異世界転移的な必然
けっこう前の話だ。
地元に、いわくつきな伝承のある場所があった。その場所ではすべての願い事が叶うといわれ、どんな敬虔な信者もあらゆる神を否定し、なにやら気味の悪い信心深さに陶酔するらしい、という噂も立つほどだ。
そんな場所なので、学生たちの間でよく肝試しに使われた。例にもれず、俺も友人たちと肝試しへ向かい、無慈悲な公平性の暴力——じゃんけん——によって先陣を切ることになった。
暗い暗い森にほっそりと続く道を通って、俺はその場所に到着した。周囲は森で囲まれ、木々と虫と鳥のざわめきがするというのに、その場所に入ると、とたんにすべての音が消えたみたいになった。
その場所はまっさらな平地が十数メートル四方の正方形となっていて、いうならば、その場所だけデザインがされていないような感じだった。おれは恐る恐る中心へ近づき、到達の印としてポケットにあったレアカードを置く。
立ち去ろうとしたとき、俺はそこで木の切れはしを見つけた。よくわからないが、それはなんだか心を魅了して、俺は思わず飲み込んでしまった。
その日は何事もなく家へ帰ったのだが、その後俺は三日三晩うなされて、天へのぼっていくような感覚も起こった。なんとか、おれは生きながらえたのだが、思い返せば、その日からなにやらおかしなことが起きはじめたのだった。
翌日、おれが学校へ行くと、クラスには美少女の転校生がやってきたらしい。そしてその転校生は、おれを一目見て好きになった。俺も彼女を見て一目惚れしたので、出会った瞬間から両想いだったということである。
彼女は白髪緑眼の天使みたいな美少女で、名をリルといった。彼女は異国の血と豊穣と風情ともろもろを受け継いでいた。それでいて、氷のようなクールさも持ち合わせていて、まるで女スパイのような華麗で洗練された身のこなしがあった。
「うーん、よくわからないけれど、なぜだかここへ来ることになったの。来ないなんて選択肢はなかったわ」これは、彼女がいったことをまるまる引用したものだ。
リルと俺はすぐに仲良くなり、甘酸っぱい青春を過ごした。はっきりいって、この段階ではまだ俺はなにも気づいていなかった。非現実的なほどに美しい彼女が偶然この学校に来て、そして偶然おれに一目惚れをしたと、本気で信じていた。人間というのは、その程度の生き物なのだ。俺は彼女との桃色の未来を思い描いた。それは幸せに満ちていた。
リルに欠点は何一つなかった。少なくともその時点では。おれは熱に侵されたみたいに彼女を目で追っていて、彼女のことばかり考えていた。
だが、とある日、学校にふたたび転校生が来た。彼女は長い紫髪をくるんと内にまいた可愛らしくもミステリアスな美少女だった。彼女もまた俺に一目惚れしたらしく、そして天文学的な偶然によって、おれもその転校生に一目惚れした。名をメアといった。
「なんか、気づいたらここにいたんだよね、ダーリン」これは、彼女がいったことをまるまる引用したものだ。
メアと俺はすぐに仲良くなり、甘酸っぱい青春を過ごした。この段階でも、おれはなにも気づいていなかった。人間というのは、その程度の生き物なのだ。俺は花束のような青春を過ごし、有頂天だった。ついでに、自分が実はイケメンなのだと知った。
メアは無限の未知を内包していた。彼女を知れば知るほど、また新しい彼女が顔を見せるのだ。おれは彼女に夢中だった。彼女に飽きることは未来は想像できなかった。
リルとメアはあまり仲がいいとは言えなかった。互いが互いを目の敵にしていて、まるで、俺と恋人になることが世界の存亡に関わっているかのように全力でいがみあっていた。時折怖いこともあるが、真剣な愛を感じて、どこか優越感もあった。
放課後、メアに空き教室へ呼び出された。「ダーリンに、真実を伝えにきたよ」と彼女はいった。彼女の髪を手で握って、じっと勇気をためこんだ。
「実は、ボク……というより、ボクとリルはね、違う世界から来たんだ」彼女は俺の顔を見た。俺は肩透かしを食らっていた。告白かと思って保留の答えを出そうとしていたからだ。彼女は続けた。
「ダーリンさ、なんか変なやつ食べたでしょ? それでね、ダーリンに特別な力が宿っちゃったんだ。で、リルは、その特別な力を奪いに来た悪い人なんだ」
なるほど。メアの新しい顔ということだな。彼女に妄想癖があったなんて驚きだ。おなじように、メアは俺との幸せな結婚生活も妄想していたりするんだろうか。
「リルのとこに捕まると、ダーリンは下手したら殺されちゃうし、世界が危ないんだ。だから、リルから逃げなきゃいけない。おねがいダーリン、ボクの手を取って!」これはメアなりの告白ではなかろうか? だとすると、答えは決まっていた。
「ごめんメア。おれ、リルもメアもおなじくらい好きなんだ。もう少し時間をくれないか」
彼女は唖然とした顔で俺を見ていた。ひとりで考える時間も必要だろう。おれは彼女を置いて空き教室を出た。
夏祭り。俺はリルに誘われていた。彼女は赤い浴衣を着ていて、とても綺麗だった。綺麗なだけじゃなくて、すごく色っぽかった。普段は下ろしている髪を結いていて、うなじから首元は無防備だった。彼女の汗の匂いが鼻をくすぐり、なんだか落ち着かない気持ちで出店を巡った。祭りはやがて終盤を迎え、リルは俺を裏手に連れていった。
祭り囃子の喧騒は森のざわめきに溶けていった。ここには、俺とリルしかいない。リルは「好きです」といった。その陶磁器のような白い頬を赤く染め、俺の目を覗きこんだ。それから数秒ほど黙って見つめ合った。そして、俺たちはキスをした。二人の想いは一つになったのだ。
「祭りを抜けだしましょう」と彼女はいった。「わたしの家に来て。今すぐがいいの」
俺たちは手をつないだまま早歩きで夜道を歩いた。彼女は俺を逃さないようにしているみたいに、俺の腕を抱きかかえていた。豊穣の胸は俺の心も豊かにした。風は俺の熱情をさらいきれなかった。
リルの家へ着き、彼女に手を引かれて家へ入る——
——「ちょっと待って!」
メアは声とともに現れ、勢いよくおれに抱きついた。眼の前はとたんにまばゆく光、それから真っ黒に暗転した。とてつもない浮遊感に前後感覚もおぼつかないまま、おれはメアと二人闇の底に落ちていって、そのまま意識が途絶えた。