第四章 知らない扉の前で
放課後の校舎の階段を、私たちは並んで下りていった。
あすかが心配そうに私の手を取って、ゆっくりと歩調を合わせてくれる。 ここまで痛むわけじゃないから、そんなに気を使わなくてもいいのにと思うけれど、あすかはこういうとき、いつもおせっかいになる。
でも、嫌じゃなかった。
保健室の前でノックをすると、すぐに「どうぞ」と中から声がした。
「来てくれたのね。はい、座って」
佐野真帆先生が、穏やかな笑みで迎えてくれた。 アロマの香る室内に案内され、あすかと並んで椅子に腰かける。
佐野先生は、ことはの顔を一度見てから、静かに口を開いた。
「婦人科系の痛みってね、軽く見てしまいがちだけど、放置すると重症化することもあるの。だから、今日は無理せず病院で診てもらいましょう」
あすかがすぐに頷く。
「だよね。ことは、行こ。絶対行ったほうがいいよ」
私は小さく頷き、心に決めた。
「……やっぱり、気になるので行ってみます」
佐野先生は安心したように微笑み、続けた。
「蒼嶺学園前駅から各駅停車で4駅、急行だと2駅先にね、“桐華婦人科病院”っていう病院があるの。そこの白石先生っていう先生が、私の古くからの知り合いなのよ。今から行ける? 病院に連絡入れておくから、受付で名前を言えば通してくれるはず」
「……ありがとうございます」
「痛みがひどければタクシー呼んでもいいけど、どうする?」
「あすかも一緒ですし、大丈夫です。電車で行きます」
佐野先生は微笑みながら「気をつけてね」と見送ってくれた。
保健室を出ると、春の柔らかい風が頬をなでた。
桜の葉が少しずつ緑に変わり始めた中庭を抜け、校門を出て駅へ向かう。
あすかが横で何か話しかけてくれていたけれど、私はうまく言葉が出なかった。 婦人科。自分にはまだ関係ないと思っていた言葉が、こんなにも現実味を帯びて迫ってくるなんて。
蒼嶺学園前駅に着き、改札を通る。
反対方向のホームへと向かうのは、登校時とは違う奇妙な感覚だった。
「わ、急行行っちゃった!」
あすかが悔しそうに声をあげる。 いつも通り、喜怒哀楽がはっきりしてる。
「……もう、少しで乗れたのに~」
少しして、各駅停車がホームに滑り込んできた。 私たちは乗り込み、座席に並んで腰を下ろす。
電車が動き出すと、風景が少しずつ変わっていく。 学校周辺の住宅街を抜け、郊外らしいひらけた場所や小さな林、公園が見え始める。
乗車時間はおよそ18分。 終点の「桐ヶ谷駅」に到着した。
ホームに降り立つと、空気が少し違っていた。 どこか澄んでいて、駅の向こうには低く広がる林が見えた。
駅を出て、看板に従って歩き出す。 道の端にはまだ小さな菜の花が咲いていて、春の光に揺れていた。
私は少し不安だった。 でも、あすかがそっと私の手を握ってくれた。
普段はそんなことしないのに。
「……ありがと」
「なにそれ、変な顔してたから」
5分ほど歩くと、公園の木立の隣に、それは現れた。
白くて清潔感のある外壁。建物は低層ながら横に広く、ガラス張りのエントランスには小さな噴水があり、水音が静かに響いていた。 入口脇には「桐華婦人科病院」の文字が柔らかい書体で掲げられている。
私たちは、ふたり並んで、少し背筋を伸ばしてその中へと入っていった。