EP:23
寝室でいつもの日課をこなす。
ここ数日は仕事をしていない。
たった数日で腕が鈍る事はないが、どうしても死地を求めてしまう。
性分というものだ。
人殺しが好きなわけではない。
私が求めているのは、あの極限の緊張感に他ならない。
どれだけの準備をしようと、思い通りに事が運ばない局面は訪れる。
その中で、最善の一手を選び続ける。
時に反撃を受け、互いに命の縁を彷徨う瞬間。
あの瞬間、あの時間でしか味わえない甘美な時間。
同時に味わえる達成感も、私がこの仕事を好む理由の一つ。
そんな「暗殺」は当分味わえない。
任務の最中に、新たな指令が下ることはない。
私の今の任務は「ジャックの妻となり護ること」
契約が継続する限り、他の依頼は舞い込まない。
それに、公爵家の務めだけでも手一杯で、別件に手を伸ばす余裕などないのが現状だ。
明日からはまた勉強と根回しで時間が過ぎる。
自分の時間は夜くらいか……。
護衛術を、会得しなければならない。
「護る」という行為において、私は素人同然なのだ。
発想そのものを切り替える必要がある。
夜に人に教わる事もできるが、万に一つ部屋に居ない事がバレれば大問題だ。
幻術で寝てるように見せる魔道具も却下。
部屋に入ってくるなら緊急事態だ。話しかけてくるはず。
応答の無い私を起こしに近寄ったらすぐにバレる。
――さて、どうしたものか。
書物は当然ながら用意するとして、やはり実地に勝る学びはない。
あぁ、もしもメノールの協力が得られれば……。
その思いと共に、深く深く溜息をついた。
ジャックに協力を仰ぐしかないだろうか。
……。
嫌われてしまったし、修復にはまだ少し時間がかかりそう。
だけど、その溝をゆっくり埋める為の時間は無い。
しかし周りの協力は得られそうにない。
――切り札を使うべきか。
例の"想い人"を。
しかし、それを実行に移せば、ジャックとの溝はさらに深まり、もはや修復は叶わないかもしれない。
なにか、他に手立てはないだろうか……
なにか――。
昼間、私が単独で動くのは、ほぼ不可能に近い。
それに見合う理由が必要だ。
必ず誰かの目がついて回る。
となれば、やはり夜しかない。
……外に出られないのなら、こちらに呼べば良いのでは?
いや、それも難しい。
私の人脈で、神の遣いでありながら護衛の任務に着ける程優秀な人を知らない。
誰か、神の遣いの伝手を頼る事も出来ない。例え家族であってもだ。
神の遣いのことならば、皇帝陛下に依頼するしかない。
結局結論は出なかった。
早く、決めなければ。
寝る準備をしていると、屋敷の前に馬車の音が響いた。
ジャックが帰ってきた。
これは予想外。
ただ、恐らくまた一緒に寝ることは無いのだろう。
私の所へ寄るとも思えない。
あまり深く考えず、眠ることにした。
もちろん、意識は保ったまま。
もし……もしも彼が来てくれたなら、話をしたいと、そう思っていた。
それは“任務”としてではなく、ジャックを想う一人の女として。
扉の前で、足音が止まった。
時刻は……午前4時を少し過ぎた頃。
推察するに、ジャック。
未だ屋敷中の足音を識別しきれてはいないが、彼のそれは既に覚えた。
そもそも、この部屋を訪れる可能性がある者など、ただ一人。
もし敵であれば、足音一つにしても気配が異なる。
それを見誤ることはない。
やがて扉が開かれ、現れたのは案の定ジャックだった。
でも、わたしの寝ているベッドには近寄らない。
ソファに腰を下ろし、一人、酒を嗜んでいるようだった。
――どうすべきか。
声をかけるべきか。
気まずい。何を話せばいいのだろう。
あれほど会話を望んでいたのに、いざ機会を与えられた途端、言葉が出てこない。
彼の反応が、分からなくて、怖かった。
メノールから話は通っているだろうか?
少しは見直してくれただろうか?
いや、すごく怒ってるかも。
ぐるぐると回る思考に、寝たフリを続けた。
ジャックは黙したまま、
グラスの中の氷が、静かにカラン、カランと鳴っていた。
その音だけが、部屋の静寂を埋めていた。
時が、30分ほど流れた頃だった。
「……レイニー」
唐突に呼ばれ、私はびくりと身体を震わせた。
な、何?
ど、どう反応すれば――?
私は答えられないまま、思考だけがぐるぐると回った。
そして、応じるタイミングを逃した。
――あぁ、せっかくの機会だったのに。
取り返しのつかない失敗に、胸が締めつけられた。
話すべきだった。
自分の臆病さが、恨めしかった。
「レイニー。……起きてるんだろ?」
その一言が、胸に沁みた。
嬉しさがこみ上げてくる。
――今度は、ちゃんと応えよう。
嬉しさを隠して、静かに。
「えぇ、起きております。遅くまでお出かけで、心配致しました」
「心配?お前がか?」
「ええ、もちろんです。私はジャックを護らねばなりません。何かあったのではと、穏やかではいられませんでした」
声の調子は、努めて平静を装う。
何事もなかったかのように。
「ああ、そうか。お前は……そういう奴だったな」
「……ジャック?」
わずかに、いつもより語気が強い。
「お前は、皇帝陛下の忠犬だもんな。任務が何より優先、か」
……言葉の意味が、掴めない。
それの、何が悪いのだろうか?
彼は、なぜそんなにも怒っているのだろう。
「いいよな、お前は……」
彼は続けようとしながら、そこで口をつぐんだ。
部屋に、沈黙が流れる。
「……すまなかった」
低く、そう言ってから、ジャックは手元のグラスを一気に呷った。
彼の声から、苛立ちは消えていた。
「ジャック……すみません。私こそ、勝手ばかりしてしまいました」
「いや……レイニーは何も悪くない。……すまない、忘れてくれ」
彼は静かに立ち上がり、部屋を後にした。
私は、それを止めることができなかった。
何を言えばいいのか分からなかった。
彼の背を引き止める術を、私は持っていなかった。
残された部屋で、心がぽっかりと空いたように
とても、とても寂しくなった。
何故なのか、それの答えは分からなかった。




