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銀色の残響  作者:
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第四章 君がいた①

 ゆっくりと目を開くと、部屋の中は鮮やかなオレンジ色で染められていた。それが夕日によるものであると気が付くまでにしばしの時間が必要だった。


 息を吸い込んだ瞬間、私の思考が止まる。胃袋がきゅっと縮まり、そこから発せられた音が部屋中に響く。感覚が今までよりも遙かに鋭くなり、彼女が今家の近くを歩いていることを瞬時に理解した。彼女がアスファルトの上を一歩一歩踏みしめる音が私の鼓膜を甘く振るわせる。


 窓に顔を近づけると、彼女が私の家に歩いてきているのが見えた。そして、私の家の前に来ると、ぴたりと脚を止めた。


 キタ来たきた来た来た――。


 私の胃袋が早く彼女を寄越せと訴えてくる。


 待ってよ。せっかちだなあ。そんなんじゃ彼女に嫌われちゃうでしょ? それに、これだけ我慢したんだ。ゆっくり味わおうよ。心も身体も。全部全部満足しようよ。


 彼女の透き通るような白い肌。

 細くて柔らかそうな腕と脚。

 血のように紅い唇と舌。

 かぶりつくと、きっと暖かい血が溢れ出すその首筋。

 そして、そんな彼女の身体の中核に位置する、どくどくと絶えず動き続ける彼女の血と同じ色をした心臓。


 一体どんな味がするのだろうか。濃厚なバターみたいな感じかな。それとも、極上のスイーツみたいなとろけそうな甘さなのかな。いや、きっとそんな物じゃ説明できないぐらい素晴らしい味がするのだろう。だってこんなに、狂おしいほど素晴らしい香りなんだから! そんなことを考えるだけで、私の胃袋は楽しそうに何度も、鼓動のようにどくどくと脈打つ。


 胃袋にもう少し我慢するように言い聞かせる。あぁ、彼女が階段を踏みしめる音が、聞こえてきた。


 一歩。

 窓際からそっと離れる。


 三歩。

 ゆっくりとベッドに腰掛ける。


 五歩。

 私は耳障りなほど鳴る鼓動を落ち着かせるために大きく深呼吸する。


 七歩。

 舌舐めずりをして、唇を湿らせる。


 九歩。

 彼女が私の部屋を視界に止めたのか、一瞬動きを止めた。


 十歩。

 そして、再び歩き始める音が聞こえる。


 十一歩。

 早く早く早く! 私の胃袋が歓喜の悲鳴を上げ始める。


 十二歩。

 彼女が私の部屋の前に立つのが分かる。少し緊張しているのだろうか、何度か深呼吸する音が扉越しに伝わってくる。


 そして、コンコンとひかえめなノックの音が部屋中に響いた。


「百合ぃー。起きてるー? 入っても大丈夫ー?」


 彼女の声が私の鼓膜を震わせるだけで、私の身体に気持ちの良い電流が全身を駆けめぐったかのような錯覚が起きる。


 はやる心臓を抑えるように、一度大きく深呼吸する。そして、この興奮が伝わらないようにできるだけ普段通りの声のトーンで「大丈夫だよー」と答える。


 部屋に入ってきた彼女は私の想像よりも遙かに美しく、そして、何よりとても美味しそうだった。


「……百合、本当に大丈夫?」


 彼女は私の顔を心配そうに見つめると、ゆっくりとした動作で私に近づいて来た。


 ――もっと近くに。もっともっともっと!


 徐々に半分だけ夕日に照らされた彼女の顔が近づいて来る。夕日に照らされていない部分の顔はどこか憂いを帯びているように見え、それだけで私の心臓は先ほどよりも遙かに強く鼓動を打ち始める。


 ――あぁ、もう我慢できない!


 私は急いで立ち上がると、勢いよく彼女に抱きついた。そして、彼女の魂を私の身体に取り込むために大きく口を開くと、彼女の首筋に強く歯を突き立てた。



「いいよ」



 楓の甘い声が、私の鼓膜を優しく揺らした。

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