EP:24
昨夜のことに想いを馳せた。
ジャックは、何を思い、何を抱えていたのだろう。
自室に戻り、鎮痛剤を口にする。
ジャックは、とても怒っていたように見えた。
それと同時に、どこか寂しげだった気もする。
私たちが別れてから、何かあったのかもしれない。
けれど、それが何なのかは分からなかった。
妻として、支えるべきだった。
声をかけ、その背を引き止めるべきだった。
たとえ嫌われていようと、私がそう感じたのなら行動すべきだったのだ。
また、私は選択を誤ったのだろうか。
メノールを呼び、朝食の為に準備を始める。
ジャックはすでに遠征に出たようだ。
屋敷の中に彼の気配はなかった。
護衛については問題ないはずだ。
彼女からの報告もない。つまり、無事に任務に就けたということだろう。
朝食を取り、講師とともに勉学の時間へ。
貴族としての基礎は身についているが、やはり上流階級となると所作・言葉遣い・考え方・立ち居振る舞い、すべてに洗練が求められる。
それらを身につけるためには、より多くの知識と経験が必要になる。
これを三ヶ月か――
間に合わせてみせましょう。
そして、ジャックのいないこの期間に、少しでも使用人たちと親しくなりたい。
積極的に行動を起こし、この屋敷の一員として認められるよう努めた。
──そんな慌ただしい日々を過ごして数日。
メノールから報告書が届けられる。
「奥様、グランド様の消息が掴めました。明日にお約束を取り付けてございます」
「ありがとう」
公爵家にしては、少々遅い結果だった。
グランド家に何かあったのだろうか?
そう思いながら、報告書に目を通す。
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【グランド子爵家】
子爵家当主:ビヨルン・グランド
家族構成 :ビヨルン・グランド(母)/アル・グランド(長男)/モランジュ・グランド(次男)/ミューラ・グランド(長女)
・南大陸の辺境を管理
・先代当主ラグナル・グランド(父):三年前、戦場で戦死
・アル・グランド:帝国勤務。役職不明
・モランジュ・グランド:職に就かず、各国を放浪。旅芸人として生計を立てている
・ミューラ・グランド:学園に在籍。特筆すべき才能なし
【モランジュ・グランドについて】
・父の死後、人格が変わったという噂あり
・上流貴族との間に暴力事件を起こし、グランド家から勘当、あるいは追放された可能性あり
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……突っ込みどころの多い報告書ね。
「役職不明」と「放浪中」――これが調査に時間がかかった理由か。
正直、彼が今どうしていようと構わない。
仕事をしてくれさえすれば、それでいい。
「モランジュ様は、明日いらっしゃるのよね?」
「はい、奥様からのご指名とお伝えしたところ、承諾くださいました」
「そう。……なら、それでいいわ。ありがとう」
「それから、明日は教会へ参ります」
「承知しました」
「メノールには、随分と負担をかけましたね。……背中の件、片を付けに行こうかと思いまして」
「左様でございますか」
「えぇ。ちょうど聖女様が近隣の教会にいらっしゃるようなので、お願いしてきます」
「奥様がお気にされているのなら、それは良き判断かと存じます」
微笑むと、メノールは一礼してくれた。
「アル様の役職は、公爵家の力をもってしても分からなかったのかしら?」
「はい。意図的に情報が伏せられているようです。時間をかければ、あるいは……」
「いえ、構いません。用事があるのはモランジュ様だけですから」
「承知いたしました」
「報告は分かったわ、ありがとう」
資料から目を離し、元の作業へ戻る。
いまは手芸の練習中だ。手先が器用で助かった。
このあとはピアノの練習、そしてダンス。
思わず、ため息が漏れた。
ふと気づけば、メノールがまだ部屋を出ていない。
何か言いたげで、けれど口を開くのを迷っているようだった。
「メノール? 他に何か報告があるの?」
「いえ、奥様。ただ、気がかりな点がございまして……。奥様が気になされていないようでしたので、不躾かと」
「発言を許可します。話してください」
「恐れながら、モランジュ様は過去に暴力事件を起こしております。万が一にも、奥様に危害を加える可能性がございます」
……心配してくれたのだろうか。
これは、大きな前進だ。
嬉しい。たとえそれが「仕事」だからだとしても、そこに「良心」があるのは間違いない。
人としての「感情」が見えた。それが、とても嬉しかった。
「確かにね……。明日は必ず、私の傍にいてくれるかしら?」
「はい、それはもちろんでございます。ですが、それだけでは聊か不安が残ります」
なるほど。私の力を知らないのね。
つまり「護衛が必要だ」と、そう言いたいのだろう。
困ったわ。普通の淑女なら、その通りなのだけれど。
「国から兵を出すことも可能です」
「いえ、それは……。ただの話し合いにしては、物々しすぎるわ」
「では、どのようにいたしましょうか」
「そうね……。対処は私に任せてちょうだい。貴女は心配しなくていいわ」
「承知いたしました」
「ありがとう、心配してくれて、とても嬉しいわ」
そうして、メノールは静かに部屋を後にした。
本当は、策なんて何もない。だって、不要だから。
何か準備をしたところで、話し合いが長引いては困る。
でも、メノールとの関係は良好に保ちたい。
だから――シェフを駆り出すことにする。
彼は体格も良いし、凶器の扱いにも慣れている。
メノールも納得する……させましょう。




