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夫という役割が消えるとき  作者: アレックス・フクリー
2)「役に立つ人」になってしまった

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2-6)あなたは「必要とされている」だけなのか?

「いてくれて助かる」

「やってくれると本当に助かる」


 そんなふうに感謝されることが増えてきた──それは、ある意味で“夫としての役割”をしっかり果たしている証かもしれません。でも、ある日ふと、こんな問いが浮かんでくることがあります。


「自分は、“いてほしい人”ではなく、“必要だからいる人”になっていないか?」


 この問いは、家族の中での自分の存在意義について深く考えさせるものです。"機能する家庭の部品"として評価されている感覚と、"かけがえのない一人の人間"として愛される感覚の間には、見えない深い溝があるのかもしれません。


「頼りにされているのに、なぜ寂しいのか」


 "必要とされる"というのは、もちろん悪いことではありません。家庭の中で役割を果たし、頼られ、感謝されることは、自己肯定感にもつながります。時に「自分がいなければこの家は回らない」という自負が、日々の疲れを癒すこともあるでしょう。

 けれど、「役に立つから必要とされている」ことが、「役に立たなくなったらもう要らないのではないか」という不安と背中合わせになるとき、それは少し違う重さを持つようになります。この不安は、特に現代の男性たちの心の奥底に潜んでいることが少なくありません。

 ある男性は、こう話してくれました。


「子どもの送迎も、夕飯づくりも、ある程度できるようになって、妻も助かっているみたいです。でも、たまに思うんです。これ、俺じゃなくてもよくない?って。もっと料理が上手な人、もっと子どもと遊ぶのが得意な人、もっと家事をテキパキこなせる人がいたら……妻はその人といた方が幸せなんじゃないかって」


 彼は"家庭にとって必要な人"になった。けれど、"かけがえのない存在"になれているかどうかには、確信が持てなかったのです。彼の中には「交換可能な部品」にすぎないのではないかという漠然とした恐れがありました。

 ここの「必要」と「存在」のズレは、パートナーシップにおけるとても繊細な問題です。効率や役割分担が重視される現代の家庭では、どうしても"機能的に優れていること"が重宝されます。

「家事の分担表」

「育児のスケジュール管理」

「家計の効率的運用」

……こうした「家庭経営」の視点が強くなるほど、人は「何ができるか」で評価される存在になっていきます。

 しかし、その延長線上にあるのは、「この人じゃなきゃだめだ」という情緒的なつながりではなく、「この仕事をうまくやってくれる人」であれば誰でもいい、という代替可能性の感覚です。"あなた"である意味が問われない関係は、やがて無機質になっていきます。

 別の男性はこう語ります。


「休日に妻と二人きりになると、何を話していいかわからなくなる。子どものこと、家のこと、お金のこと……そういう『案件』がないと、会話が続かない。昔はそんなことなかったのに」


 このような感覚は、二人の関係が「家庭という組織を運営するパートナー」になった証かもしれません。しかし同時に、お互いを「一人の人間」として見つめる視線が薄れてきた兆候でもあります。

「何ができるか」だけではなく、「どんなふうに存在しているか」が問われるとき、私たちはようやく「一緒にいる意味」に立ち返ることができるのです。

 では、"必要とされる"から"一緒にいたい"へのシフトは、どうすれば起こるのでしょうか。

 ひとつは、役割ではなく"関係"に目を向けることです。何をしているかよりも、「ふたりのあいだに、どんな空気が流れているか」に意識を向けてみる。言葉のやりとりだけでなく、沈黙の時間の質や、ふと目が合ったときの表情に、その関係の温度はあらわれます。

 例えば、二人でソファに座ってテレビを見ている何気ない時間。そこに流れる空気は、ただ同じ屋根の下にいる他人同士のような緊張感なのか、それとも言葉を交わさなくても心地よい共存なのか。そのような「何もしていない時間」こそが、二人の関係の質を映し出すものです。

 もうひとつは、「役に立たない自分」を許せること。体調が悪いとき、疲れているとき、何もできない自分をそのまま差し出せる関係こそが、信頼の土台になります。


「今日は仕事で疲れて、何もする気になれない」

「この週末は、ただぼんやりしていたい」


 そんな弱さや脆さを見せられる相手がいるということ。それは「いつも頑張っている自分」という仮面を外せる安全な場所があるということです。

「今日は何もしなかったけど、一緒にいられてうれしかった」

そんなふうに言える日があるなら、そこには"必要性"を超えた親密さがあるのだと思います。

 また、相手にも「あなたがいてくれることがうれしい」と伝えること。それは、感謝でも評価でもない、純粋な“存在の承認”です。たとえば、こういう言葉です。


「あなたがここにいるだけで、私は少し安心する」

「話すことがなくても、一緒にいられるのがいい」

「役に立たなくても、あなたがいてくれてうれしい」


 そんな言葉は、日常の中では照れくさくて、つい後回しにされてしまいます。特に日本の文化では、愛情表現を直接的に言葉にすることに抵抗を感じる人も少なくありません。「言わなくてもわかるはず」「行動で示している」と思いがちです。

 けれど、関係が少しずつ冷えていくとき、必要なのはそうした"意味のない言葉"かもしれません。ある夫婦は、週に一度「感謝ではなく、存在を喜ぶ言葉」を伝え合う時間を作ったそうです。最初は照れと戸惑いの連続だったものの、次第にお互いの「機能」ではなく「存在」に目を向ける習慣ができたと言います。

「必要とされる」ことは誇りであり、支えにもなります。家族の中で頼られる存在であることは、自分の居場所を確認する大切な指標です。

 でも、「必要とされるだけの人」で終わってしまうことに、私たちはどこかで違和感を覚えます。私たちが本当に望んでいるのは、「あなたという人間が好きだから一緒にいたい」と思われることではないでしょうか。それは、効率や有用性とは別の次元の願いです。

 だからこそ、時折立ち止まって、「自分はどうありたいのか」「この人とどうつながりたいのか」を問い直す時間が必要なのです。その問いかけは、ときに居心地の悪さを伴うかもしれません。しかし、その不快さを通り抜けたところに、より深い関係性が待っているのかもしれません。

 役に立つ人ではなく、大切に思われる人に。"存在"としてそばにいてほしいと思われる関係に。その願いは、誰にとっても、とても自然なものなのだと思います。そして、それは「夫」という役割を超えた、一人の人間としての尊厳にも関わる問題なのです。

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