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EP:26

一部文章を修正しました。

2025/05/30:DONE

2025/05/31:DONE

グランドとの会談は、良い結果に終わった。


長らく青ざめた表情を浮かべていたアントンには、丁重に礼を述べた。


そして、メノールには素直に謝罪の言葉を口にした。


「ごめんなさい」


すると、彼女の顔にわずかではあるが、感情が浮かんだ。

まるで「あなたという人は」と言いたげな表情だった。


それでも、多少なりとも私の本質を理解してくれたのだろう。

悪印象を与えた様子はなかった。


そのことに、ひとまず安堵した。


その後、外出の支度を整え、教会へと向かう。

もちろん、指輪は身につけたまま。


聖女様が実際に姿を現すかどうかはわからない。


「聖女様」とは、いわゆる“奇跡を起こし、民を救い、導く存在”を指す。

人々はその力にすがり、よりよい生活を望んでいる。

まさに、崇敬(すうけい)の対象である。




……もっとも、現実には「聖女様」という人物像は帝国によって作り出された虚構にすぎない。

聖女様と定義される人物はいる。

そして、その人物は確かに神の遣いである。


だが、名ばかりの存在であり、実際の任務は複数の神の遣いによって担われている。


「聖女様」とは、あくまで民衆向けに、「説明のつかない奇跡」を説明するための象徴的存在である。

つまり、極めて都合の良い、便利な存在の事を指す。


そして私は、その「聖女様」について何一つ知らない。

ご尊顔を拝したこともなければ、仕事を通じて関わった記憶もない。

私が知らぬうちに何らかの処理に携わっていた可能性もあるが、それすらも定かではない。

だからこそ、すっかり忘れていた。そんな便利な存在を。




教会へ到着すると、メノールも当然のように同行した。


これは、仕方のないことだった。

無理に引き止めることも、下手な言い訳もしたくない。


ただ、聖女様の部屋(聖女の間)に入ることができるのは、聖女様の招待を受けた者に限られている。


その部屋では、確実に一人きりになれるはずだ。


では、私がいつ聖女様に招待されたか?

答えはいいえ。

私は招待されていない。


本来であれば、一般人は入れない。

だが、私は招待の有無に関係なく入室できる。


聖女の間には特殊な仕掛けがされており、条件を満たさなければ部屋に入る事が出来ない。


一般人では絶対に開かない。

だから、聖女様に招待された者だけが入室できる、とされている。


ではその特殊な仕掛けとは何か。

答えは「魔力反応によって開く仕掛け」である。


つまり、神の遣いしか開けないのだ。

逆に言えば、神の遣いであれば誰でも開ける。


神の遣いは、言い換えれば全員が聖女様である。


私も、魔力を流せば扉は開くはず。

はず。


入室したことも無いし、情報でしか知らない為、多少の不安はあるものの、そもそもが神の遣いの為に作られた寓話なので、問題ないと思う。



教会の中には、数名の信徒の姿があった。

誰ひとり声はかけてこなかったが、私の姿を認めると、一様に丁寧なお辞儀を返してくれる。


私は祈りを捧げる。

メノールは背後で控えてくれている。


祈りが終わり、牧師に丁重に挨拶をする。


「本日は、どのようなご用件でしょうか?」


穏やかな気配をまとい、眼鏡がよく似合う牧師。

名を、ミシェル・クーパーと名乗った。


「本日は、聖女様に折り入ってお話がございまして」


「左様でございますか。それでは、聖女の間へお進みくださいませ」


彼の案内で移動する途中、こう告げられる。


「規則により、こちらの服へお着替えくださいませ」


そう言って手渡されたのは、一枚のごくシンプルなドレスだった。

メノールが何か言いたげな様子でこちらを見るが、私が何も言わなかったので、彼女も言葉を呑んだ。


「ご準備が整いましたらお戻りくださいませ。我々は外にて待機いたしております」


渡されたドレスは背中の開いた仕立てであった。

このままでは、クーパーに気づかれてしまう――。


「何か羽織るものは、ございませんか?」


メノールが代わって尋ねてくれる。


「申し訳ございません。これ以外の着用は認められておりません」


クーパーは、気の毒そうな面持ちで答えた。


「もしご不都合でしたら、私は席を外しましょう。聖女の間はこの先にございます。

本来であれば、私が正装の着用を確認すべきところですが、貴女様を信じましょう」


「寛大なお心遣いに、深く感謝申し上げます」


メノールが深く一礼した。私もそれに倣う。


それを見届けたクーパーは、「それでは」と言い残し、その場を離れていった。


「ありがとう」


私はメノールに一言だけ告げ、共に控室に入り、着替えの準備に取りかかる。


最後に、指輪を外し、メノールに背中の傷跡を見せた。

彼女は黙って確認し、それから衣服を整えた。


指輪を手のひらに収めたまま、部屋を出る。

廊下の先にあるのが、聖女の間であった。


メノールには、ここで待機するよう命じ、私は一人、扉を開けて中へと入る事にする。


ドアノブに、魔力を流す。

「カチャ」の音と共に、扉が開いた。


無事に開いてよかった。





扉の向こうは、「まばゆい」と感じさせる光に包まれていた。

それが、神聖とされるものの印象なのだろう。


そのまま静かに扉を閉め、中へ進む。

部屋の中には、誰もいなかった。


――まあ、当然か。


空気は清らかで、演出めいた「特別さ」が漂っていた。


壁一面は純白で、装飾も何一つなく、ただの質素な空間のはずが、天井から下がる気品あるシャンデリアがそのすべてを荘厳(しょうごん)に彩っていた。


さて――まずは、祈りを捧げましょうか。

指輪を嵌めてすぐ退室するのも、風情に欠ける。


おそらく、この部屋には防音の処理が施されているだろう。

外にいるメノールには、私の声は届かないはずだ。


「聖女様がいらした」ことにしてもよいし、

「願いを口にしたら叶った」ことにしてもよい。


大切なのは、結果だ。その過程ではない。


私は、しばし静かに時間の流れを待った。




いつしか、思考は自然とジャックへと向かっていた。


彼は、もう私のことが嫌いになったのだろう。

むしろ、嫌悪の対象に成り果てた、というべきか。


今のところ私にわかっているのは、

「ジャックの想い人が神の遣いである」ということだけ。


その人物が誰なのかはわからず、特定の情報も得られていない。

そして、その情報をジャック本人から得られる見込みも、極めて薄い。


私はこれ以上、彼との関係を悪化させたくはない。

つまり、この件に関して、私が自分から行動することは出来ない。


さらに言えば、私たち神の遣いは、互いに詮索することを禁じられている。

アメリアは神の遣いではないが、私が彼女に対して「他の神の遣いを探せ」と命じることはできない。


……できないのだ。


例えば、紙に書くことができない。

話すこともできない。


私がその対象を「神の遣い」だと認識した瞬間に、すべての手段が封じられる。


ただ、抜け道はある。


今回のように、認識する“前”に書いた手紙については、処分の必要はない。

認識する"前"に話した内容が取り消せない様に、問題はない。


ゆえに、私はアメリアに手紙を出すことができた。


ただし、それ以上は何もできない。

アメリアへ追加の情報を送ることも、依頼をすることも。


理由?わからない。

ただ、できないのだ。


行動が制限され、思考がロックする。


その「理由」を考えることすら、できない。


あたかも「食事をしなければ生きられない」と同じように、

私の中でそれは“当然の制約”として存在している。




私がアメリアに手紙を出した理由は単純だ。


彼女が「想い人が神の遣いであること」に気づくまでは、調査の結果が送られてくる。


相手が男でも、女でも、子供でも、大人でも――知りたいのだ。


そして、もしそれが私の知る人物であれば、紹介できる。

その瞬間、私は「解放」されるはずだ。


もし知らぬ人物であれば、そこで終わり。


ジャックとの駆け引き以外では、使えない。


どちらにせよ、私にとっては利しかない。

アメリアからの情報を、今は待つしかない。




──話を戻そう。

ジャックとの関係を修復するうえで、一つ、有効かもしれない手段が思い浮かんだ。

彼の様子を思い返すと、いくつかの反応に違和感があったのだ。


そもそも私は、彼の「想い人」に危害を加えるつもりなど、毛頭ない。

確かに、任務のための駆け引きとして、その存在を「脅し」に使ったことはある。

だが、それはあくまで必要だったからで、本来ならば不要なことだった。


ジャックの言う通り──私にとって最も大切なのは、「任務の遂行」だ。

言い換えれば、それ以外に関心はない。


つまり。

たとえ相手が「帝国」であろうとも、私は「ジャック」を守る。

「皇帝陛下」のご命令が無い限りは──「皇帝陛下」でさえ、私の敵になり得る。


私は、ジャックの価値を理解している。

私が知り得た「切り札」を帝国に伝えれば、彼はきっと国家に拘束されることになるだろう。


代償として、公爵家の主が姿を消す──それだけの話だ。

先代はまだ健在なのだから、「行方不明」として処理するのは、そう難しいことではない。


……でも、私はそれをしない。

なぜなら、私は──


「国に評価されたい」わけでも、

「英雄として名を残したい」わけでも、

「国家に利益をもたらしたい」わけでもない。


ただひたすらに、「任務の遂行」が私のすべてなのだ。

それが、「私の存在価値」であり──

私をこのように育て、教育したものたちの、望んだ姿なのだから。


【皇帝陛下を裏切らない】

【皇帝陛下にその人生を捧げる】

【任務の遂行こそ、存在価値】




──これをジャックに伝えれば、彼の信頼を取り戻せるかもしれない。


けれど、それを伝えるには、万全の準備が必要だ。

なぜなら、それは私にとって「生命線」そのものだから。


……彼がそれを知ったら。

私は怖い。


私がこれまで駆け引きとして用いてきた言葉は、すべて意味を失う。


「契約を破棄しても構わない」──そんな言葉が、まるで真っ赤な嘘だったと露見する。


「(本当に、何でもする)」という意味が、

“妻として、貴方の嫌がることはしない”というものだったと、知られてしまう。


「切り札」としていたものも、実際には何もできないと伝わる。



妻は、夫の嫌がることをしない。


彼にとって「想い人」が何よりも大切なのなら、なおさら。

むしろ私は、その「想い人」すら護りたいとさえ思う。

それが、ジャックの望みであり、結果としてジャックを守ることにつながるのなら。



つまり、私の生命線を話す事で、


彼が「夫の務め」を果たしてくれなくなったとき、私は、なす術がなくなる。


彼はいつでも「契約破棄」出来るし、その抑止力はない。



そして私は「任務の遂行」ができなくなり、存在価値を、失う。


それだけは、あってはならない。

私から存在価値を奪われたら、私は……私は……


……その先を知らない。

ただ、底知れぬ恐怖が、眼前(がんぜん)を覆い尽くしていく。




──ハッとして、我に返る。


ずいぶんと長く、物思いに沈んでいた。

指輪をしていることを確認し、私は静かに部屋を出た。


待機していたメノールが声をかけてくれる。


「奥様、大丈夫でしょうか」


「ええ。問題ないわ。お待たせいたしました」


控室へと戻り、着替えを済ませる。

その際、メノールは見たはずだ──

私の背にあった傷が、跡形もなく消えているのを。


「どうかしら?」と尋ねると、メノールは微笑んで答えた。


「大変、良い結果になられたと存じます」


これからは、彼女以外の者にも手を借りられる。




部屋を出ると、目の前にクーパーが立っていた。

気配に、まったく気づかなかった。


……驚いた。

随分と長い間、私は部屋の中に居たはずだ。

にもかかわらず、完璧なタイミングでの登場。


殺意は確かにない。

それでも、この私が気配すら感じないなんて。

──感覚が鈍ったのだろうか。


いいや、それは無いと思うが。

警戒心が高まる。

油断を誘う相手というのは、何よりも警戒しなければならない。


そんな私とは対照的に、彼は優しい声で、笑顔で語りかけてくる。


「お疲れ様でございます。いかがでしたでしょうか?」


「ええ。とても良い時間でした。お時間を頂けたことに、感謝を」


「それはそれは、誠に喜ばしいことでございます」


そして、教会をあとにした。彼は最後に──


「神のご加護があらんことを」


そう言って、微笑みながら私を見送ってくれた。


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