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夫という役割が消えるとき  作者: アレックス・フクリー
3)「夫」という存在が見えなくなるとき

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3-4)期待しないことで、関係は楽になる?

「もう、何も期待しなくなったら楽になったんです」


 そう語る女性の声には、少しの安堵と、少しの寂しさが混じっていました。その表情には、長い葛藤の末にたどり着いた境地のような静けさと、何かを諦めた後の喪失感が同居しているようでした。

「期待しない」というのは、たしかにストレスを減らす方法のひとつです。心理的な防御機制として非常に効果的です。人間関係の摩擦の多くは、期待とその裏切りから生まれるものだからです。


「どうせ言ってもやってくれない」

「頼んでも無理だってわかってる」


 そうやって諦めることで、無駄な怒りや落胆から自分を守ることができます。期待値をゼロにすれば、失望もゼロになる——そんな計算が、無意識のうちに働いているのでしょう。

 でも、それは本当に"楽になった"と言えるのでしょうか? 「楽」という言葉の裏側には、何が隠れているのでしょうか。

 夫婦関係において、"期待"というのは、希望や信頼の別名でもあります。


「こうしてくれたらうれしいな」

「きっとこう返してくれるはず」


 そうやって、相手に未来を預けること、それ自体が"つながり"の証なのです。期待するということは、相手をまだ「可能性のある存在」として見ているということ。逆に言えば、期待を手放したとき、関係の質は変わっていきます。それは、「対等なパートナー」から、「お互いに踏み込まない生活共同体」への移行かもしれません。

 心理的に見れば、期待を捨てることは、ある種の「凍結」状態を作り出します。感情を動かさないことで自分を守り、変化や成長の可能性も同時に凍らせてしまうのです。それは一見、平穏に見えるかもしれませんが、実は関係の「生きた部分」を休眠させている状態と言えるでしょう。

 ある妻は、「夫に何かしてほしいと思わなくなったら、すごく楽になった」と言いました。それまでは、言ってもやらない夫にイライラし、やってもらっても不満が残る。


「なんで気づかないの?」

「なんで自分から動けないの?」

「なんでそこまでしか考えられないの?」


 ──そんな怒りを抱える日々に、疲れ切っていたのです。

 けれど、期待をやめてからは、気が楽になった。家事も育児も自分でやる前提にしたら、思い通りに動けるし、ストレスも減った。それはある意味、合理的な選択だったのかもしれません。

 しかし、期待をゼロにしたとき、失われるものもあります。「驚き」や「感動」、「感謝」といった感情の起伏が平坦になるのです。なぜなら、これらの感情は全て、何らかの「期待」があるからこそ生まれるものだからです。

 彼女の目にうっすらと浮かんでいたのは、「でも、それって本当の意味での"夫婦"なのかな」という問いでした。「楽になった」という言葉の影に隠れていたのは、関係の「生きた感覚」が失われたことへの無意識の哀しみだったのかもしれません。

 期待しない関係は、衝突が少ない反面、感情の動きも少なくなります。


「ありがとう」

「ごめんね」

「うれしかった」


 ──そうした言葉が消えていく。なぜなら、相手に何かを感じる瞬間そのものが減っていくからです。期待も失望もない関係は、波風が立たないものの、静かな海のように表面は平らでも、その下で生命の動きが乏しくなっていく可能性があります。

 もう一つ見落とせないのは、「期待しない」という態度が相手にどう映るかという点です。期待されないということは、一方では「信頼されていない」「可能性を見出されていない」という無言のメッセージにもなります。

 期待には、たしかに裏切られるリスクがあります。でも、期待がまったくなければ、そこには"無風"の空気しか残りません。安心感のようでいて、その実、何の変化もない関係。それは"穏やか"ではなく、"停滞"なのかもしれません。

 夫の側もまた、「妻に何も求められなくなった」と感じたとき、どこか寂しさを覚えるものです。


「もう諦められているのかもしれない」

「何をしても期待されていない」


 そう感じることは、自分の存在意義を問われているような気持ちにもなります。「期待されない」ということは、裏を返せば「あなたは変わらない」「あなたにはできない」と言われているようなものだからです。

 そして、期待されなくなった夫は、さらに努力をしなくなるという悪循環に陥りがちです。「どうせ何をやっても認められないのなら」と思うようになり、ますます関係性は冷え込んでいきます。こうして、お互いに期待しない関係が固定化していくのです。

 夫婦カウンセリングの現場では、こうした「期待の放棄」が長年続いたカップルほど、関係の再構築が難しいと言われています。なぜなら、傷つかないようにと張った防御の壁が厚くなりすぎて、もはや感情を交わすこと自体に恐怖を感じるようになってしまうからです。

 もちろん、過剰な期待や依存は、関係を壊す原因にもなります。「察してほしい」「全部わかってほしい」というのは、現実には難しいことです。理想と現実のギャップが大きすぎれば、失望も大きくなります。けれど、完全に"無関心"でいることもまた、関係を枯れさせる大きな要因になるのです。

 では、どんな"期待"が関係を育てていけるのでしょうか。それは、"結果を強制しない期待"です。


「こうしてくれたらうれしいけど、できなかったとしても責めない」

「聞いてくれたらありがたいけど、聞けるタイミングがあるのはわかってる」


 そんなふうに、"思い"を投げかけながらも、"相手の自由"を尊重する期待のかたち。それは、「あなたならできる」という信頼と、「できなくても大丈夫」という受容が同居する状態です。それができたとき、夫婦は"支配"や"諦め"ではなく、"信頼"という土台の上に立つことができます。

 これは、自分の感情を伝えながらも、相手への過度な期待は手放すという繊細なバランスです。「私はこう感じている」という自分の内面を開示しつつ、「あなたはそれに応える義務はない」という自由を認める——そうした関係性は、お互いの自立を促しながらも、感情的なつながりを保つことができるのです。

「期待しない」というのは、自分を守る知恵でもあります。でも、それを関係のゴールにしてしまったとき、ふたりのあいだにある"あたたかい可能性"も閉ざしてしまうかもしれません。本当に楽なのは、「期待していい」と思える関係。小さくても、ゆるやかでも、「あなたに期待している」と言えること。それが、夫婦という関係を"生きているもの"として保ち続ける鍵なのではないでしょうか。

 期待することの本質は、相手の変化や成長を信じる心です。その信頼が、どんな形であれ相手に伝わるとき、関係には新しい風が吹き始めるのかもしれません。期待とは、つまるところ「可能性への信頼」なのです。

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