EP:08
こほんっ、と咳払いをした。
「とても美味しい食事ですわ」
「それは良かった」
「どれも魅力的な料理ばかりで、とても優秀なシェフがいらっしゃるのね」
「気に入っていただけた様で何よりです」
「とても素敵な旦那様、歓迎してくださる皆様、美味しい料理……」
ニコッと笑って続ける。
「ジャック、私幸せ過ぎてなんだか……少し体が熱くなってまいりましたわ(夜のお誘い)」
突然の発言にその場にいた一同が凍り付く。
ごめんなさい。でも、新婚でラブラブならそういった発言だって……許されないわね。分かっています。
品がないとか、使用人のいる前でとか、公爵家の人間がとか、ええ、言いたい事は、全て分かっています。
今日だけです……許してください……。
ジャックは変わらずの笑顔で言う
「レイニー、気が付かなくてすみません。空調には注意を払っていましたが……少し温度を下げさせましょう」
ジャックが使用人に声をかける。
やめて、鈍感を演じないで。恥ずかしいのは私も一緒よ。
お願いだから乗ってほしい。
「ねぇジャック、貴方もそう思わない?」
「そうだね、僕も同じ気持ちです。でももう少しこの時(食事の時間)を楽しみたくありませんか?」
空気が緊張している。全員が私の発言に注意する。
「つい……貴方がつれない事を言うので寂しくなってしまいましたの」
わざとらしく悲しい顔をして見せる。
使用人は二人きりの時の会話を知らない。
このままだと、ジャックが何を言ったのか、何をしたのか不信感が募る。
同じ土俵に来てもらいましょう。
それに、貴方にとっても、夫婦はラブラブ、という事を示しておく方が良いでしょう?
まぁ、誤解させた私が悪いのだけど。
「レイニー、そんな悲しい顔をしないで下さい。それに、不誠実な男性が嫌いだと言ったのは君でしょう?」
お互いにニコニコと笑う。
そんな事言った覚えはないけれど、随分と口がお上手なのね。
上手い返しに、このままだと退室できないなと焦る。
「ジャックとの時間が待ち遠しいわ」
「僕も同じことを思っているよ」
駄目だ。ここが限界。これ以上の失態は手に負えない。
もう奇跡が解ける。一刻の猶予も無い。仕方ない、奥の手だ。
「そうだわ、ジャックの為に贈り物を持ってまいりましたの」
「食事中の退出をお許し下さい、今お持ちしたいのです。すぐ戻りますわ」
ジャックが何か声をかけたそうにしていたが、速足に席を立ち、部屋を後にした。
会話で退室を望んだから何も言わないでくれたのだろう。
そういうところは気が利く。
廊下に出て速足で自室に戻る。
丁度扉を閉めた所で髪色が戻った。
危なかった。本当にギリギリだった。
奇跡の効果が切れたため、左腕の痛みもなくなった。
今度は問題なく髪留めを付ける。
不本意だが小さな黒い箱を持って、食堂に戻る。
「お待たせ致しました、ジャック、こちらを受け取ってくださいませ」
ジャックの傍に行き、小さい黒箱を渡す。
近くで見るジャックはとても美しかった。
全てを見透かすその黒い瞳も、さらさらと流れる黒い髪も。
整った顔立ちもさることながら、長い指も、所作も、魅力的なところばかりが目についた。
これは令嬢がこぞって惚れるのも良く分かるわ。
「ありがとうございます。中を見てもいいですか?」
「はい。ジャックに似合うと思います」
箱の中からはアンティークな懐中時計が出てくる。
丹精込めた魔道具だ。気に入ってくれなくても、身に着けてくれるだけでいい。
「とても美しいですね」
「お父様に選んでいただきましたの。少し特殊ですので、毎日持ち歩いて下さいね」
「ありがとうございます。レイ二ーがそう言うのなら、毎日持ち歩きますね」
お互いに笑い合う。
席に戻ろうとした時、ジャックに腕を引っ張られた。
反射的に弾こうとしてしまうのを抑える。
なすがままに引き寄せられ、そうして耳元で囁かれる。
「あんまりおいたをすると、お仕置きするよ?」
甘い声と吐息が耳をくすぐる。
咄嗟に耳を手で覆う。
「なっ……!」
ジャックはニコニコと笑っていた。何も言えなかった。
「レイニーはとても可愛らしいですね」
「っ……!」
顔がみるみる赤くなる。体も熱くなって、心臓がドクンドクンと速く鳴った。
何、なんなの、なんなのよっ……!
「さ、席に戻って、食事の続きをしましょう」
「そ、そうですわね」
レイニーは小さい頃から暗殺の英才教育を受けている。
任務で過去、男性との接触経験はもちろんある。
手をつなぐ、キスをする、激しめのスキンシップだって経験はある。
ただ、それはあくまで仕事である。仕事として、必要であれば割り切る事が出来るはずである。
しかし、今現状、彼女は酷く曖昧なまま任務に就いている。
そんな、ほぼ恋愛経験のない彼女自身が受けたそれは、素の反応が出てしまう。
誰もが経験したことなければ、それに翻弄されてしまう様に、彼女もまた、それに翻弄されてしまうのだ。
まして、その好意の意図が分からなければ尚更である。
深呼吸して、乱れた心を落ち着ける。
平常心を装い、その後の食事を楽しんだ。
冷めないその熱に、少しだけドキドキを残して。
食事の時間が終わり、自室に戻って、ベッドにダイブしてやっと落ち着いた。