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夫という役割が消えるとき  作者: アレックス・フクリー
3)「夫」という存在が見えなくなるとき

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3-5)存在価値が問われるとき、男はどう感じるか

「いてもいなくても、変わらない気がする」


 妻にそう言われたとき、頭では何か言い返したかったけれど、言葉が出てこなかった──ある男性が、そんな体験を振り返って話してくれました。その瞬間、彼の心の中で何かが静かに崩れていったといいます。それは言葉で表現できないほどの感覚だったと。

 夫婦関係のなかで、"存在価値"を問われる瞬間というのは、静かに、しかし強烈な衝撃を与えます。特に、日本社会における男性にとって、この「いてもいなくても」という言葉の重みは計り知れないものがあります。なぜなら、多くの男性は自分の価値を「何かをすること」「役に立つこと」に見出してきたからです。


「自分はこの家に必要とされているのか?」

「役に立っているのか?」

「愛されているのか?」


 そういった問いが心の奥でざわめき出すとき、男性たちは思いのほか深く揺さぶられます。その揺らぎは表面には現れないことが多く、むしろ無表情や沈黙という形で内側に向かいます。しかし、その静けさの裏には激しい感情の嵐が渦巻いていることがあるのです。

 特に、"役割"を重んじてきた男性にとって、家庭内での「存在の意味」は仕事以上に複雑なものです。会社では、成果を出せば認められる。行動が評価に直結する明快な世界。数字や結果という「見える評価」があります。しかし、家庭では「やっている」ことが、必ずしも「求められている」「大切にされている」ことと一致しません。そこには目に見えない「関係性の質」という要素が加わるからです。

 たとえば、収入を家に入れ、家事も育児も分担している。休日は家族のために時間を使い、平日も可能な限り早く帰宅する。そういった「やるべきこと」をすべてやっているつもりなのに、「あなたが何を考えているのかわからない」「いても空気みたい」と言われる。その言葉に、男性は深い戸惑いと無力感を覚えます。「何をやっても足りないのか」という虚脱感が押し寄せるのです。

 現代の男性たちは、かつての「稼ぎ手」という単一の役割から解放され、より多様な家庭内役割を担うよう期待されています。しかし同時に、その転換期にあって、何が本当に求められているのか、自分の居場所はどこにあるのか、という根源的な問いに直面しているのです。

「存在価値」というのは、行動ではなく"関係性"のなかで感じられるものです。つまり、何かをしたかどうかよりも、「相手がどう受け止めてくれているか」「どのような感情が行き交っているか」がカギなのです。男性が陥りがちな誤解は、「行動」と「関係」を同一視してしまうことにあります。

 ある男性は、妻に「最近、あんまり話しかけてこなくなったね」と言われたことがあるそうです。彼にとっては「話しかけられない=必要とされていない」と感じたのだとか。でも妻は、「話しても反応が薄いから、話す気がなくなっていた」と。つまり、彼は"価値を感じてもらえていない"と傷つき、妻は"自分の感情が届かない"と疲れていたのです。お互いが相手に「期待」していながら、その期待の内容や伝え方がすれ違っていたのです。

 また別の男性は、「家では常に何かをしていないと落ち着かない」と語ります。食器を洗い、子どもの宿題を見て、部屋を片付ける。それは「家族のため」という理由もあるけれど、実は「何もしていないと居場所がない気がする」という不安からでもあるのです。「存在」そのものではなく、「機能」としての自分しか認められないのではないか、という恐れが根底にあります。

 このすれ違いが続くと、男性は次第に"家庭の中での自分の居場所"に疑問を持ち始めます。


「ここで自分は何者なんだろう」

「夫として、父として、人として、どう見られているのだろう」


 そんな不安が、じわじわと広がっていきます。そして、多くの場合、その不安は言葉にならず、沈黙や無関心、あるいは仕事への逃避というかたちで表れてしまいます。忙しさに身を投じることで、その問いから逃れようとするのです。

 男性は、意外なほど"居場所"に敏感です。ただ、"察してほしい"とも、"構ってほしい"とも言えない。なぜなら、それは"弱さ"だと感じてしまうからです。幼い頃から「男は強くあれ」「弱音を吐くな」と教えられ、社会的に「頼れる存在」「支える側」であるべきとされてきた背景もあり、自分の存在が"求められていないかもしれない"という感覚に、耐えがたい孤独を抱えます。その孤独感はしばしば「怒り」や「諦め」として表出し、さらに関係を悪化させる悪循環を生み出します。

 実は、男性が家庭内で感じる「存在の不安」は、現代社会が作り出した新しい現象でもあります。かつては「稼ぎ手」という明確な役割があり、それさえ果たせば「夫としての価値」が認められていました。しかし今、経済的な役割だけでは不十分とされる時代。それは良い変化である一方で、男性たちに「では、何をすれば価値ある存在と認められるのか」という新たな問いを突きつけているのです。

 では、どうすればその孤独を和らげることができるのでしょうか。

 ひとつは、「行動」だけでなく「気持ち」を伝え合うことです。パートナー同士で「ありがとう」「助かった」だけではなく、「あなたがいてくれてうれしい」「あなたと一緒にいると安心する」といった、存在そのものへのメッセージを伝える。それは男性にとって、思っている以上に深く沁みる言葉です。特に、幼少期から「感情表現」よりも「結果」や「行動」を評価されてきた男性にとって、「あなたの存在そのものに価値がある」というメッセージは、新しい自己認識をもたらします。

 また、男性自身も、「何かをしていないと価値がない」という思い込みから自分を解放することが必要です。何もしていない時間でも、そばにいるだけで意味がある。ただ一緒に笑う、一緒にぼーっとする。そうした"無意味な時間"にこそ、関係の豊かさは宿るのです。行動や成果で自分の価値を証明しようとするのではなく、「ただそこにいること」の意味を自分自身が受け入れられるかどうか。それが、家庭内での安定した居場所を作る鍵となります。

 このプロセスは、決して容易ではありません。長年培われてきた「男らしさ」の価値観を一朝一夕に変えることはできないからです。しかし、小さな変化から始めることはできます。たとえば、パートナーに対して「今日は疲れた」「これがつらかった」といった素直な感情を言葉にしてみる。あるいは「あなたのこういうところが好きだ」と率直に伝えてみる。そうした小さな会話の積み重ねが、やがて「存在そのもの」を認め合える関係性を育むのです。

 存在価値は、目に見える成果では測れません。それは、ふたりのあいだに流れる"気配"のようなものです。そしてその気配を感じ取れるかどうかは、「心を開ける関係」であるかどうかにかかっています。お互いが心を閉ざしているとき、どんなに素晴らしい行動も、相手の心には届きません。逆に、心が開かれているとき、小さな言葉や仕草が、深く響き合うのです。

 男性が「ここにいていい」と思える場所。その場所は、"役に立つかどうか"ではなく、"そのままで受け入れられているか"で決まるのです。そして、それは決して「与えられるもの」ではなく、夫婦がともに築いていくものなのかもしれません。

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