表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
移住計画  作者: 永久衛府
6/6

第六話 銀の立方体

 やがて車が減速したので外を見ると、やや広い道路に入ろうとするところだった。今まで走っていた照明のない真っ暗な道に比べると、少ないながら街路灯があり、いくらかましのようだ。


 車がいったん停止し、曲がって、再びゆっくりと速度を上げようとする時、母が何か叫んだ。

 「何?」と母を振り返る。母は無言で進行方向を指さした。


 100メートルほど先に街路灯があり、その光の輪のちょうど境目に、銀色の四角い建物があった。美香は体をひねり、自動運転のパネルに手を置いて、車がその建物の前まで来たときに一時停止のボタンにタッチした。車は銀色の建物を少し通り過ぎてから止まった。


 建物というより、小屋か、大きい物置と言った方がいいかもしれない。

 正面の入口は全開になっていた。引き戸なのか、もともとドアがないのかは暗くて見てとれなかったが、とにかく普通のドア一枚分の入口が開いていた。

 そしてその入口から弱々しい白い光が漏れていた。


 美香は、また野菜の無人販売だ、と思い、母は何か買いたいのだと思った。

 しかし母は降りようとせず、ほの暗い車中で美香の顔を見た。


 「これ、あれだったりして。」


 美香は何のことか分からず、無言で首をかしげた。

 母がまた言った。


「ネットでよく見かける噂話なんだけど…」


 美香はぱっと思い出して「ああ」と声を上げた。


「そういえば、あの噂みたいな小屋だね。」


「何の話?」と、ネットの中の出来事はあまり知らない父が言った。


「ネットのいろんなところに同じ噂がいっぱい載ってるんだけどね、山の中の人気のない道に物置みたいなものがぽつんと建ってて、それが宇宙船の発着場になってるとか。」


「違うわよ、タイムマシンがあるんでしょ。」と母が異を唱えた。


「なんだ、そりゃ。」


 父がいかにも呆れたよ、という声音でそう言ったからか、車中は声が途切れた。

 数秒、無言のまま、一同は銀色の立方体を見つめた。


 やがて、美香は車のドアを開けた。小屋の中を見ておこうと思った。

 見たいという好奇心ではなく、今の車内の奇妙な沈黙を変えたいというのもあるし、帰ったら玲佳に

「この前話していた宇宙船の基地そっくりなものがあったよ。でも中を見たら野菜売り場だったよ。」

と言って笑わせながら、この噂への興味を失わせたいというのもあったし、もし野菜売り場だったらお買い得品がないか見ておきたくもあった。


 立方体の小屋の中にはぼんやりした明りがあったが、中がはっきり見えるほど明るくなかった。美香は歩み寄り、そっと中をのぞき見た。


 ぼんやりと側面の壁が見えたが、奥には何があるのか、敷居の外からでは見えない。

 真正面に立ち、敷居のぎりぎりのところに立ったが、やはり奥が見えなかった。 


 変だなあ、と、美香は不思議がりながら、立ち尽くした。

 周辺も暗いからなのだろうか、奇妙なほど見えない。ほの暗い背景に、ふちの滲んだ光の玉が浮いている以外に、どうなっているのか全く見えない。


 怖いという感覚はなかったので、中へ入った。ゆっくりと歩を進める。


 5歩、6歩と歩く。


 10数歩歩いたところで、美香は立ち止った。


 こんなに奥行きがあるわけはない。


 車から見た時は正面の幅よりも奥行きの方が狭かった。せいぜい2メートルか3メートルしかないはずだ。


 「美香。」


 真後ろから声をかけられ、心臓が飛び上がった。母の声だった。振り向くと、父もそこにいた。


 「どうしたの。何か変なものがあったの。」と母が顔を覗き込んできた。


 この空間のおかしさに気がつかないのか、と美香はびっくりした。


 「こんな広いようには見えなかったけどなあ。」と父が困惑をあらわにした声で言った。


 「そうなのよ。変だよね。」


 父がまともに反応していることにほっとしながら、美香はそう言った。


 その場が沈黙した。


 美香はまた口を開いた。


 「だって… 周りに壁が…」


 自分の声がかすかに反響しているのに気づき、その音の響きを確かめながら、美香は一言づつ声にした。


 「壁が… 全然… 見えないって、変じゃない?」


 最後の声の響きが消えたが、両親は黙っていた。


 美香はまた歩を進めた。ゆっくりと、周囲をうかがいながら歩いた。

 普段は聞こえない底の薄い靴で歩く音が、静寂の中で鈍く響いた。

 両親の足音もついてきた。

 正面のぼんやりした白い光が拡散して、周囲の闇をほの暗く、薄青く浮き上がらせていた。自分も薄青い闇に浮かんでいるようだ。


 やがて、父が咳払いをして、言った。


 「戻ったほうがいいんじゃないか。」


 父の声を、話してもよろしいという合図であるかのように、母がしゃべった。


「あの物置みたいなものの後ろに、こんなトンネルがあったのね。車からは見えなかったけど。」


「トンネル」と、父は合点がいったというように語尾を下げた。


 そうか、トンネルだ、と美香も思った。外から見たとき、この小屋の背後は暗闇で、完全に孤立した建物のように見えたから、ついネットの噂のような変な空間だと思ってしまったが、背面に建物が続いていたのだろう。トンネルではないだろうが、銀色の立方体の部分より低くて小さい建物なら、夜の暗い道では見えなくても不思議ではない。


 しかしすぐにまた、それも変だと思った。

 薄暗い内部はよく見えないが、天井も高そうだったからだ。これほど天井の高い建物が背後にあるのなら、高い垂直の壁面が、あの立方体の背中にくっついているのが見えたはずだ。あんなふうに孤立しているように見えるだろうか。それとも何か、黒い板とか布で覆われて見えなかったのか。


 また沈黙して、3人は歩いていた。

 やがて、前方の光の玉がもう一つ現れた。すぐにまた一つ増え、歩み進むにつれて数を増していった。


 そして、ある場所で突如、光の玉が全方向に飛び散った。

 美香はどきりとして立ち止まった。


 光の玉は前方だけでなく、いまや周囲をぐるりと取り囲んでいた。


 首を回してぐるりと見渡しているうちに、美香は、今いる場所が非常に大きなドームのようなもので、壁にも天井にも照明が付いているのではないか、と考えた。今まで歩いてきたところは、やはりトンネルで、正面の口からこのドームの照明が見えていたのだ。そう考えるとつじつまが合う。


 ふいに、光が点滅し始めた。3人は揃ってびくりとした。


 「なに、なんだ。」という父の声に重なって、機械的な音声が響いた。


 「宇宙連合地球人保護コロニーへ亡命をご希望の方は、緑色の光で印された所へお立ちください。」


 音声が途切れ、静寂の中で光が点滅し続けた。


 顔の前に手をかざしながら見回すと、数十メートル先の床に緑色の四角い枠が現れた。美香は思わずあっと声と上げて指差した。母がその指先を見て、慌てて言った。


 「ああ、あれよ、あれ。緑色の印のところへ立てって。」


 母の言葉に促されるようにして、3人は早足で緑色の光の枠へ近寄った。


 しかし、枠の手前で、誰からともなく立ち止った。

 みんな同じことを考えていた。


 「あの、亡命って…

 あたしたち、亡命っていうか移住するけど、今ここではちょっと。玲佳も連れてこないと。」


 美香はそう言った。

 うん、と父がうなずいた。母も恥ずかしそうに「そうだね。」と言った。


 足もとの緑の光の枠も、点滅を始めた。周囲の白い光の点滅と同じ周期で、ゆっくりと消えたり点いたりした。


「なんか、チカチカ始めたわよ。」


「ここにいたら危ないんじゃないか。」


「これ、やっぱり宇宙連合の」と言いかけて、美香は言葉を探した。


「基地なんだね。」 と続けたが、適切な語ではないような気がした。宇宙空港や宇宙の入り口などの言葉も頭に浮かんだ。


 点滅が止んだ。


 先ほどのように、薄青い闇に浮かぶかのような白いぼんやりした光の玉が四方をぐるりと取り囲んでいた。

 白い光の玉はもう点滅せず、緑色の光の枠は消えていた。


 「止んだ。」と母の声が静寂を破った。


 そして、鈍い足音を立てて、緑の枠があった所に歩み寄った。


 「おい、そこへ立ったら、また何か変なスイッチが入るかもしれないぞ。」


 母は返事はしなかったが、枠のあった場所から離れ、横の方へ歩いて行った。

 美香は母にかまっている余裕はなく、目まぐるしくあれこれ考えていた。車へ戻ったほうがいいのか、次の反応を待ったほうがいいのか、それとも…。


 振り返り、自分たちがやって来た方を見ると、そこだけ光の玉が浮かんでいなかった。トンネルのような形にぽっかりと黒い闇があった。不思議なことに、入口の輪郭は見えず、ただそこだけ光の玉がついていないだけにしか見えなかった。

 この空間の他のところもそうだった。床と光の玉以外、何か物があるのか見えないし、輪郭も、何も見えない。


 「お父さん。」と、父の袖を引張って注意を促す。父は振り返り、美香の指さした方を見た。


 「ん、ああ、あれが通って来たトンネルか。」


 言いながら、父は眉間にかすかなしわを寄せた。彼も、トンネルの輪郭が見えないのに気づいているのだろうか。


 さて戻ろう、と母を振り返ると、彼女はかなり離れた所にいた。

 しかも遠ざかっていた。


 「お母さん。」と呼んだが、母はこちらへ来ようとしなかった。ふらりふらりと散歩でもしているように歩き回っている。


 「戻るよ。」ともう一度呼びかけると、こちらへ体の向きを変えた。そして、


 「なんか変なのよ。」と、返事の代わりにこちらへ向かって叫んだ。


 「霧がかかってるみたい。何にも見えない。」


 母はその場でしばらく立ち尽くしていたが、やがて驚いたことに、背を向けて向こうへ歩きだした。


 「どこ行くのよ、お母さん。」


  ほとんど怒っている声で叫ぶが、母は無視してどんどん歩いて行った。


 「しようがねえなあ。」と父が低い声でつぶやいた。


 美香は追いかけていこうかと思ったが、子供ではない、と思い直した。

 じっと見つめていると、母の姿は少しづつ小さくなっていった。かなり早足で歩いている様子だ。


 「何を探してるんだろうな。」と父が言った。


 「壁でも家具でも、何か見えてこないか試してるんじゃないの。

 ここって照明の数は多いのに、壁も天井も見えないじゃない。あのトンネルのところだって、入口の輪郭が全然見えないでしょう。」


 「そうかい。俺は近視だから、元々あまり見えないんだよ。」


 やがて、母の輪郭がぼやけ始めた。そして青灰色の影になった。


 「この光になにか、視覚を迷わす効果みたいなのがあるんじゃないかな。」


 ある地点で、母の青灰色の影が周囲のぼんやりした闇にすっと溶け込んで見えなくなった。美香は内心慌てたが、父の顔を見ると落ち着いているので、そのまま待つことにした。


 「そうか。照明の当て方か、照明そのものが地球のものと違うのかもしれないな。」と父が言った。


 「たぶん、地球よりもずっと進んだ技術を満載した機械類を見られたり、写真や録画を取られないように、隠しているんだろう。」


 父は小声で話していた。普通のボリュームで会話しても差し支えないはずだったが、ささやき声になっていた。


 ふと心配になり、大きい声で母を呼んでみた。


 「お母さん?!」


 「なあに。」というのんびりした返事が返ってきた。遠いから小さな声だが、はっきり聞き取れた。


 「何か見えた?」と美香は叫んだ。


 「何にも。だめだわ、いくら歩いてもなんにもない。」


 そこで会話が途切れた。

 しばらくの間静寂の中に立ち、母が消えた方を見ていた。


 やがて、ふわっと小さい影が現れた。見つめていると、輪郭がだんだんはっきりしてきて、服や髪が見えてきた。そこから美香たちの所まで来るのに何分かかったのか、時計を見なかったのでわからないが、思ったよりも早かった。

 父は母が完全に合流する前にトンネルの方へ歩き始めた。




 出口の方へ歩きながら、美香は、トンネルだか廊下だか知らないが今自分達が歩いている空間が、相変わらずほの暗くてよく見えないのが気になった。

 全く何も見えないほど真っ暗闇ではなく、一面に青灰色がかった薄闇に覆われているという感じだ。濃い灰色にぼやけた壁や天井らしきものは見えるが、とにかくはっきり見えないのだ。

 それでいて、天井にも横の壁にも電灯が一個も付いていないのに、真っ暗闇ではない。背後から先ほどの光の玉の光線が僅かながら入って来るからなのだろうか?


 3人は入って来た時とは逆に、両親が先を歩き、美香は少し後ろをついて行った。

 両親が小声で雑談しているのを見ているうちに、美香はふと、壁に触ってみたらどうだろう、と思いついた。

 両親の真後ろに居るのを幸い、そっと歩く方向をずらせて壁に近づいた。


 さすがに顔の前30㎝ほどまで近づくと、壁の表面が見て取れた。

 地下鉄の壁によく似たコンクリートの壁だった。内装のデザインとしてのコンクリート打ち放しではなく、地下鉄とかトンネルの側面を思わせる粗い表面だった。


 壁に沿ってしばらく歩いてみたが、ケーブルや金属管は見当たらなかった。トンネルの中で見られる水の染み出している箇所も無かった。


 ようやく銀色の建物まで戻ってきて、外へ出る。街路灯がとても明るく感じられた。


 車に乗り込み、自動運転を再スタートさせる。

 ゆっくりと加速を始めるのを確認すると、美香は後ろ向きのシートにもたれかかった。そして、後方へゆっくり去ってゆく銀色の建物を眺めた。


 ところが、100メートルも行かないうちに車はまたゆっくりと停車してしまった。

 上体をねじって運転席のパネルを見ると、位置確認のための電波が届きにくくなっているという表示が出ていた。


 またか…


 ため息をつき、よっこらしょと体の向きを変えて背もたれから身を乗り出し、パネルを操作しようとすると、正常に戻った。


 ほっとして、また後ろ向きに座り、視線を窓の外へ向けた時、美香は思わず「あれ」とつぶやいて、窓に顔を押し付けた。


 「どうしたの。」


 「小屋が。」


 素早く後ろを向いて自動運転を止めると、美香は車から飛び出した。


 銀色の小屋が消えていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ