第二話 宇宙連合ホームページ
その夜、夕食後の片づけも風呂も済んでしまうと、美香はベッドに座ってタブレットをいじり始めた。離婚してから自分の時間が格段に増え、夜もこんなふうにゆっくりできるようになった。
美香の一人娘は自室にこもっていた。彼女も自分のスマートフォンで友達とやり取りしているのだろう。
両親もそれぞれ自分の機器を使っていた。
夫の収入を当てにできた頃のような最新の機種は家の中に一台も無かったけれど、不自由はしていない。型落ちだろうが格安だろうが各自が自分専用の端末を持てればそれでいい。最新の高価な機器があっても、それを使う自由な時間が無ければ意味が無い。
検索履歴を見た時、誰かが美香の端末を使って検索した形跡を見つけた。
家に居る間はダイニングのテーブルに置いたままにしておくので、時折家族が使うことがある。
見られて困るようなものは入れていないから、前々から認証など設定せずに家族が使うのを許していた。リーダーしか持たない父や、その父と一台のPCを共有する母が、時折「ちょっと貸して。」と言ってくることがあるからだ。黙って使うのは家族でも良くないのは両親とも分っているが、美香の入浴中などは致し方ない。
娘が美香のPCを使うことは絶対にない。娘は思春期真っただ中で、自分のプライバシーを厳重に守ろうとする姿勢を貫いていた。
たとえ母親でも部屋には勝手に入ってはいけないし、スマートフォンも生体認証で守っている。
自分のプライバシーを守ろうとする気持ちが強いぶん、お互いさまだからママのものには手をつけない、と断言している。
そう言っておかないと美香に揚げ足を取られるから、というのもあるが、うっかり自分の痕跡を残してそれを見られるのが嫌だ、というのが本音のようだ。
その日のニュースにざっと目を通し終わり、近々友人と見に行く予定の映画のチケットを予約した。映画館の近辺でお茶をするのに良さそうな店がないか探した。
それが終わると宇宙連合保護局のホームページへ移動した。
ごく普通の、日本のお役所にありがちなデザインのホームページだった。明るいブルーグレーを基調にした穏やかなバックスクリーン、大きめの字の平易な文章、やや固いイメージの動画での図解。
美香は数秒視線をさまよわせてから、冒頭のあいさつを飛ばし、「宇宙連合保護局の目的と活動の趣旨」の項にある動画をタッチした。
「私ども宇宙連合の受け入れ措置は、地球上の国同士の移民受け入れと同じく、人道的な目的で行われています。
その人道的目的の主旨は、地球人の種族保存です。宇宙連合は広大な宇宙のあらゆる場所で、さまざまな種族とコンタクトがありますが、高い知性を持つ種族は非常にまれにしか存在しません。地球人はそのなかでもさらに人口が少なく、希少な知的生命体であることをご存知でしょうか。」
ここでグラフが表示された。
「宇宙連合は7種族から成る組織です。各種族の人口は、表のようになっています。」
7本の棒グラフが並んでいて、そのうち一番左端の一番高いのは「9671京3324兆」という数字がついていた。左端から高い順に並んでいて、最も低いものは「1319京7802兆」だった。
右端の1319京7802兆のさらに右側に、消えそうなほど低いのがまだ一本あり、それが地球人口の100億だと、グラフの下の解説に書いてある。
「いかに地球人が希少な存在か、おわかりいただけると思います。」
そこから、宇宙連合の活動範囲の説明と図解があり、星雲の配置を示す地図のようなものが、銀河の位置を含めて映像で示された。
その範囲が想像を絶するほど広大であることを、現実離れした感覚を抱きながらも、美香は理解できた。
その広大な宇宙での無数の知的種族の歴史を研究すると、母星から外へ出なかった諸族はすべて絶滅していた。
その数は何百種族にも及び、絶滅の原因は半分以上が隕石の衝突である。地球にも過去に何度も大きな隕石が衝突しており、その度に大絶滅が起きている。
隕石の他にも絶滅の危機をもたらす要因は無数にあり、地球でも猿人を含む人類は現生の種族を除いて全て絶滅している。
現生の人類もまた、5万~10万年前にアフリカを出た時点を含め、何度かボトルネック現象と呼ばれる人口の大幅な減少を経験した。
特に全世界の人口が1万人程度に激減したこと、それにより遺伝子の多様性が失われたところへ、さらに新石器時代の戦闘による男性の減少によりY遺伝子が失われてしまったことは、驚くべき歴史である。
その残りの僅かな人口から現在の人類100億人が生じているので、人間の遺伝子は他の生物に比べて多様性に乏しく、100億人全員が親戚といってもいいほどである。
多様性に乏しい遺伝子群は弱点も皆同じなので、感染病が現れると大流行になりやすい。病気の流行により絶滅するということは他の種族では起こらないが、地球人はその危険にもさらされている。
……
そういった説明の合間合間に、ここで言う絶滅の危険は数万年から数十万年という長いスパンでの話であって、現在生存中の人たちが危険だということではないという旨の、安心させるような説明が挟まれていた。
今後数万年の間に万が一また人口が大減少するとも限らないので、何らかの対策を今から立てておくべきである。例えれば保険をかけるようなものだ。今から少しづつ地球外や太陽系外のコロニーを作っていかなくてはならない。
そんな風に説明されていた。
次の章では、写真や映像がいくつも掲載されていた。
代表的なコロニーを紹介する映像で、どれも地球と見分けがつかない。
美しい緑に覆われた丘陵地や、太陽光を反射して煌めく川の風景などが続いた。
次に、植物や動物が拡大写真と説明文で紹介されていて、微小な虫などはもちろん、微生物まで地球上の生物相が再現されていると宣伝していた。
すでに地球の動植物のほぼ全てを採集し終わり、重要な動植物の順化もどんどん進んでいるとのことだった。
主要な栽培植物と家畜は全て順化が完了しているので、食物も地球と変わらないものが揃っている。
この件については、いつだったかテレビで紹介されていた。
宇宙連合が地球の生物を採集していることを、美香はその時初めて知り、改めて驚きを感じたのだった。
その直後にネットをチェックしたら、知らない間に宇宙人が希少生物を盗んで行くなどという意見が見られたが、それは言い過ぎだ、と思った。
人間が他の星へ移住する際、他の生き物も一緒に持って行くのが自然なのだから、宇宙連合が代わりに採集していたって変でも何でもない。
それよりも、連合から派遣されてくる生物学者たちと、地球の主な研究機関とが協力していることが紹介されていて、その協力の内容が素晴らしかったのが記憶に残っていた。
日本の大学院や研究施設との協力では、野外研究の際に環境破壊を最小限に抑えるための技術を提供してくれたり、宇宙連合側の研究内容をほとんど全て提供してくれる。
経済的に困難な国には資金面の協力をしてくれるし、アフリカや南米では宇宙連合の研究者が次から次へと新種を発見し、その数が地球の研究者による発見の数倍にのぼるという。
連合の研究対象は、野生動物など人間の手の及ばない自然のものだけに限らず、地球上の全ての生物に及び、家畜や栽培植物も採集され、研究されている。
細菌やウィルスも研究の対象で、その分野の研究は地球よりも進んでおり、特に病原菌は、引き起こされる病気の治療法も研究されている。
不治の病とされていた何種かの病気は、宇宙連合によって確立された治療法のおかげで、現在は治癒が可能になっている。
それらの治療法も、地球の各国に無償提供しているという。
採集活動は、必ずその地域の国に許可をもらってから行われ、採集するために宇宙からやって来る学者は宇宙人ではなく、宇宙育ちの地球人であることなども、その放送で知った。
宇宙人に会えるかもという期待を持って採集地へわざわざ来る人たちが皆ガッカリすることなど、かなり面白いトークだった。
ふと、自分が画面に視線を当てたまま別の事を思い出していたのに気づくと、美香は顔を上げた。
動画が終わって文字の部分を読み始めたら、すぐにこれだ。夜中は集中力が落ちている。もう少し読んだら寝よう、と思い、続きを読み始めた。
次の何章かを飛ばし、「地球の生活との違い」という章を読み始める。
最も大きな違いは、土地を所有できないこと、と書かれていた。
理由は、よその惑星を地球と同じ環境に改造して移住するので、その環境を保つためのメンテナンスが必要だから、とのことだった。
この部分は移住を考え始めた最初の頃に知って、警戒心を抱いた記憶がある。少し検索を続ければ、土地所有が許可できない代わりに土地も家も無償で借りられる事がすぐに分かったのだが、その時は宇宙人はやっぱり信用できないなどと思った。
改造惑星は、一度は地球とほぼ同じ環境に出来ても、放置すると大気組成や他のバランスが変わってしまい、元の状態に戻ったり、元の星でも地球でもない気候になってしまったりする。
将来にわたって惑星全体を毎日メンテナンスしなければ住める状態を保てないので、継続的な宇宙連合の管理が必要である。
だから、空気も水も土も、個人が勝手に汚染したり過剰に採集することはできない。
従って地球上と同じような個人の土地利用は禁止せざるを得ない。
それに関連して第一次産業は、環境メンテナンスの一環として組み込まれており、農業などの職業を希望する場合は宇宙連合移民局の監督下に入ることが条件となる。
次に大きな違いは、通貨制度だった。
宇宙連合の保護下では、貨幣が存在しない。
経済活動は貨幣ではなく、ポイント制で行われる。個人の資産も全てポイントとして口座に記録される。
その一点を除くと、経済活動は、地球と同じである。労働などの契約は地球人どうし、地球の慣習に従って交わされ、給与も月給制もあれば時給もあり、口座へ振り込まれる。
地球と同じように市場があって、そこで価格が決まり、様々な取引が行われる。
一種類の単位しかないので、外貨取引は存在しないが、株や先物の取引は地球と同じように証券取引所で行われる。
「ですから移住した後でも投資をすることができます。将来起業したいという方も、移住をすればチャンスが広がるかもしれません。地球と同じく銀行や公共機関から融資を受けたり株を売ることが出来ますし、地球とは微妙に異なる経済の動きを分析し、的確に助言してくれるコンサルティング会社もあります。」
その続きを読んでいる途中で、美香は眉根にしわを寄せた。
「株や投資には興味がない、あるいはせわしない経済活動に振り回されたくないという方には、美しい自然豊かな惑星への移住がお勧めです。」という一文に出くわしたからだ。
「インフラ整備の度合いに応じて五つのランクがあり、気候は地球に準じたカテゴリの中からお選びいただけます。最も自然に近いのはAランク地区。自給自足の生活をお望みの方にぴったりな環境です。」
「詳しくはこちらをご覧ください」とその下にリンクが貼られているので、タッチしてみる。
「非産業型居住地区-自然との共生」という章が現れ、ランク分けとカテゴリ分けの説明が載っていた。
Aランク地区は電気・ガス・水道などのインフラが無い。
舗装道路はあるが、個人での車の使用は禁止されている。公共交通機関もバスのみで、タクシーと列車は走っていない。モーターで走るのはバスの他には救急車と消防車とパトカーだけで、民間人は馬やラバなどの家畜を使って移動する。
その章の中ほどに馬やラクダなど家畜や、それらの動物が引いている馬車などの映像が添えられていた。
その馬車がまるで皇室の御料馬車のような、黒光りする立派なものだったので、美香はまた少し眉を寄せた。
「井戸や泉から良質な清水を汲み、薪ストーブで料理をし、ランタンの灯りで本を読む生活。一定の規模までなら酪農も許可されています。」
*マークの付いた注釈が小さな字で添えられているので、それも読んでみる。
「*水や薪など天然資源の伐採採集は、環境管理のため、移住管理局の規定の範囲内で行うものとします。」
「*安全のため、小規模な村落内に居住していただきます。孤立した住居はご用意しておりません。」
「*職業としての酪農とは別になります。第一次産業を職業にする場合、移住管理局の直轄営業所職員の身分を取得する必要があります。応募要件は第××章をご覧ください。」
じゃあFランク地区っていうのは、どんなんだろう。美香は好奇心に駆られ、途中を読み飛ばして下の方へスクロールした。
「Fランク地区は、基本的なインフラが整っており、同時に自然環境も豊かな、バランスの良い居住区。工業国の田舎に相当します。移動手段として自動車も許可されています。
自然環境地区ですので大規模な商業施設や高層建築はありません。日常の必要品は居住地から10Km以内の小規模マーケットでご購入いただきます。」
ここにも*マークがあり、農業や林業を職業としてやりたかったら宇宙連合の公務員のような資格を取らないといけないようだった。
この非産業型居住地区へ移住した場合、ショッピングやレジャーは気軽に楽しめなくなるらしい。大規模な建築物や交通機関が建設できない地区だから、ショッピングモールもシネマもアミューズメントパークも何もない。映画が見たくなったらどうすればいいんだろう。
それに、仕事はどうするんだろう。経済活動に振り回されたくないといったって、収入がなければ暮らしていけない。まさか、生活保護を受けるのではあるまい。
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「移住の際に持ち込めるもの」という項目が目に付く。
この内容については、すでに電話で問い合わせて、大まかに説明してもらっていた。
移住する時には、地球から持ち出せるものにいろいろと制限があった。これは、美香が考えるに、当たり前のことだった。地球上の国同士でさえ検疫や現金の持ち出し制限などがあるのだから、宇宙へ移住するのならもっと複雑な制限があるだろう。
サイトによると、二種類の制限があった。
地球の各国による持ち出し制限と、宇宙連合が設けている持ち込み制限である。
といっても後者は宇宙連合が独自に決定したものは無く、全て協約相手国との話し合いにより、相手国に配慮して決めたものだ。
特に、移住希望者が持って行ける資産の上限は、各国からの富の流出を防止するため、思ったよりも低く抑えられている。
日本人の場合は前年の一人当たりGDPの約3倍だ。
美香の両親は何十年も貯蓄や投資をしてその倍の資産を築いていたから、その大半を手放さないといけないと聞いて、最初は笑って、そんな移住はしない、と言った。
加えて、貴金属や株などの資産は移住申請の際に全て申告し、処分する場合は売却なら雑所得税、贈与なら贈与税を払って行かなくてはならない。
その他の所持品や家財道具は、合法的に所有しているものなら何でも持ち込みが可能で、一人当たり2トンまで持ち込める。
が、こちらも無制限というわけにはいかず、高額な物や美術品などの価値のあるものは審査を通さないと持ち出せない。
ペットや鉢植えなどの動植物は、2トンの重量制限に加算される他はほとんど規制が無いようだ。移住の当日に簡単な検疫を受けるだけで持ち出せる。
一番下には注意書きがいくつか付いていて、その一つに「お荷物は出発の前にスキャンさせて頂きます。」とあり、地上の空港と同じように違法な持ち出しを防ぐ手段が取られていることを示していた。
そして「地球の国家の一国でも不法と定められている物品や動植物は、宇宙連合においても非合法となります。」とある。
つまり、日本で禁止されていなくても、どこかよその国で禁止されているものは持って行けないのだ。日本で合法的に購入したペットや植物でも、原産国で捕獲禁止や輸出制限されていれば没収されてしまうということだ。
再びタブレットから目を逸らし、姿勢を変えていると、ドアのところから「ママ」という娘のくぐもった声が聞こえた。