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プロシア参謀本部~モルトケの功罪・拾遺集

1864年1月31日

作者: 小田中 慎


 二人のプロシア軍士官は朝靄の中、盛大に白い息を吐き散らす乗馬から降り立つと門衛に司令官への目通りを願った。午前7時30分のことだ。


 プロシア軍参謀本部所属の参謀でプロシア=オーストリア連合軍本営に配されていたフォン・スチール少佐と槍騎兵連隊から本営に派遣されていたゴットベルク中尉は黎明時、レンズブルクでアイダー川の橋を渡り、デンマーク軍歩哨の誰何に「ヴランゲル閣下の使者としてデ・メザ閣下への書簡を奉持して来た」と告げ、その後は邪魔されることなく3万の将兵が構えていたダネヴェルク堡塁群の真ん中を堂々抜けてシュレスヴィヒ市街へ入り、早起きの住民から歓声で迎えられる。シュレスヴィヒ市はドイツ語話者が殆どだったからだ。スチールらは握手を求める住民に手を振って断り続けながら、3年戦争の結果デンマークから追放されたアウグステンブルク家のフレデリク・アフ・ノール親王が住んでいたプリンセンパレ「王子の宮殿」までやって来たのだった。


 宮殿は3年戦争以来デンマーク軍に占拠され、今はデ・メザ将軍の司令部となっている。

門衛は隆とした二人の「敵」士官に対し恭しく敬礼を捧げるや馬丁を呼び、二人の乗馬を任せると宮殿内に招き入れた。

 この朝、デンマーク軍司令部に高級士官は少なかった。参謀長のカウフマン大佐は部下の参謀たちを伴ってシュライ湾の防御を視察するため出発した後だった。そのため、独の士官は直接デ・メザ司令官と対面することになる。

 暫く待たされた後に司令官の応接室へ案内されたスチールとゴットベルクは、敵司令官の異様な格好に眉を顰めた。零下10度を軽く下回る厳しい朝、デ・メザ将軍は制服の上からポンチョを羽織り、赤いスカーフに毛皮のとんがり帽子、両手をマフに入れたまま立っていたのだ。

 不意を突かれたスチールだったが、そこは参謀本部でも将来有望と目されていた気鋭の士官、音高く踵を揃えて敬礼すると、僅かに遅れてゴットベルクも敬礼、デ・メザはようやくマフから右手を出して答礼し、椅子を勧めるのだった。


「閣下。ヴランゲル閣下からの書簡をお持ちしました」

 しばし沈黙の後、スチールは書簡を差し出すとデ・メザが黙読する間ゴットベルク共々身動き一つしなかった。


『プロシア陸軍元帥でありプロシア王国並びにオーストリア帝国派遣軍最高司令官である男爵ヴランゲルは、シュレスヴィヒ公国派遣デンマーク軍最高司令官にして卓越した将軍であられるデ・メザ閣下に対し、書簡を送ることを光栄に思います。

去る1月16日、プロシア王国並びにオーストリア帝国は、両国大使より貴王国に対し手交された書簡に示された要求、即ち貴王国が昨年11月18日に発布したシュレスヴィヒ公国と貴王国が共通の憲法を持つと言う憲法修正を廃する要求を致しました。同月18日、貴王国外務卿よりこの要請に対し否定的な回答があり、先の憲法も廃される様子がないため、ドイツ連邦は現状を回復しシュレスヴィヒ公国の独立性を確保するため、行使可能な手段を使用せざるを得なくなりました。本官はシュレスヴィヒ公国を本官の指揮下にあるプロシア軍とオーストリア軍により保護占領し、一時的に公国の管理を引き継ぐよう命令されております。

この件につき本官は誠実を以てデ・メザ閣下に通知致します。閣下はシュレスヴィヒ公国から麾下と共に退去する命令を受けているか否か、本官は確認致したく閣下のご回答をお待ちします。

デ・メザ閣下に最大の敬意を以て。

プロシア王国並びにオーストリア帝国派遣軍最高司令官 元帥ヴランゲル(署名)』


デ・メザ将軍はその有無を言わせぬ内容に一瞬眩暈を覚えるが、つぶさにその表情を観察している二人のプロシア軍士官に悟られぬよう、無表情で通した。

「ヴランゲル閣下は6時間以内に書簡による回答をお願いするよう申しております」

 スチールとゴットベルクは立ち上がると、答えを待たずに部屋を出て行った。


 スチールらは市内のホテルに部屋を借りると、そこで6時間を待った。この間、絵心のあるゴットベルクは印象に残るデ・メザ将軍の姿を描いて時間を潰していた。


 王子の宮殿では地図担当士官のルイ・ラ・メル中尉により流麗な筆記体のラテン語でデ・メザ将軍の回答が筆耕された。6時間後、二人のプロシア士官が待つホテルに使者が訪れ、スチールらは再び王子の宮殿にやって来る。

 再びテーブルに着いたスチールは手渡された書簡を一読する。勿論スチールはラテン語を解していた。しかし老齢の上官がドイツ語しか解さないことを知っていたため、

「申し訳ありませんが、閣下、ヴランゲル閣下はドイツ語しか読めませんので」

 と、落ち着いた声で、

「出来ますれば誤解のなきようドイツ語で記すことは出来ますでしょうか」

 ラ・メル中尉が呼ばれ、今度はドイツ語の筆記体で同じ書簡が作られた。


 午後3時30分。デ・メザの回答書を携えスチールらは王子の宮殿を出る。馬丁から乗馬を受け取ると、二人の士官は敬礼したが、門衛は真っ直ぐ前を向いたまま動くことは無かった。

 冷静で感情を表すことがないスチールは珍しく笑みを浮かべると、無言でゴットベルクに頷き、乗馬をアイダー河畔に向けるのだった。


 数時間後には戦争になることを伝える書簡であっても、最低限の外交儀礼が守られていた時代だ。それでも自信満々に記されたヴランゲルの最後通牒に、デ・メザの回答はまるで電文のように簡素だった。


『貴官が政府より命じられ1月30日に記された書簡を拝読致しました。署名者はプロシア並びにオーストリアの軍隊がデンマーク王国に侵攻し占領する権利があるという貴官からの書簡を拒否します。本官は完全なる防衛計画に従い武器を取りあらゆる攻撃に対抗する準備が出来ております。 

将軍 Ch.ユリウス・デ・メザ(署名)』


 この日、せっかちなヴランゲルはスチール参謀が持ち帰る書簡を一刻も早く受け取るため、ノイミュンスターの北、ボンデスホルムの修道院からキールの西、エムケンドルフまで本営を前進させていた。老元帥は帰還したスチールから奪うように書簡を受け取り一瞥すると、幕僚たちに吼えた。

「攻撃を開始する。命令しろ!」

 

 ホルシュタインとシュレスヴィヒの境界、アイダー渡河の厳封命令書は二日前に用意され各級指揮官に手交されており、電信担当士官はアイダー河畔に展開する諸隊に向けてただ「開封せよ」と発信し、電信線が未達の場所に待機する部隊に向け、副官たちは馬に飛び乗ると疾駆した。時刻は17時30分になっていた。


 季節は厳冬、アイダーは凍結しており砲や馬車縦列以外はそのまま氷上を越えることが可能だった。命令書を開封した指揮官たちは日付が1日になると部下を前進させる。手にした命令書の末尾にはヴランゲルの署名に沿え「そして神の名において!」と記されていた。


挿絵(By みてみん)


参照 August Trinius: Geschichte des Krieges gegen Dänemark 1864


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