けっして鏡を見てはいけない部屋
親友の美沙が一日だけマンションの部屋を留守にするというので、私が留守番をすることになった。
留守番とはいっても、じつはお願いしたのは私のほうだ。彼女の豪華なマンションの部屋にぜひとも住んでみたかったのだ。
「置いてあるものは動かさないでね。ゲーム機は好きに使っていいわよ。蛇口も好きにひねってね。猫とも好きに遊んで。スマホも見ていいし、オ・ナラもしていいわよ。カブトムシを放たれるのは困るけど……」
私を連れて、美沙は部屋の中を案内してくれた。
「汚したらちゃんと掃除してね? ベッドのシーツは私が帰るまでに取り替えて」
「男なんか連れ込まないわよ」
私はそんなつもりは本当になかった。
「ただ、いつもの安アパートとは違う暮らしがしてみたいだけだから」
キッチンへ案内すると、美沙は冷蔵庫を開けた。
「中に入ってる食料品、自由に食べていいわよ。賞味期限の近いものから片付けてね?」
開けられた冷蔵庫の中を見て、私は盛大に驚いた。
「高級食品がいっぱい! これ、好きに食べていいの?」
「うん」
「わぁい♪」
「ただひとつ、鏡だけは見ないで」
「……え?」
鏡を見てはいけないと言われ、私は固まった。
鏡を見なければ気持ちもお肌もたるんでしまうじゃないか。
「なんか風水的な理由で?」
「ううん。この部屋に入る時、管理人さんに言われたの。鏡だけは絶対に見ないように」
「なんで? 何が起きるの?」
「知らないわ。私は言いつけを守ってるもの」
部屋を眺め回すと、クローゼットの隅に姿見が置いてある。
一体あれは何のためにあるのかと聞きたかったが、黙っていた。
「それじゃお留守番、お願いね」
美沙はまるで海外旅行にでも行くみたいな大荷物を身の回りに出現させると、部屋をすうっと出ていった。
「へへ……。ブルジョワ気分」
私はふかふかのベッドの上で飛び跳ね、ゲーム機で遊び、蛇口をひねり放題にひねり、猫と遊び、スマホを見ながら放屁し、冷蔵庫の高級食品を猫と一緒に食い尽くすと、やることがなくなった。
ふと、姿見が気になった。
あんなところにあったら見てしまう。かといって被せるのにちょうどいい布とかも見当たらない。
「そうだ。裏返しておこう」
私は姿見に近づき、鏡を見ないようにしながら、それに触れると、くるんと裏返した。
「ふぅ……。これで安心ね」
そう思って見ると、姿見の裏側も鏡になっていた。しかも凹面鏡だ! 自分の顔が巨大になって映し出されているのを私はそこに見た。
見た──
見てしまった! 何が起きるの!?
ニヤリと、鏡の中の私が笑った。
鏡の中から手が伸びてきて、私の手を掴む。そのまま私は引っ張り込まれてしまった。
「ああっ……!?」
鏡の外では私そっくりのそいつが、楽しそうにベッドの上で跳ねたり、私のスマホでウーバーイーツに注文をしたりしている。
「出して! ここから出して!」
私は鏡を叩いたが、割れるでもなくびくともしない。まるで岩の壁のように──
「無駄よ」
背後から声がした。
びっくりして振り返ると、そこに膝を抱いてうずくまっている美沙がいた。
「あれだけ鏡を見るなって言われてたのに……見るなって言われたら見ちゃうわよね? ……人間って、悲しい生き物……」
ぶつぶつと呟くようにそう言う美沙は、まるでミイラのように痩せ細っていた。