EP:38
ジャックが語り終えると、私の手を握る力が、ほんのわずかに強くなった。
熱を孕んだまなざしが、まっすぐに私を射抜く。
「レイニー……」
許されるだろうか、と確かめるように、ゆっくりと、静かに、傍によってくる。
そして――
「待って」
私は反射的に、もう片方の手を差し出し、彼の動きを制する。
けれどジャックは、その手を包み込むように取り上げると、慈しむように唇を落とした。
その仕草に、そのまなざしに、その想いに、私は心をかき乱される。
思考が、追いつかない。
ほんの少しでいい、考える時間が欲しかった。
「ジャック……」
その声は、震えていたのかもしれない。
「来て」と告げたつもりはない。けれど、彼はゆるやかに距離を詰めてくる。
ベッドへと乗り上げ、静かに、確かに、私の隣へと近づいてくる。
待って、と心の中で叫んでも、声にはできなかった。
見つめ返すジャックの瞳に、心臓が高鳴り、胸が苦しいほどに締めつけられる。
ドクン、ドクンとうるさく脈打つ鼓動。
そして――彼の唇が触れそうなほど至近に来た瞬間、私は思わず目を閉じた。
そのとき――「コン、コン」と、控えめなノック音が部屋に響いた。
ジャックが頼んでいた食事が、届いたのだろう。
心の奥で、私は思った。「助かった」と。
ほっと息をついたその隙に、彼が何を思ったのか、ノックに応じようともしない。
私は戸惑い、「ジャック……?」と声をかける。
すると彼は、まるで子供のように悪戯っぽく微笑んだ。
私もつられるように、そっと笑みを返す。
そして――
拘束されていた手が解かれたかと思えば、今度は私の腰をしっかりと抱き寄せられる。
唇が重なる。
「……!」
思考が、一瞬で白くなる。
意図していなかった。抗う余地もなかった。
そのキスを、私はただ、受け入れるしかなかった。
彼の想いが、触れ合う熱が、この瞬間を甘く、甘美なモノに変える。
「…んぁ……」
蕩けるような時間が、緩やかに流れる。
やがて、ようやく唇が離れたかと思うと――
「もう、十分待った。……もう、我慢したくない」
低く、甘やかに囁かれる声に、心が震える。
再び唇が重なり、甘く、熱く、息もできないほどの情熱が注がれる。
唇が触れ合うたびに微かに響く音。
私を離してくれないジャックの熱が、どうしようもなく愛しくて、たまらなかった。
これが“好き”なのだろうか?
その意味は、まだわからない。
けれど――私は、確かに満たされていた。
再び、「コン、コン」とドアを叩く音。
二人の世界を壊そうとするその音に、ジャックの手にぐっと力が込められる。
「旦那様、奥様。お粥をお持ちいたしました」
ドアの向こうから、心配そうにメノールの声が聞こえた。
その声に、はっと我に返る。
「お願い」と、私はそっとジャックの胸を軽く叩く。
彼は明らかに不満げな顔をしながらも、渋々身体を離してくれた。
まるで拗ねた子犬のようなその表情に、ふと微笑みがこぼれる。
「メノール、入って大丈夫です」
私の声に応じて、扉が静かに開かれる。
お盆を抱えたメノールの顔には、いつになく感情の色がにじんでいた。
こんなにも、心配をかけてしまったか。
「奥様、お加減はいかがでしょうか」
「ええ。もうすっかり良くなったわ。ご心配をおかけして、ごめんなさい」
「他の皆にも伝えてちょうだい。私はもう大丈夫だって」
「食事は俺が食べさせる。下がってくれ」
まるで嫉妬しているかのような、そっけない口調。
私は思わず吹き出してしまった。
「ジャック、あまりメノールを困らせないで」
「困らせていない。レイニーの世話は俺がすると決めたんだ」
「お言葉ですが旦那様。執務はいかがなさいます? もう随分、滞っておられるかと」
「……そうだな。では、この部屋で仕事をしよう。書類を持ってきてくれ」
「奥様はまだご静養中です。それでは気が休まらないでしょう」
二人が真剣に言い合っている様子を初めて見た私は、思わず笑ってしまった。
微笑ましくて、心が温かくなる。
「メノール、もう少しだけ……ジャックと話をしていたいのです」
「……奥様がそう仰るのであれば。何かございましたら、すぐにお呼びください」
「ありがとう」
「何かあれば、俺が対応する」
すっかり“子供”に戻ったジャックに、思わず「いつもの仮面はどうしたの」と言いたくなる。
「失礼いたします」とメノールが退室したあと――
ジャックがそっと、私の手を取る。
「ジャック、食べさせてくださいますか?」
そう言うと、彼は「仕方ないな」と言いたげな顔をしながらも、丁寧に匙を運んでくれた。
私は、この後の事を考えた。
それは、正直明るい未来とは言えそうもない。
恐らく、ジャックにとっては最悪かもしれない。
だからこそ、今のこの時間に、甘えてもいいかなと思った。
きっと、この時間は、そう長く続かないから。
まだ少しだけ、もう少しだけ。
良く分からないまま、もう少しだけ、この時間を噛みしめたい――。




