EP:36
修正:2025/06/10 DONE
「君は……誰だ?」
その一言に、思わず身構える。
近くに凶器足りえるものが無い。
強いていえば、点滴の針くらいだ。
これでは――殺せない。
最悪を考える。
そもそも、ジャックを殺すことは出来ない。
黙らせるしか、方法は無い。
仮にもし、最悪の状況になるのであれば、私はジャックの想い人を盾にしなければならない。
例え、今後一切の信頼が無くなろうとも。
慎重に、言葉を選んで返した。
「誰、とは?」
空気が一気に張り詰める。
だが、ジャックから敵意は感じ取れない。
焦るな。慌てるな。
『常に冷静を装え』
何百と言われたそれを、実践する。
まるで理解できないように。
ジャック、何を言ってるの?
と問いかけるように。
沈黙を挟んで、ジャックが口を開いた。
「敵意を、向けないで欲しい。私は、あなたに対し、何もしない。どうか、信じてほしい」
……。
本気のようだった。
何?何が起こってる?
誰だ、とは、私が「私でない」と確信している?
何が起こってる?
分からない。
これは……逃げるべき状況なのか?
「ジャック、質問の意図が分かりませんわ」
正直、自分の考えの範疇を超えた。
声が、表情が、冷静を装うが、
隠しきれない、緊張感が残ってしまう。
「……そうですね。分かりました。では、別の質問をさせてください」
ジャックの声音は相変わらず穏やかで、動揺の色は見えなかった。
困惑しているのは、私だけか。
彼に、何が見えている?
私の何が、露見した?
再び沈黙。彼は言葉を選んでいる。
そして、柔らかく問いかけてきた。
その瞳に映るのは、私の赤髪――
「とても……素敵な髪色ですね」
その瞬間、反射的に戦闘態勢を取っていた。
ベッドの上に立ち、無詠唱で、氷の刃を生成した。
体の節々が痛み、奇跡の使用した影響で左腕がズキズキと傷んだ。
自らの正体が露見した可能性に、思考より先に体が反応してしまった。
視線を落とし、自分の髪を確認する。
──赤髪に戻っている。
そうか。魔力供給が絶たれ、魔道具の効力が切れたのだ。
魔道具の効果時間は1度の供給で精々1週間。
2週間も寝込めば、それは必然だ。
失態だ。
すぐさま魔力を指輪とピアスに流し込む。
髪はみるみる茶色へと戻っていく。
……背中の傷も、見られたかもしれない。
それでも、ジャックは微動だにしない。
私の殺気に触れても、ジャックの私の見る目は優しかった。
「あなたの、本来の髪の色は……赤、ですか?」
……答えない。
いや、答えるべきではない。
今は、あらゆる可能性に備えなければならない。
ジャックのこの行動の意味を、理解せねばならない。
何よりも──
皇帝陛下に害が及ぶ恐れがあるのなら、それは阻止しなければならない。
私の正体を用いて、陛下との取引を目論んでいるのか?
それは、阻止せねばならない。
ここで、ジャックを脅してでも。
「……ジャック。貴方の目的は、何ですか?」
ジャックから、やはり敵意は感じない。
雰囲気は、初めから変わらぬままだ。
むしろ、友好的にも捉えられる。
「何もない。いま目の前にある現実が、俺のすべてだ」
……意味が分からない。
何を言っているの?
感傷に浸るような場面ではない。
何が起こっているのか、全く理解できない。
思考が追いつかない。
警戒せねばならないことが多いのに、契約により、私はジャックに害をなせない。
護れの命令に、縛られている。
私は今、この状況から動けない。
こんなにも威圧しているのに、ジャックの態度が変わらない。
つまり、私の反応に対し、理解を示している。
もしくは、想定内である可能性が高い。
……今この現状は、ジャックのが1枚も2枚もうわ手だ。
下手に刺激すべきではない。
様子を見るべきだろう。
奇跡を解除する。
氷の刃は、粉々になくなった。
ベッドの上に座り直し、ややジャックと距離をとる。
「……ジャック、ヒントをください」
観念したように、両手を挙げる。
警戒は解かない。
表情だけは下手に出ておく。
「そうですね、私はあなたに嫌われたくないし……答え合わせを、しましょうか」
ジャックは先程より、更に雰囲気が柔らかくなった。
「その前に──ハグしてもいいですか?」
……?
「か、構いませんけど……殺さないでくださいね?」
そう言うと、ジャックは少年のように目を輝かせ、そのまま勢いよく抱きついてきた。
「わっ……」
その大胆さに、完全に面食らった。
警戒心も吹き飛ぶ勢いだ。
まるで無防備。
殺気も感じられない。
むしろ、好感度が振り切れていると言うべきか。
そして──まるでキスをねだるような視線を向けてくる。
……いやいや、待って。
その前に答えを聞かせて。
「ジャック……」
声をかけると、ジャックはハッと我に返った。
取り乱した自分を律するようにして距離を取り、頬を赤らめる。
んーーーーー。
何が起こってるか説明してくれー!!!
「それで……どういうことでしょう?」
その問いに、ようやくジャックの表情が真剣さを帯びる。
彼の好意があまりにも真っ直ぐで、警戒心が薄れていく。
……もしかして、私の下着姿に惚れた?
「……何か、失礼なことを考えていませんか?」
ジャックが訝しげな目を向けてくる。
こほん、と咳払いして誤魔化す。
「いえ、別に?」
「そうですか……?まぁ、話を戻しましょうか」
どうやら、ようやく核心に触れてくれるらしい。
「そうですね。どこから話せば……」
「結論から、お願いします」
「結論から……そうですね。分かりました。
私が「女性を探している」と言ったことを覚えていますか?」
「もちろんです。貴方の想い人であり、貴方の生命線だと、脅しました」
「はい。あれは……本当に怖かった。何よりも大切な人を、あなたに傷つけられるかもしれないと思ったから」
「そうですわね。それで?」
「あぁ、そうですね。結論として。私の探していた人物は、あなたでした」
……ん?
「ようやく、あなたに会えた。その事実が、ただただ嬉しい。
よろしければ、あなたの本当の名前を教えてください」
ジャックの想いが、波のように押し寄せてくる。
ジャックもまた、近づいてくる。
──待て待て待て、落ち着け。
「待て待て待て! 一旦、落ち着きなさい!」
手を差し出して制止する。
「……やっぱり、最初から説明してください」
焦る私を、ジャックはまるで愛おしそうに見つめていた。
「ジャック」
「あ、最初からですね?」
ジャックは、私の制止した手を取り、ガラスでも触れる様に優しく、恋人の様に手を繋いだ。
それからジャックは、物語を語り始めた。




