EP:46
修正:2025/06/18 DONE
修正:2025/06/24 DONE
とてつもない緊張が、場を支配していた。
目の前には、この帝国の絶対たる存在、皇帝陛下が御君臨あそばされている。
その威容は、ただそこに在すだけで、息を呑ませるに足る。
重く、おごそかで、容赦のない圧が空気を歪めていた。
私たちは、ひれ伏した。
隣には、ジャック。
後方には、「ララ」が控えている。
そして私は、震える唇に力を込め、声を発した。
「陛下、このような謁見の機会を賜り、誠に……」
「建前は不要だ。何用か」
その声音は低く、だが確かな重みをもっていた。
声音、姿、纏う空気、そのすべてが、畏怖と服従を強いる。
膝が震え、心臓は早鐘のように鳴っていた。
「……恐れながら陛下、私の身分を、ご返上させていただきたく、お願いに上がりました」
「ならぬ」
取りつく島もなく、静かに、拒絶される。
私は、膝をついたまま深く頭を垂れ、言葉を発する。
「……私は、任務に失敗いたしました」
かすれるような声で、それでも慎重に。
「シャーロン家全員の暗殺、その任を…………遂行できませんでした」
静寂。息を呑む気配すら、場から消える。
焦燥、緊張、恐怖。
陛下は、お怒りだろうか――。
任務の失敗は、許されていない。
やがて、陛下は静かに口を開かれた。
「……何故だ」
ここで答えを誤れば、おそらく、私の命運は尽きる。
慎重に、されど本心から、言葉を選ぶ。
「……生きたいと、思ったからにございます」
それは、私が初めて陛下に示す、私という存在の意思。
ジャックが教えてくれた、人として、誰かと共に生きたいと願う心。
陛下の表情は動かない。
声音にも、変化はない。
まるで、その返答を予期していたかのような、静けさがあった。
「其方、我の命に背くというのか」
「……いいえ、陛下。私は、陛下にこの身を捧げ、絶対の忠誠を誓っております。
それは、いささかも揺らいでおりません。
されど……命じられた任を、忠実に果たすことが、私には叶いませんでした。
陛下のご期待に添うことが、叶わなかったのです」
それは、今までの私からは考えられない。
私の言葉を聞いて、陛下は何を思うのだろう。
「任務を果たせぬ者に、存在価値など無い。
それは、其方の望む『生きたい』という意思と、矛盾するものではないか」
それは、私自身が自らに投げかけた問い。
私は、既にその答えを知っている。
「陛下、僭越ながら申し上げます。
存在価値と、生きたいという願いは、同一ではございません。
存在価値は、他者の評価により与えられるものであり、私はそれに執着いたしません。
私に存在価値が無くとも、ただ、私の意思として、生きたいと、そう思うのです」
その瞬間、空気が変わった。
陛下の視線が鋭くなり、静かに、敵意を感じさせる。
圧が、皮膚を刺す。
汗が背を伝い落ちる。
圧倒的な場の支配力に、心が折れそうになる。
「……我の評価すら不要と申すか。──その豪胆さ、聊か気に障る」
「そのようなつもりではございませんでした、陛下。
無礼な物言い、深くお詫び申し上げます。
――私はすでに、任務の失敗により存在価値を失っております。
それでもなお、生きたいと願う、それが、今の私のすべてでございます」
威圧感に押されながらも、私は慎重に言葉を選んだ。
陛下に仇なす意思はないと、誠意を示すように。
「……其方の大切な者を人質としよう。任務の失敗に対する代償として、その命を頂く」
心臓が跳ね上がる。
陛下は、冗談を仰る御方ではない。
即時に実行されうると、私はよく知っている。
「恐れながら陛下、私は命を奪う者。人の命の価値は、測りかねております」
「では、その隣の男はどうだ。共に生きたいのだろう?」
「彼は、陛下の悲願を実現する可能性を有する者にございます」
その一言に、空気が再び変化した。
沈黙の中に、明らかな警戒が混ざる。
「……其方、それを知っているのか」
「私は、その可能性を知っているのみ。根本までは存じ上げません。
ただ、申し上げます。彼を尋問することは不可能でしょう。
私が──彼を護ります」
私が護る。
その意味を、陛下も理解されているはずだ。
「……そうか。では……後ろの者はどうだ?」
「……ご存じの通り、利用価値は十分にございます。更に申し上げれば……他の者と変わりありません」
私は、そのように作られた。
私の言葉が本心であると、陛下にはきっと伝わるだろう。
「では其方を殺そう。我が命に背けし者を、放置してはおけぬ」
「陛下、私は陛下に仇なす者ではございません。
ゆえに、陛下の脅威とはならぬでしょう。
そして、ジャックは私にだけ、その可能性を示しております」
「……其方を殺し、尋問でもすればよいか?」
「私は、死しても彼を護りましょう。
更に申し上げますと、彼もまた、私の後を追う可能性がございます。
ジャックが生きている限り、奇跡の干渉は不可能。
死後の記憶を読まれようとも、そこには辿り着けぬよう私が封じます」
息を整え、顔を上げる。
「私は陛下に、絶対の忠誠を誓っております。
陛下の悲願を成す可能性を、私が現実のものといたしましょう。
ご命令下されば、私はその任を遂行いたします。
それは存在価値ではなく、恩義を返す機会として」
陛下は、沈黙のまま私を見つめておられた。
その御目は、私の心の内を見通すように、全ての思惑が見透かされているような錯覚を覚える。
高鳴る心臓を抑え、それから、しっかりとした声で、陛下に伝える。
「──もし、願いを言葉にさせて頂けるのであれば」
「ジャックと共に、生きたい。それだけにございます」
陛下はしばし考えるような素振りを見せ、それから言葉を紡がれた。
「……良い。レイニーよ、其方の身分を返上することを許そう」
「──有難き、幸せにございます」
「それから、ララよ。其方の人生も返上しよう」
「──仰せのままに」
「契約も破棄する。其方らは既に夫婦であるが、離縁を望むのであれば、それも許そう」
「陛下、私は、レイニーと共に生きる道を選びます」
「陛下、私もまた、ジャックと共に人生を生きたいと存じます」
陛下は静かに頷かれた。
その御顔には、どこか諦めにも似た、穏やかな色が差していた。
「レイニーよ、其方に命を与える。余の為、悲願の実現に尽力せよ」
「承知しております、陛下。今までのご恩に報いて、必ずやお応えして参ります」
「良い。其方の人生を謳歌せよ」
「──身に余る、光栄に存じます」
その声音は、諦念にも似て、どこか優しさに満ちていた。
──陛下は、お優しい。
私の言葉に、意味などなかったのかもしれない。
ただ、私のために、この場を設けてくださった。
今は、そう思う――。




