EP:50
ジャックは、私が口を開くのを、ただ静かに待ってくれていた。
当たり前のように、私の傍にいて。
何も言わず、ただ私の気持ちに寄り添ってくれる。
……そうしてくれることを知っていて。
それに、甘えて。
私は、私は――。
「……私が、なぜ“殺し合い”を望んだか、わかりますか?」
「いや……でも、俺を見て泣いていたから。きっと、俺が何かしてしまったのだと思った」
「ええ、そうですね。ジャックのせいです」
「……!! ごめん、本当に。何が悪かったか分からないけれど……謝る。許してほしい」
それは、真剣そのものの懇願だった。
ふふ。可愛い人。
「そうですね、ジャックなんて――もう知りません」
そう言ってふいっとそっぽを向けば、ジャックは慌てて私の前に回り込み、縋るような眼差しで、哀願するように言った。
「……わかった、ご褒美を使う。だから許してくれ、お願いだっ!」
その言葉に、その必死な仕草に、もう我慢できなくなって、私は声を上げて笑ってしまった。
「ふふ……っははは!」
笑う私を見て、ジャックは大丈夫なのか…?と、首をかしげた。
「冗談ですよ。いえ、冗談ではないのですが、怒ってはいません」
「ほんとに?まだ俺のこと好き?」
「はい、ちゃんと好きです」
私の答えに、ジャックはほっとした顔をして、そっと私を抱きしめた。
その腕の温もりに、心がじんわりと安らぐ。
そして私は、静かに言葉を紡ぎ始めた。
「私、今……とても幸せです。心から、そう言えます」
「そう思わせてくれたのは、ジャックがくれた「すき」の気持ちが大きいのです」
「だから、私がこんなに幸せだと感じられるのは、ジャックのせいです」
そして、ほんの少し間を置いて、そっと付け加える。
「幸せで、少し、幸せすぎたのです」
「だから、怖かったのです」
ジャックは、何も言わず、ただ私の言葉を受け止めてくれていた。
「この幸せを失ったら、なんて、そんなことは考えていません」
「私はこの先、どんな未来でも、自分で選んだ道を歩めることに、幸せを感じるでしょう」
「それは、人が持つ当たり前だったかもしれませんが、私にとっては与えられたモノ、ですから」
「あるいは、自由に対する感謝かもしれません」
「……では、何が、怖かったんだ?」
私は、ジャックの目を見つめながら、微笑んだ。
「私は――私の“過去”が、消えてしまうようで、怖かったのです」
「私の人生が、とても虚無に思えてしまったのです」
「暗殺者として、私の人生を捧げました。そこに、私は後悔してません」
「私は、今までの人生も、満ち足りていました」
「お父様がいて、お母さまがいて、アメリアがいて、皇帝陛下がいて、命令があって、他にもたくさん」
「私は、その全てが、大切な思い出なのです」
「たとえ、たとえ「好き」を知らなかったとしても、私は、私は満ち足りていたのです」
ぽろりと、涙が頬を伝った。
――あぁ、そうか。
私、本当に……怖かったのか。
「なのに、それが、いままでが霞むくらい、今が幸せで、怖かったのです」
「まるで、その全てが、なくなっていくようで」
「私のすべてだったものが、なくなっていくようで」
「人生そのものが、否定されていくようで」
「ただ、ただ、怖かったのです」
涙が、止まらなかった。
「だから、ジャックと殺し合いがしたかった」
「私は、私自身を、否定したくなかった」
「私は、暗殺者として、最後は、上手くいかなったかもしれない……でも、それでも、その人生を、否定したくなかった」
「私は、暗殺者として、自信を持っていたし、暗殺者として、この一生を過ごしました」
「それを、確かめたかったし」
「ジャックに、知ってほしかった」
「私にも、私の過去があるんだって」
正直、何言ってるかわからなかった。
言葉にしてみれば、当たり前すぎて、どこか滑稽にさえ思える。
けれど、それでも、それが私の“本当の気持ち”だった。
ジャックは、ただ私を抱きしめ、優しい声で囁いた。
「……うん。レイニーは、ここにいるよ。
暗殺者のレイニーも、ただの俺の妻のレイニーも、ちゃんとここにいるよ」
私も、ジャックになんて言ってほしいかわからない。
私の伝えたいことがなんなのかも、よくわかってない。
誰も、私のことを責めていないし、否定していない。
ただ、そう感じてしまっただけ。
過去の私がなくなることなんて、ないのに。
なぜそう感じてしまったのかも、よくわからないのに。
それでも、止まらない涙が、わたしの心を表していて。
それを、ただ静かに、じっと、ジャックが受け止めてくれた。




