EP:53
……?
ジャックの言葉が理解できず、思考が停止した。
「……えっと?」
「あ、いや……ご褒美は、その……返事が欲しくて」
「……はい?」
「“結婚してくれ”だと、レイニーの意思とは関係なくなってしまうから……。
君の“返事”を、ご褒美としたい」
真剣な眼差しでそう告げられても、理解が及ばない。
……何を言ってるの?
「……できれば、もう少し説明していただけますか」
私たちは、すでに結婚しているよね?
疑問が、この先から進まない。
「……最初、君は契約によってここへ連れて来られた。
強制的に、俺の“妻”として」
「あの時、君は、既に俺たちが結婚している事を知らなかった。
そこに、君の意思は無かったのだろう」
「……そうですね。何も知りませんでした」
「それから君が誘拐されて、俺は君の正体を知って……俺ばかり、気持ちを押し付けた」
「……そんなこと、なかったと思いますよ?」
「そう……だったなら嬉しい。
少なくとも、君はそれを拒まず、受け入れてくれた」
「あの時間が、忘れられないくらいに、俺の全てを満たしてくれた。
言葉で表せないほど、幸せだった。
短い時間だったけれど、本当に、俺の全てだった」
「だから、君が俺の元を去ってから、絶望しか残らなかった。
でも同時に、何度も思った――。
"最初から俺の妻じゃない"、"赤の他人だ"、と」
……それは、あまりに冷たい考え方だと思う。
だけど、確かに、私たちは契約に縛られているだけの、他人。
そう言われても、何も否定できない。
「今、帰ってきてくれて、共に過ごせる現実が、夢のようで」
「……ずっと目を背けていた。
俺たちの距離は「初めまして」から何一つ変わっていない、という事実から」
言葉を選びながら、噛みしめるように、ジャックは続けた。
「浸りすぎてしまった。
夢の様な現実に、縋ってしまった。
あまりにも、幸せすぎて」
「契約から始まった仮面夫婦でも"形式上の妻"なのだから。
その事実が、考えが、俺を離さなかった」
……知らなかった。
知ってなお、何も言えなかった。
誰もが、"夢"を見たいのだから。
「だから……何よりも大切な、レイニーの気持ちから……目を背けていた」
「ずっと、俺は自分の事ばかりで……
君の意思を、初めて会った時から聞けないでいた」
「君が不安になるのも当然だ。
……もっと早く、向き合うべきだった」
確かな意思で、伝えてくれた言葉は、ジャックの懺悔だった。
私はただ、静かにその言葉を受け止める。
何も、言えなかった。
いつから、本当にいつから、そんなことを思っていたのだろう――。
ジャックは一息ついて、それから私の腰を抱き寄せ、真っ直ぐに言葉を告げた。
「レイニー。最初は契約の関係だった」
「けれど今は、その契約も失われて、もはや“他人”と呼ばれても仕方がない」
「俺はずっと、ずっと君を探していて、君に会えて、嬉しくて、大切な事から目を背けていた」
「その機会を、今、欲しい」
ジャックの目は、まっすぐ私を見つめていた。
その瞳に射抜かれて、私は息を飲む。
腕にこもる緊張。
震えるような、強い意思。
「レイニー。俺は、君が好きだ」
「……最初は、確かに憧れだった。
記憶の中の君は、神のような存在だったから」
「けれど、君の正体を知って、会って、触れて、確信した。
あの時からずっと、俺は君に恋をしていたのだと」
「何年越しの片想いだろう。俺の人生の半分以上は、君で埋まっている」
「そんな俺の願いは、レイニーが幸せであることだ」
「……だから、形だけの夫婦は、ここで終わりにしたい」
「……俺に、言い出せないことも多いだろう。
だから、この解答でもって、答えを聞きたい。
嘘偽りない、レイニーの気持ちを教えて欲しい」
「レイニーの意思で、俺と、結婚してほしい」
その言葉は、まっすぐに私の心に届いた。
ジャックの、真剣な気持ちを聞いたのは……
それから弱気な部分を見せてくれたのは、初めてかもしれない。
ジャックの発言は、客観的に見たら理解できた。
ジャックに目線に立っても、理解できなくもない。
でも、だから、少しだけ、私はジャックに怒る。
だって。
もうずっと、ずっと伝えてるつもりだった。
ずっと、私の気持ちを伝えてきたのに。
何も、伝わっていなかったのかと、少しだけ悲しかった。
けれど。
ジャックには思うところがあったのだろう。
そのすべては分からないけれど、ジャックは私を想い、悩んでくれていた。
ずっと、見て見ぬふりもできたのに。
私の意思を、尊重してくれる。
初めから、出会いから、間違っていた。
それを、正すように。
「結婚してほしい」の言葉は、「初めからやり直したい」に聞こえて。
愛を、感じて。
私の返事を待つジャックは、落ち着かない様子だった。
「“嘘偽りなく答えてほしい”……それが、ご褒美ですか?」
「あぁ」
これが、くすぐったい、という事か。
もどかしい、かもしれない。
違う。きっと、幸せって事。
「そうですね……よく考えたら私達出会う前から夫婦でしたね」
「……そうだな」
「確かに、私の意思と関係無く、契約の一環として“妻”であること受け入れました」
「……あぁ」
「初対面では随分な言われようで」
「……申し訳ない」
「それから随分と冷たい対応で」
「……色々と……あって……」
「私ばかりが、ジャックの機嫌を伺っていた気がします」
「……すまない」
「できる限り尽くしたつもりでしたけど、まともな夫婦生活も出来なくて」
「……っ……ぐ……」
「無謀なお願いで勉強ばかり、お出かけも悲惨な結果で」
「……うっ……」
「挙句には、“信用していない”とまで言われました」
「……も、申し訳ない……」
「ふふ。よく考えたら、ジャックって、とんでもなく酷い男ですね」
「……」
ジャックの声がどんどん小さくなり、ついには聞こえなくなった。
「だから、私の意思で、返事をさせてもらいます」
私の言葉に、ジャックが覚悟を決めた様な顔をした。
私はふっと微笑んで、ジャックの手を取った。
その手は少しだけ震えていたけれど、しっかりと握り返してくれた。
「私は、ジャックが好きです」
「そして——私の"意思"で、あなたと結婚します」
ジャックの瞳が、大きく揺れた。
次の瞬間、ジャックは感情を抑えきれないように、私を強く抱きしめた。
「あぁ……」
漏れ出た声と、確かな腕に包まれて、それから鼓動を感じて。
「嬉しい……良かった……本当に……ありがとう、レイニー」
抱きしめる腕に力がこもる。
ジャックは本当に嬉しそうで、私も嬉しくなった。
「……こちらこそ。
あ、でも、後悔しないで下さいね?」
「後悔?」
それはララに言われた言葉。
私が少しだけ悪戯っぽく口にすると、ジャックは一拍置いて、すぐに応じてくれた。
「私、欠陥品らしいですよ?」
「……それは、お互い様だろう」
見つめ合ったその瞳に、互いの痛みと、愛おしさを映して。
私たちはそっと微笑み合った。
複雑な歯車がやっと噛み合えば、二人の時間が進みだす。
そこに最初の様な契約は無くて、お互いの思惑も無い。
皇帝陛下から解放された、壊れた道具。
希望と絶望を繰り返した、狂信の公爵。
そんな二人が織りなす物語――。
未来は……いえ、未来を語るのはやめておきましょう。
ただ、足元に目を向ければ、二人に地盤は既に崩壊寸前である事に気が付くでしょう。
なぜなら、二人はお互いの事を、"何も知らない"のだから。
それが悲しくも、そして美しいと、思うのです――。
これで一時完結とします。
まだまだ要素は沢山ありますが、別の作品も描きたいのでお休みします。
綺麗に終われたのでそれも良かったなと思います。
ここまで閲覧頂いた全ての方に感謝を。
本当にありがとうございました。
全ての評価で私のモチベーションが保たれました。
良ければ感想聞かせてください。
後日談に関しては追記する予定ですが、物語が進むと言うより、この先の二人の世界をただただ書くだけとなりそうです。
第二幕がスタート可能性も多少あります。
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最後になりますが、私の読みたい作品とは少しズレてしまい、そこだけが残念でした。
もっと二人の絡みを書きたかったのですが……。
話しを作るのって難しいですね。
作品を書き切ったのが始めてたので、つたない部分も多かったと思います。
それでも作品を追ってくれた皆様に最後まで感謝しています。
ありがとうございました。
AMM




