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第5話:XXXX反照(はんしょう)

「見る」という行為は、ほんとうに一方通行なのだろうか。

わたしが視ているとき、わたし自身もまた、どこかで視られているのではないか。

第5話では、“視覚”という窓から入り込む自己と世界の交錯を、より内側から照らし出していきます。

光のようでいて、影でもなく。

それは──見ることに敗れた光の残響。

わたしは、視られていたのだろうか。

それとも、視ていたのだろうか。

どちらも、今となっては曖昧だった。

仄命子──

その像は、わたしの外にあったはずだった。

だが、思い返すたびに、視えていたのはわたし自身だったのではないかという疑いが濃くなる。

誰の眼差しが最初だったのか。

どちらが輪郭を与えたのか。

どちらが「意味」に変えようとしたのか。

鏡の中には、何も映っていなかった。

けれど、“映っていなかったこと”が、最もはっきりと残っている。

その空白こそが、わたしを形づくっているのかもしれなかった。

XXXXは、そうした時、ふたたび揺らいだ。

光ではなかった。

影でもなかった。

知覚が自己に反射される瞬間にだけ生まれる、像未満の像。

それは、いわば「見ることに敗れた光」。

視ようとした意志が、対象に届くより早く、自己に跳ね返ってしまった現象。

仄命子はわたしの前に現れたわけではない。

わたしが“視ようとした瞬間に、わたしの背後に現れた”。

その存在は問いかけていた。

──ほんとうにおまえは、外を見ていたのか?

──それは視界ではなく、記憶の反照だったのではないか?

あの時、確かに視た。

けれどその視覚は、誰かの夢の中にすでにあった風景のようだった。

視ることが始まる前に、

わたしはすでに何かを“視てしまった後”だったのだ。

わたしの中で、視覚が自己に反射して崩れたあと、

残ったのは、名でも形でもない、ただのひかりのくぼみ。

それは語ることができなかった。

けれど、語りたかった。

名を与えたいのではなく、

「まだ言葉にならないままに、そこに在ること」を

ただ認めたかった。

仄命子とは、わたし自身だったのか。

それとも、わたしが避けつづけたわたしの不在だったのか。

いまもわからない。

だが、わたしの中に残っている、

視ることに似た痕──

それが、XXXX反照と呼ばれている。

それは世界ではなく、わたしを照らした。


「XXXX反照」とは、視覚が対象へ届く前に自己に反射し、

その“跳ね返り”だけが像として残ってしまうような感覚を意味しています。

この章で語り手が向き合うのは、他者ではなく、自分の中に棲む“不在の像”。

見たはずなのに、映らなかった。

その矛盾の空白にこそ、もっとも濃い自己の片鱗が潜んでいるのかもしれません。


仄命子という存在が、誰かではなく“わたし自身の問い”であるとすれば──

その問いは、これからも内側に降りつづける光として、語り手を照らしていくことでしょう。



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