EP:【???視点】
2025/06/24
お姉さまは、天才だった。
お姉さまは素直で、いわばとても「良い子」だった。
そして、お姉さまは「欠陥品」になった。
その様に、育てられてしまった。
お姉さまは悪くない。
もともとは、そんなことなかったのに。
なのに。
お姉さまは要領が悪かった。
もっと言えば、驚くほど純粋で、無垢だった。
お姉さまを構成するすべてが「大人たちの都合」だった。
だから、お姉さまは「欠陥品」として作られてしまった。
その方が「都合がよかった」から。
そうして、お姉さまは「完成」してしまった。
私は、お姉さまのような天才ではなかった。
なにかに特化した才能もなければ、奇跡を自在に扱う力も持たなかった。
お姉さまは分かっていなかったけれど、普通、適性のない奇跡は発動できない。
苦手、ではない。「できない」のだ。
構築式を知っていても、魔力がそれを拒み、描くことすらできない。
それでも、お姉さまは、すべての奇跡を発動できた。
たとえ時間がかかろうと、発動出来るということ自体が、規格外だった。
それはほぼ奇跡に近しかった。
私は、そんな才には恵まれなかった。
できることといえば、動植物との相性が良い程度。
たとえば、森と一体化し気配を消すこと。
たとえば、動物に簡単な命令を下すこと。
けれど、それすら莫大な魔力を消費し、一日に何度もは使えない。
それでも一般的には「充分に使える」部類だ。
だが、お姉さまと比べてしまえば「落ちこぼれ」と言われても仕方がない。
お姉さまは、あまりにも、規格外だったから。
お姉さまは養子に出された。
誰もが、お姉さまに期待した。
皇帝陛下とて、例外ではなかった。
久しぶりに会ったお姉さまは、私を覚えていなかった。
「初めまして」と、微笑むお姉さまに、背筋が凍った。
「お姉さま……?」と震える声で呼びかければ、「慕ってくれて嬉しい」と笑ってくれた。
「レイニー、行くよ」
お姉さまの“お父様”は私を一瞥しただけで、何も言わずに、お姉さまを連れていった。
今なら、はっきり分かる。
――お姉さまの構築に、私は「不要」だったのだと。
あの時は、ただ寂しかった。
けれど、お姉さまは天才だったから。
私は、きっと大きな使命を背負っているのだろうと思っていた。
一緒に遊んでくれなくても。
私の名前を呼んでくれなくても。
それでも、私にとってお姉さまは、たった一人のお姉さまだった。
怪我して泣いた私に、「大丈夫」と言って、おんぶしてくれた。
あの時のぬくもりを、私は覚えている。
当時、大人たちが何をしていたのか、私は知らなかった。
けれど、会うたびに、お姉さまは少しずつ変わっていった。
そして、ある時。
私は、お姉さまを自分の「奇跡の師」に指名した。
強引だったと思う。
「私が妹であることを誰にも言わないでほしければ、要望を叶えてほしい」と迫った。
皇帝陛下はしばし沈黙し――
やがて、それを許可した。
ただし、ひとつ条件があった。
「“あれ”が其方のことを思い出したら、“あれ”を処分する」
冷酷な声音だった。
私はその条件を呑んだ。
お姉さまは、私の師になった。
けれど、私が失敗しても、もう昔のようには心配してくれなかった。
「大丈夫?」と声はかける。
でも、その声音に、心は宿っていなかった。
どうでもよい、そんな風に。
「陛下の命令だから、ここにいるだけです」そう言いたげだった。
変わっていくお姉さまを、私は止めることができなかった。
お姉さまが何をして、何をさせられているのかも知らない。
それでも、「完璧な欠陥品」に作り上げられてゆくお姉さまを見て、私はどうしようもない喪失感に襲われた。
十五の頃、お姉さまと同じ学園に通うことになった。
師としての教授が終わってからは、顔を合わせることもなかったから、久しぶりに会えることに、胸を躍らせた。
けれど。
そこにいたお姉さまは、完成していた。
誰が見ても、完璧だった。
だからこそ、私は確信した。
――もう、お姉さまはいないのだと。
自然と涙が溢れた。
お姉さまが何をしているのか、私は知らなかった。
でも、もし何かがあった時、頼ってもらえる人間でありたいと思っていた。
それは、ずっと変わらない私の願いだった。
そして――
お姉さまに頼られる機会があった。
「任務を手伝ってほしい」と言われたとき、心が跳ねた。
けれど、その期待はすぐに絶望へと変わる。
お姉さまが「暗殺者」であることを、私は知ってしまった。
「人を殺す」――その洗脳は、常軌を逸していた。
知りたくなかった。
お姉さまが、人を殺す存在であるなんて――。
そのために「欠陥品」にされたなんて――。
その事実が、辛くてたまらなかった。
お姉さまが当然のように命を奪う姿を見て、心が張り裂けそうだった。
もっと、普通の人生を歩めたはずなのに。
それが「当たり前」の生活として与えられ、
それを、お姉さま自身が「受け入れた」ことが、何よりも苦しかった。
私は、お姉さまの代わりに泣いた。大声で、泣いた。
お姉さまは困惑しながら、懸命になだめてくれた。
「ごめんね、ごめんね」と、抱きしめてくれた。
私はその腕のなかで、あの日のお姉さまの面影を感じ、さらに泣いた。
「報酬は何でもいいから」と、励ましてくれた。
私は、報酬として――お姉さまを元に戻そうとした。
無理だと分かっていたのに。
今思えば、それはとても浅はかだったと、反省している。
それから、私たちは互いに干渉しなくなった。
月日が流れた。
私のもとにお姉さまから手紙が届いた。
『故に光とならん。我、寵愛の求める先、汝の求める礎となろう』
(ワイルズ公爵家当主の護衛を依頼したい、報酬は望むままに)
お姉さまの久しぶりのお手紙は、暗殺のお手伝いではなかった。
お姉さまとワイルズ様の関係はそのとき知らなかったけれど、私はすぐに情報を集め、準備を整えた。
護衛は、私の得意とする分野だった。
能力は隠密に優れ、急襲にも対応できる。
護衛は、予想よりも簡単に終わった。
それほどの危険は、初めからなかったのだろう。
お姉さまが動けない。
だからこそ、私に依頼したのだと気づいた。
頼られたことが、嬉しかった。
次の報酬は、デートにでも誘ってみようか。そんなことを考えていた。
けれど――
ワイルズ様が遠征から戻る途中、愛鳥が急報をもたらした。
お姉さまが、何者かに攫われた――
そんな、ありえない報せに、私は愕然とした。
あの人が、誘拐される?
そんな未来は想像したことすらなかった。
だからこそ、お姉さまがその力を封じられていると即座に判断した。
危険だった。
情報によれば、すでにお姉さまとワイルズ様は結婚しているらしい。
理由は分からなかったけれど、夫である彼なら、きっと助けに行くと信じた。
私は矢文を放ち、知らせた。
ワイルズ様は、すぐに応じてくれた。
その行動に、私は救われた。
だが、その後の動きはなかった。
何が起こっているのか、分からなかった。
私の奇跡はそう何度も使えない。
でも、あの時のワイルズ様の行動を見たから、信じて待った。
なんとかしてくれると、信じた。
お姉さまが選んだ人なのだから。
植物に訊ねたところ、お姉さまは北へ向かったという。
自分の限界を感じて、出来る調査は限られた。
でも、行き先さえ分かれば、私なら追える。
あとは、ワイルズ様が動いてくれるのを待つだけ。
私が助けるのは、得策ではない。
私が助けていいのなら、皇帝陛下がすでに動いているはずだ。
この事件に奇跡の使用許可が下りていれば、それは容易い。
だから、私が出る幕は無い。
でも、ワイルズ様が助けに行くのなら、その手助けくらいはしてもいいはずだ。
私は、静かに、しかし切実に祈るような気持ちで、待ち続けた。
ワイルズ様が再び動き出したとき、辺りはすっかり夜だった。
無我夢中で駆ける彼に、目的地はないように見えた。
私はすぐに手紙をしたため、子どもに託して届けさせた。
そして、奇跡を使い、植物たちに居場所を尋ねた。
何度の奇跡の使用で、すでに限界は近い。
けれど、私は導く。
どうか――
お姉さまを、どうかお願いします。
その後、これ以上は無理だと判断し、急ぎ帰宅した。
久しぶりの過剰使用による強い倦怠感が残り、しばらくは体力の回復に努めることとなった。
数日後、皇帝陛下より直々の招集が下された。
――お姉さまは、どうなったのだろう。
そのことを知りたくて、私はすぐさま王城へ向かった。
話は、私の予想を遥かに上回っていた。
「"アレ"の“代わり”となれ」
そう告げられたのだ。
さらに話を聞けば、お姉さまは「公爵様の妻となり、護衛する」という任務に就いているという。
そして私は、その“代わり”を務めよと命じられた。
……。
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
まさか――。
「お姉さまは……ご無事ではないのですか?」
私の問いに、陛下は深く息を吐き、「問題はない」と答えられた。
でもその声は、まるで別の何かを呑み込んでいるように感じられて。
私は察してしまった。
「無事」ではあっても、陛下の中で、お姉さまは“良くない結果になった”のだと。
けれど、それでも――
お姉さまが“生きている”ことに、何より安堵した。
なぜ、私なのか。
そう問うのは、愚問だろう。
“代わり”が務まる者など、私以外にいない。
そして、私も、皇帝陛下に絶対の忠誠を誓う者。
【皇帝陛下を裏切らない】
【皇帝陛下にその人生を捧げる】
【任務の遂行こそ、存在価値】
けれど私は、お姉さまほど、そのように育てられてはいない。
皇帝陛下に命を捧げながらも、私は私の人生を歩みたいと思っている。
自分の意志や希望を、条件として陛下に伝える自由が、私にはある。
任務の遂行“だけ”が、私の存在理由ではない。
お姉さまほどには、縛られていない。
けれど、それでも――
皇帝陛下が「命じる」のならば、私はそれに逆らえない。
命じられた任務を、必ず遂行せねばならない。
私は、お姉さまの代わりとして、公爵様の妻となり、その身を護るのだ。
……それでも、どうしても、確認しておかねばならなかった。
「お姉さまは、どうなるのでしょうか?」
私の問いに、答えはなかった。
「お姉さまの身の保証をしてください。さもなくば、この任務はお引き受けできません」
しばしの沈黙の後、陛下は短く告げた。
「……“あれ”次第だ」
それならば、問題はない。
お姉さまは、既に完成されている存在なのだから。
私は、お姉さまの“代わり”となった。
高度な魔道具を装着し、文字通り「お姉さま」になった。
お姉さまとしてその身分を受け継ぎ、その人生を歩むこととなった。
抵抗がなかったわけではない。
元の私は、どうなるのか。
私自身の人生は、どこへ消えてしまうのか。
けれど、皇帝陛下がそう定めたのならば、私はそれに従わねばならない。
私達にとって、皇帝陛下が絶対な事に変わりは無いのだ。
ワイルズ様――いいえ、公爵様は、混乱しておられた。
お姉さまの手を取り、すがるようなその姿に、胸が痛んだ。
私は、お姉さまの姿をしていても、お姉さまではない。
この異常な状態は、すべてが、間違っている。
何ひとつ、解決してはいない。
けれど、陛下はこの契約を破棄なさらぬだろう。
公爵様という存在は、“イレギュラー”なのだから。
私は理解している。
陛下のご意図も、そして私の役割も。
公爵様の私に対する態度は、冷淡だった。
まるで、まったくの他人のように。
構わない。
私も、公爵様も、互いに何も望んではいないのだから。
皇帝陛下が恐れているのはただ一つ。
公爵様がその力をもって、帝に仇なすことがないかどうか。
それが、最優先されるべき懸念事項。
何故なら彼は後天的魔力保持者。
私達の様に、作られていない。
その様に作られていない者が力を持った時、それは何よりも警戒せねばならない。
私は、妻になるためでも、護衛のためでもない。
ただ、公爵様を“監視”する者。
妻という立場も、都合がよいだけ。
お姉さまは、きっと“妻になる”努力をなさったのだろう。
それはそれで、正しいと思う。
けれど、やはりお姉さまは、少し要領が悪いのだ。
私は、できる限りお姉さまの後をそのまま引き継いだ。
アンクライトの一件も、ウェディングドレスの選定も――
お姉さまの希望通りに。
それに対し、公爵様は何も咎めなかった。
おそらく、そんなことはどうでもよかったのかもしれない。
心はすべて、お姉さまに囚われていた。
私も、公爵様も、互いに干渉することなく、すべての行事を淡々とこなした。
そんな日々のなか――
ある日、公爵様が怒り狂った。
私の部屋に侵入し、私を罵倒した。
「お前のせいで……レイニーが、死んだ!」
涙を流しながら、言葉をぶつけてくる。
私はそれを、静かに受け止めた。
哀れで、可哀想な方だと思った。
たった数か月。
お姉さまと共に過ごした、それだけのことで――
これほどまでに人を愛せるものなのか、と。
……流石、お姉さまだ。
お姉さまが“死ぬ”など、恐らくあり得ない。
あのお姉さまが、命を落とすなど――。
そう思ってはいるが、私は真実を告げなかった。
誰に聞いたかは知らない。
だが、教える必要もない。
彼は、公爵様なのだから。
お姉さまを忘れ、新たな人生を歩んでいただきたい。
たとえこの契約が破棄されずとも、貴方は寵愛を向ける先を作っていい。
お姉さまに捕らわれなくていい。
貴方を求める女性は多いのだから。
憎しみと、愛情の入り混じる言葉を吐きながら、涙を流すその人を、私は静かに見つめ続けた。
やがて、公爵様は落ち着きを取り戻し、私の前で深く頭を下げた。
「……取り乱して、すまない。君は……何も悪くない」
「冷静さを欠いていた。不快にさせただろう……本当に、申し訳ない」
その姿に、私は驚いた。
だからこそ、私もまた、敬意を示した。
彼の言葉を受け止め、私はただ黙って見つめ返した。
私は「お姉さま」ではない。
だから、何も言わなかった。
沈黙をもって、彼に寄り添った。
それ以降、公爵様は時折、私の部屋を訪れては、ただ黙って私を見つめるようになった。
言葉もなく、この姿を見に来るだけ。
そのたびに私は思う。
なんと哀れな、可哀想な方なのだろうと。
そして同時に――
お姉さまが、どれほど深く、この方の心に入り込んだのかを思い知った。
そうして一年以上が過ぎた。
私は“公爵家の人間”として、それらしい振る舞いを覚えた。
ただ同棲しているだけ。
そう表すのが最も正確な、この奇妙な生活にも慣れていった。
季節に似つかわしくない、異様に冷え込んだ夜だった。
公爵様と夜を共にすることはない。
夫婦の寝室にて、一人、肌寒さを感じながら床に就いていた。
突然、脳裏に響く植物たちの声。
「侵入者! 侵入者! 危ない! 危険!」
その警告に、跳ね起きた。
ただの訪問者ではない。
植物たちの驚き様が、それを教えていた。
公爵様は、おそらく書斎かご自室。
護らねば――。
そう思って動こうとしたその瞬間。
バルコニーから、控えめな「コン」という音。
……その仕草に、誰であるか、なんとなく察しがついた。
ゆっくりとカーテンを開く。
そこにいたのは――仮面をつけた人物。
赤い短髪が、夜風に揺れていた。
お姉さま――。
その姿を目にして、私は安堵した。
やはり、生きていたのだ。
「何しに来たのか」
「なぜここにいるのか」
「なぜ“今”なのか」
「何があったのか」
何も分からない。けれど――
私は、その行動の意味を、朧げに理解した。
公爵様が、お姉さましか見えていなかったように。
お姉さまもまた、公爵様を想っていたのだ。
中へ招き入れ、私が微笑むと、お姉さまは静かに「ありがとう」と言った。
公爵様のもとへ向かう背中は、ただ一人の男性を想う、年相応の女性のものだった。
“完璧な欠陥品”には、とても見えなかった。
私の役目は終わりか。
皇帝陛下は、このすべてを、どこまで想定しておられたのか。
私に与えられた任務は、お姉さまを、どうなさるおつもりなのだろう。
そのお心までは、私には分からない。




