EP:34
あと一時間と決めて、それからじっと待った。
腕の痛みは一向に引かない。
感覚もほとんど無く、手を握ることすらできない。
幾度となく奇跡を用いた反動だろう。
おそらく、安静にしていれば回復するはずだ。
だが、ここまで酷いとそれも少し時間がかかるかもしれない。
奴隷として扱われる時、状態が悪ければ扱いもそれに準ずる。
健康状態に異常があると思われるのは、避けたい。
……
長い。
ただじっと待つだけの時間が、容赦なく絶望を煽る。
私がここまでする意味はあるのか。
いっそ、普通に脱出してもよいのではないか。
"任務を放棄"――
そう考えた瞬間、思考が乱れた。
途端に、胃液がこみ上げてくるような感覚に襲われる。
気分が悪く、頭も痛む。
前回よりはだいぶマシだが、それでもこの感覚には慣れない。
身体がガタガタと震え、考えることができなくなる。
そんな状態に陥っていた時、小屋の外に誰かの気配を感じ取った。
ハッとして、即座に臨戦態勢に入る。
体調はすこぶる悪い。
気分は最悪で、視界は目隠しにより閉ざされている。
それでも、警戒を怠るわけにはいかない。
もし相手から殺意を感じ取ったならば――この身体が動くのであれば、私はやれる。
誰かが、小屋の中へと足を踏み入れる。
気配を消し、足取りは極めて慎重だ。
相当の手練であることが窺える。
中の惨状を理解したのか、足音が一度止まった。
そこには、ジョンの死体が転がっているはずだ。
――さて、どう動くか。
その者は、再び慎重に奥の部屋へと近づいてくる。
ドクン、と心臓の音が響く。
敵か、味方か。
カルロスの死体の位置を思い描き、万が一に備える。
彼の懐に戻したナイフ――その在処が要となる。
ゆっくりと近づく足音に、場の緊張が高まる。
私は怯えを装い、演技する。
身体を震わせ、座り込んで俯いている。
やがて、足音が止まった。
私を目視したのか?
それとも、カルロスの姿を見たのか?
「……レイニー?」
その声に、顔を上げる。
足音がすぐに、私のもとへと向かってきた。
私は――私は、堪らない気持ちでいっぱいになった。
「ジャック……」
そして、ジャックは迷うことなく私を抱きしめてくれた。
その温もりが――その確かなぬくもりが、胸に染み入るほど嬉しかった。
緊張が、ふっと解けていく。
彼はすぐに拘束を解き、目隠しも外してくれた。
久しぶりに見るジャック。
助けに来てくれたジャック。
胸の奥に堰き止めていた想いが、あふれ出した。
「あ、あぁ……あぁぁあぁ……」
涙が零れ落ちる。
命の危機に瀕していたわけではない。
人質となったのも、自らの意思で選んだことだった。
それでも――怖かったのだ。
その怖さは、彼女では打開できなかったこの現状に。
ただ、待つしかできなかったことに、不安を覚え、怖さを感じたのだろう。
彼女は捨てられることに恐怖を感じない。
ただ「待つしかない」ことへの「怖さ」だったのだろう。
「信じる」ことへの「恐怖」だったのかもしれない。
それは、まだ20歳の彼女には、少し早すぎた試練だったのかもしれない。
泣きじゃくる私を、ジャックは何も言わず、ただ静かに抱きしめ続けてくれた。
感情はぐちゃぐちゃだった。
考えはまとまらず、心は翻弄されていた。
だから私は、ジャックのその優しさに、素直に甘えた。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻す。
そして、ジャックの胸元から身を離した。
「ジャック、すみません……取り乱しました」
「大丈夫だ。レイニーは、無事か?」
「はい、大丈夫です。大丈夫です」
「そうか。……ここを早く出よう。歩けるか?」
「はい……。あの、助けに来てくださって……ありがとうございます」
「当たり前だ」
ジャックに支えられ、私は立ち上がる。
彼は私に羽織る物を差し出してくれた。
目の前の惨状に、反応する気力も無い。
私がやったのだ。全て知っている。
ジャックは私の歩幅に合わせて、歩調を揃えてくれた。
腰に添えられた手が、確かに私を支えてくれる。
気持ちの落ち着きに、ジャックが傍で寄り添ってくれるそのやさしさに。
もう大丈夫と、安堵した。
小屋の外に出ると、辺りは闇に包まれていた。
体感では朝方のはずだったが、実際の時刻は分からない。
二日目か、それとも三日目か。
極度の緊張下で、時間の感覚に誤差が生じたのだろうか。
――まあ、もう、どうでもいい。
「馬に乗れるか?」
「は、はい」
ジャックに支えられながら、馬に跨がる。
彼もすぐに馬に乗り、私たちはその場を離れた。
体力はすでに限界だった。
ジャックの支えに、身を委ねるしかなかった。
彼は道中、ずっと無言だった。
私もまた、あらゆる限界を迎えていた。
そして――
意識が途切れた。
次に目を覚ましたとき、私はベッドの上にいた。




