫クマ】でした。
「あ、猫クマだ……珍しい……。えっと、本物、ですよね……?」
─【猫クマ】とは、いわゆる『小型の猫に似たクマに鳥の羽が生えた』生物です。
「本物に決まってるにゃー。ミャーは『ニクス』だにゃ」
─通常はペットや、魔法使いの使い魔として飼われる、稀少な存在であり、
「店主は今、自分の星を探しに出かけてて不在だにゃー」
─極めて長い年月を生きた個体は人語を操り、精霊とは異なる独自の魔力を持つと言われています。
「新米弟子も今は学校に行ってるにゃし、散らかし放題だけど、ほっといて良いにゃー」
店主から掃除を任された弟子は、よほど不器用なのか、店内は想像を絶する散らかりようでしたが、ニクスはやる気なさげにあくびをしました。
「……で、アンタ、何か用かにゃー? ……どうせ、その壊れたガラクタを直したいんだろにゃ?」
そう告げる【黒猫クマ】の瞳が怪しく輝きました。
──彼らは気まぐれで、しばしば狂言めいた予言を口にすると伝えられていました。
「えっ!? ……すごい、どうして分かったんですか?」
くまナぱが驚き、目を丸くして言うと、
「どうせ、いつものことにゃ……伊達に年はとって……」
「フン、何を言わすニャ! ミャーの勘だにゃ!」
ニクスは一瞬、しまったという顔をしてから鼻を鳴らしました。
「直すにしても、今はニャンともできないにゃー。ミャーも手伝わないにゃー」
もう関わらないと言わんばかりに、ニクスは背中を向けて、
「…変に関わると厄介な縁を結んじゃうからにゃ……」
再び寝る体勢をとり、そう呟きました。
「……そうですか……今はなんともできないんですね……お邪魔しました…」
つれない態度に仕方なく、店を立ち去ろうとしたくまナぱでしたが、
「……あの、ニクスさん。これじゃ、次にお客様が来た時、相談もできないですよ?」
彼女は、どうしても散らかった店内を放っておけませんでした。
「 ……少しだけ、掃除させてください!」
その言葉に、頭だけこちらに向けるニクスは、どうでも良いかのような声をあげます。
「勝手にするにゃー。お礼も何もでにゃいからね? 後悔しても知らないにゃん」
くまナぱ は、持っていた大きなカバンを置き、
「任せてください! こう見えても私、お掃除 得意なんですよ!」
ニクスが止めるのも聞かずに、掃除を始めたのです。
【ドタバタ!お節介掃除】
ニクスがダルそうに尻尾を振る横で、くまナぱの『お節介掃除』が始まりました。
しかし、魔法屋のゴミは一筋縄ではいきません。
「ちょ、ちょっと! なんで逃げるの! あなたはホウキでしょ!?」
まずは手始め、掃除に使おうと思ったホウキが、己の仕事を放棄して、【空を飛ぼう】と暴れ回ります。
「わわっ! この瓶も勝手に逃げる!?」
棚の下に転がっていた『脱走する水銀』の瓶を追いかけ、くまナぱは店中をハイハイで這い回ります。
ようやく捕まえたと思えば、今度は積み上がったガラクタの中から『全自動・背中かきハンド』が飛び出し、彼女の頭を激しくパタパタと叩き始めました。
「痛っ、痛たた! ……何で『背中かき』なのに頭たたくのっ!?」
「言ったにゃー、不良品のガラクタばっかりにゃー」
さらに積み重なった物を片付け始めると、ゴミの中から、けたたましいベルの音が鳴り響きます。
「わあ!? なに!? ……これ時計? ……だ、ダメ鳴りやまないよ〜!?」
『絶対に鳴り止まない目覚まし時計』や、そしてなぜか半分かじられた『石のように硬いパン』などが次々と出てきます。
「これ、全部ゴミですか……? あ、この魔導書、ぜんぶのページがあべこべに綴じられてる!」
くまナぱ がバタバタと立ち回り、ホコリにまみれてくしゃみをするたび、頭の火が『ぷしゅっ』と小さく縮んだり、焦って『ぼうっ!』と大きくなったり。
「やれやれ、騒がしくて昼寝もできやしにゃーよ?…」
その騒々しい様子を、ニクスはカウンターから呆れたように薄目で見守っていました。
「 ……しかし、なんて強くて、温かい火をしてるんだにゃー」
不思議なことに、彼女が掃除して触れるたび、店内に溜まっていた澱んだ空気が、彼女の頭の火に吸い込まれるように浄化されていきました。
「……アンタ、ただの火ぐまじゃなさそうだにゃー?」
ニクスは鼻先をヒクヒクさせました。
「……わたし、この火をどう使えばいいのか、わからなくて…怖いって言われるし……。」
掃除の手を止め、くまナぱ は少し悲しげに笑いました。
「今は、ただ、このカメラを直したいんです。みんなの笑顔を撮ってあげたいから」
彼女はカメラの残骸を差し出しました。
ニクスはレンズの破片を一瞥すると、ニヤリと笑いました。
「これはカメラにゃーね? ……。確か、三番通りに、古道具屋があったにゃーよ、直したいなら、直せばいいにゃー」
ニクスはふわりと翼を広げて、くまナぱの前に降り立つと、くまナぱの頭上で小さく揺れる火をじっと見つめました。
「……いいかい、くまナぱ? 火はアンタ、アンタは火だにゃー」
その瞳はどこか遠く、懐かしい時を見つめているようで、くまナぱ は意味もない不安を感じました。
「…ニクスさん…? それって、どういう意味ですか?」
「火ってのは、何かを燃やすだけじゃないにゃー…」
くまナぱ が身をすくめると、ニクスは鼻と羽を鳴らして、元の棚の上に舞い戻ります。
「…時には何かを包み込み、守ることだってできるんだにゃ。好きに使えばいいにゃー」
それだけ言って ニクスは寝転び、もう別れだと告げるように一度だけ尻尾を振りました。
くまナぱ は驚いて目を瞬かせました。
今まで出会った誰もが、彼女の火を遠ざけるべき『不吉なもの』、あるいは危険な『破壊の力』としてしか語りませんでした。
「ニクスさん……ありがとうございます!…よく分からなかったけど…」
それなのに、目の前の小さな黒猫クマは、この火を『守るための力』だと言ってくれたのです。
「そんな風に言ってもらえたの、初めてです……。私、頑張ってこの火と仲良くなってみます!」
掃除を終え、ピカピカになった店内を見渡して、くまナぱは晴れやかな顔でお礼を言い、店を後にしました。
扉が閉まり、カランと乾いた鈴の音が店の中に響きます。
「……ふん。アンタは変わらずお人好しなんだからにゃー、ナパ…」
黒猫クマのニクスは、閉まった扉をじっと見つめ、毛繕いを始めました。
「……厄介な縁なんて、もうとっくに結ばれてるってのににゃー」
ニクスは窓枠へ飛び移りました。
「…でも、今日は何だか変な日だにゃー」
ニクスが見守る中、くまナぱの小さな背中が夕闇に消えていきます。
「…また、何か新しい縁が生まれそうな……そんな気がするにゃー」
黒猫クマの長いヒゲが、ひくひくと揺れます。
そのさらに頭上、時計塔の影から彼女を鋭く射抜く、漆黒の視線をニクスだけは確かに感じ取っていました。




