EP:28
慌ただしい日々を過ごし、気づけば一ヶ月が経過していた。
ウェディングドレスの件は難航を極めていた。
一刻の猶予もない中で、グランドは「納得のいく既製品が見つからない」と嘆いていた。
デザインに関しては、私の見立て通り、十分に美しく優れた案をいくつも提案してくれた。
いくつかの候補をさらに洗練させ、ようやく納得のいくデザインが完成した。
しかし、それを一から仕立てる時間は残されていない。
既製品から選び、必要な手直しを施すしかなかった。
グランドは専門の店を巡ったが、どれ一つとして満足のいくドレスは見つからなかったという。
わずかな妥協も許さぬ彼の姿勢は理解できたが、このままでは当日に間に合わない。
私は粘り強く説得を続け、ようやく彼も渋々ながら制作に取り掛かってくれた。
職人たちは夜を徹して作業を進めていると聞く。
金に糸目はつけず、期日までに必ず仕上げなければならない。
それから、宝石商が何人も屋敷を訪ねてきた。
彼らは皆、アンクライトの買取を望んでいた。
もちろん、提示された石はすべて私が買い取った。
そもそも、アンクライトを取り扱う宝石商など数えるほどしかいない。
店に保管しておくだけで“不吉”とされるほどだ。
絶対数が少ないこともあり、一部の商人は法外な価格を吹っかけてきたが、すべて市場相場に準じて購入した。
今さら無能を装う必要はないし、こちらが正規の価格で買い上げている以上、市場価値を理解していることは明らかである。
加工はすべて、ウォーロンに依頼している。
いくつかのアクセサリーを提示してもらったが、どれもパッとしなかった。
アンクライトの性質だ。
どれだけ丁重にカットしても輝かない。
本来なら誰も目を留めないような、無価値な石。
それが本当に愛しいと思った。
これでいい。
この無機質さが、酷く不気味で、誰も寄せ付けない。
この石を身に着ければ、私には分不相応に映るだろう。
それでも、構わない。
それでも私は、ジャックと重なるこの宝石を身に着けたい。
たとえどれほどの不吉な謂れがあろうとも。
それからジャックのご両親がご挨拶のため帰省されるとの知らせが届いた。
ジャックの遠征からの帰還に合わせてくださるらしい。
予定通りであれば、ジャックはあと一ヶ月ほどで戻ってくるはずだ。
例の“彼女”からも報告は何一つ届いていない。
ならば、計画は順調とみていいのだろう。
ご両親のご配慮には、心より感謝したい。
見ず知らずの「妻」一人を相手にするのは、さぞ気が引けるだろう。
ここは、ジャックに間に入ってもらうことで、少しでも印象を和らげることができればと思う。
それに、アンクライトの件も誠実に説明せねばならない。
きっと、良い顔はされないだろうから。
メノールからの「想い人」に関する報せは、一向に届かない。
おかしい。そろそろ何らかの情報が寄せられても良いはずだ。
何かあったのだろうか。
しかし、こちらから催促することはできない。
ただ待つしかないという状況が、非常にもどかしかった。
相変わらず、腕の痛みは引かない。
痛みの程度も改善される兆しがない。
思っていた以上に、深く傷ついていたのかもしれない。
まだしばらくは鎮痛剤が手放せそうにない。
こればかりは、どうしようもない。
私宛に、いくつもの夜会の招待状が届いていた。
この対応については、思案のしどころだった。
本来であれば、すでに正式なお披露目が済んでいるはずの頃合いだ。
それなのに、公に姿を見せぬ「妻」。
そして、新婚でありながら遠征に赴いた「夫」。
他人から見れば、不自然に映るのも当然だ。
一度だけ共に外出したが、そのときでさえ、最後にはジャックの姿はなかった。
人々が私の様子を知りたがるのも無理はない。
その目的で催される夜会なのだろう。
しかし、お披露目前の婦人が一人で夜会に参加するのは得策ではない。
噂好きな貴族たちの格好の餌食となりかねない。
それは避けたい。
加えて、私はアンクライトを身に着けている。
この状態で表に出れば、炎に油を注ぐようなものだ。
かといって、すべての招待を断れば、それもまた憶測の温床となる。
つまり、どちらに転んでも無傷では済まない。
ダメージが少ないのは、夜会に「出ない」選択肢だ。
さて、どうしたものか。
常識的に考えれば、参加しないのが妥当だろう。
「世間に出すには惜しい妻」として、神秘性を装うという立ち回りも不可能ではない。
だが、それにはジャックが愛妻家であるという前提が要る。
演技を強いるのは、彼にとって酷というものだ。
いっそ、過剰な期待を煽っておくのも悪くはない。
悪しき憶測など、事実と異なれば自然と消え去るもの。
それまでは、好きに言わせておけばよい。
それか、逆手にとって参加してもいい。
私はすでに「演じられる」。
「公爵家の妻」として、ジャックの隣にいるのはこの私だと、堂々と示すこともできる。
私にとって、「妻」として公の場にでるのは利点となりうる。
少しでも、ジャックが「契約破棄」をためらってくれるなら。
ただやはり、正式なお披露目が済んでいない以上、不安が完全には拭えない。
相手の意図は見える。
全員が、私という存在の「値踏み」に来るだろう。
ならば私は、当然のごとく公爵家の一員として夜会に出席すればいい。
アンクライトを身に着けていても、それを咎められる者などいない。
何故なら、私は上流階級の誰とも交流が無いのだから。
この立場なら、出席者全員と改めて挨拶を交わすことができる。
堂々と名乗れば、皆が「この人が公爵家の人間か」と、思うだろう。
確かに、不信感はぬぐえないでしょう。
身に着ける物や、その態度、正式なお披露目が無いにも関わらず「妻」と名乗るその傲慢さ。
どこから突っ込めば良いか。
ともかく、まずもって良い印象ではないでしょう。
中には、遠慮のない者もいるだろう。
「ジャックからのご挨拶がなかった(正式なお披露目について)」と、詰問してくるかもしれない。
だが、それに対しても私は平然とこう言えばいい。
「取るに足らない問題です」と。
なぜなら、私達はすでに結婚しているのだから。
婚約中であればまだしも、今さらお披露目の有無で立場が揺らぐことなど無い。
夜会は、恐らく乗り切れる。
しかし、出席した以上、印象が中途半端では済まない。
私は、強い女性であると示すことになるだろう。
だが、それでは「標的」になれない。
私は、ジャックに降りかかる火の粉を、自分の身に引き受けたいのだ。
出席も欠席も、どちらにも利点と欠点がある。
本当に、どうするべきか迷った。
悩んだ末、私は「不参加」を選択した。
私は、妻として暗躍したいわけではない。
夫を支えたいという気持ちはあるが、主役でありたいとは思わない。
むしろ、目立たず、陰から彼を護る存在でありたいと願っている。
それが「暗躍」だといわれるかもしれないが、それは私の任務の範囲外だ。
私は、公爵家の利益を考えて動きたいわけではない。
ただ、妻として、ジャックという人間を支え、護りたいだけなのだ。
軽々しく、自分の判断で動くべきではない。
ジャックに一言相談してからでも、遅くはない。
「やれ」と命じられれば、私は従う。
けれど彼は、こう言っていた。
――「求めることは何もない」と。
……
ジャックに、会いたい。
自分の選択に、ズキンと胸が締め付けられた。




